「無限列車編」と「遊郭編」から占う、TVアニメシリーズ『鬼滅の刃』の行く末
日本歴代興行収入1位、世界の年間興行収入1位という、日本映画として未曾有のモンスター級ヒットをもたらした『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』。TVアニメから続くエピソードが映画版として描かれ、多くの観客の心を掴んだ一作である。その映像を使用して再構成されたTVアニメ『鬼滅の刃』無限列車編が、先日放映を終え、『鬼滅の刃』遊郭編がスタートしている。
ここでは、そんな「無限列車編」を振り返り、放映、配信中の「遊郭編」の内容や作品の背景を追うことで、現在の状況におけるシリーズの意味と、今後アニメシリーズ『鬼滅の刃』がどうなっていくのかを考えていきたい。
TVアニメ『鬼滅の刃』無限列車編は、ある意味興味深いシリーズだった。最初のエピソードを除けば、ほぼ映画版の映像を流用した内容だったからだ。TVアニメシリーズでは、一段落したときに、よく「総集編」なるエピソードを挿入することがある。それは基本的に、これまでの映像を編集し直すことで、作画のコストを軽減しながら間を持たせる、定型化した手法である。「無限列車編」は、その意味で劇場版をノーカットで数話分のエピソードにした、変則的「総集編」のイメージだ。
これを「手抜き」ととらえるのも自由ではあるが、成功したTVシリーズのエピソードの続きを映画という異なるフォーマットで送り出すことは、もちろん初めてのことではないし、その映像を再構成することも珍しくはない。そもそも、これまでのTVシリーズも、編集されて特番として放映されたり、劇場でも『鬼滅の刃』兄妹の絆として、期間限定で上映された経緯がある。今回のように映画からTV版に編集されることが、とくに禁じ手というわけではないのは明らかだ。待ち望んでいるファンが多くいるのなら、何度でも上映し、放映されるのが市場原理であり、興行というものだろう。
これまでのアニメシリーズの完成度の高さを見れば、映画版以降のシリーズの製作に時間がかかることは想像できる。「遊郭編」スタートまでに大フィーバーした映画の熱を“保温”したままにする……そのためにTVアニメ版「無限列車編」が必要だったということだ。その前段階として、ライトなテイストのスピンオフ『中高一貫!!キメツ学園物語』の放映もあった。だが、シリーズ構成については、ビジネス的な理由以外に、フォーマットを合わせることで、あくまでTVシリーズを基本とする「作品」にするという意味も、もちろん強いはずである。
だが、さすがにTVアニメ版「無限列車編」にも、作品単体として最低限の新しい存在意義が欲しいのは確かなことだ。そこで、「無限列車編」で活躍する煉獄杏寿郎を主人公とした、オリジナルエピソード『炎柱・煉獄杏寿郎』が追加されているのである。この内容は、映画版に熱狂した国内外のファンを喜ばせることとなった。
このエピソードでは、煉獄杏寿郎が無限列車に乗り込む1日前、文字通りの“前日譚”が描かれる。自分の身を犠牲にしてまでも「誰も死なせない」と言い放った煉獄の気高い人間性と、圧倒的な能力の高さなどが、新たな物語のなかで表現されるシーンの数々は、まさに“観たいものを観せる”というサービス精神に貫かれたものである。同時に、ただのファンサービスには留まらず、一つの事件を解決する1話完結のドラマとしても成立している。そこに、これまでのエピソード同様、作り手側の矜持と誠意を感じることができるのである。
とはいえ、さすがにその他のエピソードについて語る部分は少ない。時間の調整などの意味もあり、ごく短いカットが多々追加されてはいるものの、内容はほぼ映画版と変わらないといっていいだろう。だが、これでも『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を何度もリピート鑑賞していた視聴者にとっては、新カットが加えられほんの少し印象が変わったことに楽しみを見出せてしまうのだ。こんなかたちのサービスの提供ができてしまうというのも、本シリーズがモンスター級の作品であるからこそだろう。