菊地成孔の新連載「映画蔓延促進法」スタート! 第1回『イン・ザ・ハイツ』(前編)

菊地成孔の『イン・ザ・ハイツ』評(前編)

 前述、本作を含む並列関係を『ハミルトン』→「(スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』→『glee/グリー』としたが、時系列的にいうと、そもそも並列関係にすら配置しなかった起点であるオリジナル版『ウエスト・サイド・ストーリー』の次が、既に『イン・ザ・ハイツ』なのである。これが補助線となる。

 『ウエストサイド物語』の舞台版初演は1957年、そして『イン・ザ・ハイツ』の舞台版初演は約半世紀後の2002年(改訂版=正規版は2005年)なのである。何と、と言うべきかどうか、『イン・ザ・ハイツ』日本版の初演が2014年に、そして今回の映画版公開より一足早い再演がーー途中、コロナ禍によって中断、再開、という過程を踏みながらーー今年の4月にスタートしている。

 『glee/グリー』シーズン1開始は2009年、そして『ハミルトン』の初演は2015年、社会現象となり、原理的には『ウエストサイド物語』の限界性をも突破し、ミュージカル史も変えたと言われる、衝撃的な『ハミルトン』の原作、制作、音楽、主演であるリン・マニュエル=ミランダ(プエルトリコ系。移民ではなく、中米系アメリカ人の中では上流に近い)は『イン・ザ・ハイツ』の原作者であり、制作者であり、音楽担当であり、主演(途中、ダブルキャストも挟みつつも)、つまり『ハミルトン』の天才作者による第1作が『イン・ザ・ハイツ』なのである。

 『イン・ザ・ハイツ』の成功(トニー賞13部門にノミネート。ミュージカル作品賞、オリジナル楽曲賞を含む4部門を受賞。2009年、グラミー賞ミュージカル・シアター・アルバム賞を受賞。主演ウスナビ役でトニー賞ミュージカル主演男優賞にノミネート)を受け、リン・マニュエル=ミランダは、前述、未曾有の成功(トニー賞13部門16ノミネート。全部門及びトニー賞史上最多ノミネート記録。楽曲賞を含む11部門受賞。グラミー賞ミュージカル・シアター・アルバム賞、ピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞。英国においてもローレンス・オリヴィエ賞新作ミュージカル作品賞を含む7部門で受賞)を収めることになる『ハミルトン』を制作するが、映画化は頓挫し、<舞台上演をそのまま収録した>上演撮影版が2020年に公開される。これも変格だが映画館で観れる「映画」なので、並列関係に入れる。

 合衆国建国の父の1人であるアレキサンダー・ハミルトンの伝記物語を、登場人物のほとんどに有色人種を配役し、全体をヒップホップ・ミュージカルに仕上げた(建国における議事がラップバトルになっていたりするが、それでも氷山の一角である)驚異のミュージカルに関しては、検索をむしろお勧めしない、余りにも多くの現象を巻き起こし、読みきれないからである(その中には、反トランプの政治的なアクションまで含まれている)。

 そもそもリージョンが違う。『ハミルトン』は移民問題を含む、合衆国内の全ての人種問題を、メタレベルに引きあげてる。本稿にある「ミュージカルと移民問題の衝突による作用と反作用」も「どんなに苦しくても、前向きに逞しく生きてゆこう」というイージーウエイも、そもそも生じないリージョンにある。

 『イン・ザ・ハイツ』はその助走段階(実質上の処女作)であり、正しく『ウエストサイド物語』の、半世紀後の直系にして、当事者性のリアルを加味した(『ウエストサイド物語』は、原案も脚本も音楽も白人のハイクラスで、移民差別経験はないが、逆に言えば、50年代のブロードウェイという状況でビッグバンを起こした功績は大きい)、いわば「リアル・ウエストサイド物語」とも言える。

 だからこそ。である、『イン・ザ・ハイツ』が、「ヒスパニックの生活を題材にした、結局はラテンフレーヴァーのミュージカル」という、安定した娯楽作として鑑賞でき切らず、「音楽とダンスの力」に圧倒されながらも、鑑賞後に構造的なしこりが残る(特に『ハミルトン』を観たものには)。ここまでが総論である。次回は、各論として、本作の作劇と、特に音楽について、可能な限り詳細な分析と評価を与えることにする。

※注1
日本語版字幕は、英語もスペイン語も全てに翻訳がある(スペイン語はカッコで括られる)。だからこその、ヒスパニックの人口が激増してる合衆国の状況が浮かび上がる。

※注2
ラティーノ、チカーノ、ラテン・アメリカン、スパニッシュ・アメリカン etcといった、合衆国内の、中米もしくは南米からの移民や混血性に対する言葉は、ほとんどの日本人が詳しく理解していない状況であるため(中米と南米の区別がつかない人口も少なくないと予想される)、ここでは「スペイン語を話す(あるいは、スペイン語しか話せない)合衆国居住者」という意味で、安定的な「ヒスパニック」を使う。

※注3
「呪われたミュージカル」と噂されるほど、『glee/グリー』は、特に若きメインキャストの死亡やスキャンダルが相次ぎ、その重さは「舞台裏と作品は無関係だ」という正論を、微弱ながら揺るがすほどである、と言える。

■公開情報
『イン・ザ・ハイツ』
丸の内ピカデリーほかにて公開中
監督:ジョン・M・チュウ
製作:リン=マニュエル・ミランダ
出演:アンソニー・ラモス、コーリー・ホーキンズ、レスリー・グレース、メリッサ・バレラ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

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