『silent』で痛感する、“伝える”ことの難しさ この世界で見つけた様々な“言葉”の形

『silent』“伝える”ことの難しさ

 実家で親から持たされる手作りのおかずたち。来た時よりもグッと荷物が増えてしまう現象を、木曜劇場『silent』(フジテレビ系)は「親の真心」と名付けた。「言葉じゃ伝えきれないからさ、モノに託すの」と、紬(川口春奈)の母が言う。おそらく今後「親の真心」という単語に触れたとき、このドラマの視聴者には同じ光景が頭の中に浮かぶのだろう。言葉とはそんな共通認識から生まれる。

 「言葉はなんのためにあるのか?」とは、想(目黒蓮)が読み上げた作文の冒頭にある一文だ。言葉があるから私たちはわかり合える。しかし逆に言葉があるからこそ心が離れてしまうことも。「そんなつもりで言ったのではない」「でも私にはそう受け取れた」このような言い争いを誰もが経験しているのではないだろうか。特に最近は非対面で会話ができる便利なツールが増えた一方で、“伝える”ということの難しさを痛感している人が増えているように思う。

 この『silent』というドラマでも、言葉によってすれ違いが生まれていく。「今のは本当はどういう意味?」なんて聞き返せない視聴者としては、彼らの表情や素振りからその真意を汲み取らなければならない。それだけ視聴者が消化しやすいように精製された作り物の会話ではなく、もっと生っぽくて天然なコミュニケーションが描かれているのが大きな魅力だ。

 紬が想から別れを切り出されたときに受け取った「好きな人がいる」の言葉もそうだった。きっと多くの人が紬と同じように、新しく別の好きな人が「できた」という意味で受け取ったはず。でも、想の本音はそうではなかった。紬という好きな人が「いる」。だから、その好きな人のために別れたいのだ、と。

 「いる」と「できた」は大きく違うことを冷静に考えれば理解できる。しかも、あれだけ言葉について思考を繰り返してきた想のこと。あんな大事な場面で言葉を慎重に選んでいないはずがない。にも関わらず、とっさのやりとりでは自分の受けた印象を疑いもしなくなってしまう。だが、きっと少ないかもしれないけれど、想と同じように細かなニュアンスを読み取った人もいたはずだ。

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