『鎌倉殿の13人』と『平家物語』は対極な魅力の歴史劇に 壇ノ浦の戦いを中心に読み解く

『鎌倉殿』『平家物語』壇ノ浦の戦いの違い

 今、中世がアツい。2022年1月期に地上波で放送された山田尚子監督・吉田玲子脚本のTVアニメ『平家物語』、現在放送中の三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、そして、5月28日の公開が待ち遠しい湯浅政明監督、野木亜紀子脚本の劇場アニメーション『犬王』と、平安時代末期から室町時代にかけての日本中世を扱った優れた作品が続けざまに放送・公開されることは興味深い限りである。

 今回は、『鎌倉殿の13人』が第18回(5月8日放送回)で、『平家物語』の最終回である第11話で描かれた「壇ノ浦の戦い」に到達したこともあり、2つの作品が描いた「壇ノ浦」をメインに、共に優れた、しかし対極の魅力を持った作品について考えてみたい。

 サイエンスSARUによる見事なアニメーションで形作られた『平家物語』は、鎮魂と祈りの物語だ。そして、「死」を通して「生」を見つめ、ただひたすら刹那的な今この瞬間を慈しむ物語でもある。ヒロインは架空の少女、琵琶法師のびわ(CV:悠木碧)。父親を平家に与する者たちに殺され、恨みに思っていた矢先に、平重盛(CV:櫻井孝宏)と出会い、平家一門と共に生活し、親しみを持つようになり、やがてその一部始終を見届け、語り継ごうとする人物である。

『平家物語』(c)「平家物語」製作委員会

 彼女は特殊な目を持っていて、青色の右目で未来をみて、重盛の死後である第5話以降は、彼から引き継いだ茶色の左目で死者となった人々を見つめる。つまり彼女は、登場人物たちの「未来」を知りつつこの物語の行く末を見つめている視聴者側にいると共に、約800年後の現代においても知らない人がいない物語『平家物語』の語り部として、今はもういない彼らを生かし続ける役割を持った存在として、そこにいる。

 また、彼女が子供として、重盛の息子たちや、白拍子たちと無邪気に水や、桜の花びらやホタルと戯れ、時に雪景色や月夜の海辺を美しいと感じるその姿は、第2話の重盛の言葉「闇も先も恐ろしくとも、今この時は美しい」ことを体現していた。しかし、その幸せなひと時は、びわの手の中の雪うさぎが瞬く間に溶けて崩れてしまう切なさに似て、儚いものでもあった。

 一方の『鎌倉殿の13人』は、「物語」として語り継ぐというよりは、あらゆる「物語性」を引っぺがして「本当はこうだったのかもしれない」戦の本質を追及する、いわば「実録もの」の世界だったりする。

 まず、三谷脚本の多くのキャラクター造形が従来のそれを裏切る形になっていることから当然ではあるが、2作品に共通する登場人物のキャラクターの違いに笑わずにはいられない。『平家物語』では、気弱な源頼朝(CV:杉田智和)、見目麗しい美少年・源義経(CV:梶裕貴)、調子者の野蛮人・木曽義仲(CV:三宅健太)、頼りにならない棟梁・平宗盛(CV:檜山修之)であるが、『鎌倉殿の13人』において大泉洋、菅田将暉、青木崇高、小泉孝太郎が演じた彼らは、まるで正反対の姿を見せている。

『平家物語』(c)「平家物語」製作委員会

 さらに興味深いのは、女性の描き方の違いだ。『平家物語』では、妻・政子(CV:甲斐田裕子)に言いなりの頼朝が、彼女に導かれるように、平家一門を根絶やしにする方向に舵を切る姿が描かれたり、清盛(CV:玄田哲章)の妻、徳子(CV:早見沙織)の母である時子(CV:井上喜久子)が率先して入水を扇動したりと、決定的な場面では常に、強い信念を持った女性たちが発言したり、動いたりし、男性たちは驚きつつそれに従うケースが多かった。そのため、びわや徳子の生き様を見つめる物語としても、『平家物語』は「女たちの物語」であったように思う。

 一方の『鎌倉殿の13人』はその逆で、頼朝(大泉洋)は恐妻家ではなく、政子(小池栄子)は、頼朝の圧制を前に怯える御家人たちのために、自分にできることをしようと心掛ける人物として描かれている。「後妻打ち」として有名な「亀の前事件」も、第17回の義高(市川染五郎)を討ち取った男の処断も、男性陣の思惑に左右され、自分では予想もしない事が起こってしまったにもかかわらず、「御台の頼みだからやったのだ」と言葉狩りをされるばかりで、彼女自身は何も悪くないという理不尽さを終始感じさせる。

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