黒木華が全身で椅子を取りに行く 飾らない俳優のエネルギーで魅せる『椅子』シリーズ
又吉直樹が“椅子”をテーマに描いた8つの物語は吉岡里帆、モトーラ世理奈、石橋菜津美、黒木華がそれぞれ2役の主演を飾り、2タイプの人物を演じ分けることで、彼女たちの俳優としての多彩な魅力を観ることができる。
俳優のA面とB面のような構成が、1回/2回、3回/4回、5回/6回の3回、丁寧に繰り返されたあとの第7回と8回は、これまでの『WOWOWオリジナルドラマ 椅子』シリーズとはまた一味違う、いわばC面のようだった。
短編小説のようなしっとりした趣のあった『椅子』シリーズが突如として喜劇的なムードに変わる。それはまるで文学と喜劇のコラボレーションのような又吉のライブ活動『実験の夜』の世界に近いようにも思える。『椅子』シリーズ全話を通して観る楽しみのひとつに感じる粋な構成である。
第7回「人間たちの声がする」はBARが舞台。ふらりと訪れた一見の美女(黒木華)の謎めいた言動に、雇われ店主(ムロツヨシ)は怯みつつも、あくまで丁寧に接客し続ける。女の芝居がかった言動とバーテンダーの反応の齟齬がおもしろい。
映画や演劇、あるいは文学にかぶれたような言葉を吐き、自作の詩を手帖にメモする女は、見せかけだけなのか本気の教養人なのかキワキワ。触れてはいけない危うい様子を黒木華が見事に演じる。こういう役をやると、どうしてもいかにもやばい人になりがちだ。でも黒木にはやばいと決めつけらきれない気配がある。例えるなら三島由紀夫の『近代能楽集』の一編『卒塔婆小町』の老婆であろうか。主人公の青年が貧しい老婆と思って話していたら、いつの間にかまるで違う世界が広がるような。そんな豊かさが黒木華にあるのは、彼女の演劇的な素養であろう。
ただ、「人間たちの声がする」は三島由紀夫ではなく又吉直樹の世界であって、雇われ店主役のムロツヨシや、客役の永野宗典や本多力の身ぶり口ぶりが、ここは笑っていいのだというガイドになっている。黒木華もその境界を確実に理解してやっている。
カルチャーかぶれの人物を主人公にしたコントのようなことを徹底してやることで、その後の展開が生きる。ひととき自分の世界に浸ることのできるBARに置かれたAチェアはアウトドアでも使えるような機能美の高いスチール製で、それはこの場所が完全に夢の世界ではなく、外界と繋がっていることを示唆しているようにも見える。人間は時々、BARや詩や物語という非日常に浸りたいものなのだ。日常から遠く離れたい平凡な人間の希求を、演技巧者たちが体現した。