MCUファンも脱帽 『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』が傑作なワケ

2月14日に日米同時公開されたマーベル・スタジオ最新作『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の映画作品としては2024年公開の『デッドプール&ウルヴァリン』以来、『キャプテン・アメリカ』シリーズとしては2016年の公開の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』以来の新作となる。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』でスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)から“キャプテン・アメリカ”を襲名し、盾を受け継いだサム・ウィルソン(アンソニー・マッキー)。本作では、アメリカ大統領に就任したサディアス・ロス(ハリソン・フォード)に招かれサムも参加することになった、ホワイトハウスでの国際会議でテロ事件が発生する。そこで生じた各国の対立から世界大戦の危機に発展してしまう。最悪の事態を防ぐため奮闘するサムだったが、その背景にはとある人物によって仕組まれた陰謀が渦巻いていた。
『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でサムが見せた葛藤、そして覚悟。『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』は、その意味が一層深いものになると同時に、非常にエモーショナルな作品として仕上がっていた。
“サム・ウィルソン”を見つめる
まず本作を観るうえで何よりも非常に重要になってくるのが、“サム・ウィルソン”というキャラクターを捉えることだ。物語の主人公なのだから彼が重要なのは当たり前である。しかし、私たちはサムが登場している作品において、誰よりも彼に着目してきただろうか。もちろん重要なキャラクターであることは間違いなく、これまでもスティーブ・ロジャースを中心にたくさんのキャラを支えてきた。『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、絶望的だった状況の中「左から失礼」のたった一言でスティーブだけでなくスクリーン越しの私たちのことも安心させてくれた。サムはそういう立ち位置にいるキャラクターだったのだ。しかし、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』で彼自身の葛藤に焦点が当たり始める。盾を引き継いだことで、世界が彼に注目する。もう誰かの隣を走る物語ではない、これは“サム・ウィルソン”の物語なのだと、本作は私たちに力強く訴えかける。
だからこそ彼のオリジンをもう一度思い出しておきたい。元落下傘部隊所属の兵士であるサムは、過去に夜間の降下救出任務で相棒が撃墜される様子を見ていることしかできなかったことに対し、強い後悔と罪悪感の念を抱いていた。それ以来、「戦う意味を見いだせなくなった」と退役。PTSDを持つ兵士に対するグリーフセラピーの活動をしていた最中で、スティーブとランニングを通して交流を深める。そして身を追われていたスティーブとナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)を匿い、彼らの力になることを志願した。自分と同じように大切な誰かを亡くした経験を持つ人に寄り添う。“強い感情を持つ人の話を聞いてあげる”。この姿勢がスティーブと同じようで一味違う、新たなキャプテン・アメリカ像に繋がっていく。
そんなサムの勇姿を刮目するうえで、忘れてはいけないのは彼が“生身”の人間であること。スティーブも他のアベンジャーズやマーベルのキャラクターたちと比べて、派手な武器や能力は持ち合わせていなかったが、超人血清によって身体そのものを強化していた。それに対し、サムはその血清すら打っていないのだ。『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』は、その“血清を打たなかったキャップ”が戦うことの意味を多角的に描いていく。
“生身の人間”による至高のアクションシーン
久々の『キャプテン・アメリカ』シリーズを観る上で期待していたのが、やはりアクションシーンである。本シリーズのメインキャラクターであるスティーブやバッキー(セバスチャン・スタン)は空飛ぶスーツを着ているわけでも、魔法が使えるわけでもない。基本的に身ひとつと盾、義手と武器で戦っているのだ。だからこそ彼らのアクションシーンは銃撃戦や近接格闘など、生身の人間同士のコンバットシーンとして堪能できる。とにかく戦闘中の所作が見どころ満載なのだ。
例えば、キャプテン・アメリカの従来の戦い方は、盾を相手に投げつけながら自身でも殴りに行くスタイル。それだけで十分面白かったのに、サムによる“新キャプテン・アメリカ”はそれに加え、彼が従来“ファルコン”として使用していた翼を大いに活用した戦闘になっている。ワカンダでアップデートしてもらった翼にはヴィヴラニウムが使用されていて、受けたダメージを蓄積し放出することができたり、鋭利な翼そのものを使って迫り来る障害物を真っ二つに切り裂いたりと、バリエーション豊富な動きがカッコいい。特に車を翼で“切る”シーンが圧巻だ。そして空中戦。本作の大きな見せ場でもある、セレスティアル島上空での戦闘シーンは手に汗握る臨場感! まさにサム・ウィルソンだからこそ魅せられる動きばかりだ。それと同時に、生身のサムであるからこその数々の“制約”が、本作のアクションシーンをより奥深いものにさせている。
例えば、屋外の逃走者を追う際、血清を打っていないサムは建物から飛び降りることができず、階段を使って行かなければいけない。自分より大柄な相手との近接戦では何度も攻撃をくらって苦戦する。スティーブの戦いにはなかった緊張感が、サムの戦闘では感じられるのだ。それに加え、とあるシーンでは何者かに操られたかのように攻撃してくる者たちを“殺さずに”倒さなければいけなくなる。しかしこちらはどれだけ攻撃を受けても平気なわけではない……など、そういった制約がかかればかかるほど、アクションシーンが面白いものになるのだと本作は教えてくれる。
しかし、サムが生身であることを作品内で実感すればするほど、レッドハルクとなったロスと戦うことの恐ろしさが際立つのだ。これまでのMCUにおけるハルクの活躍を思い返してほしい。時には神であるロキ(トム・ヒドルストン)をボコボコにしたり、ソーを力で圧倒させたりする場面があった。戦闘スキルがなくても、ただ怒りによるパワーのぶつけ合いでここまでやれてしまうハルク。本作でもレッドハルクは怪力ジャンプをするだけで目を疑ってしまうくらいの距離を“飛んだり”、移動するだけで建物が崩れ落ちたりするなど、圧倒的だ。そんなレッドハルクにまともに一撃でもくらえば、生身の人間であるサムがどうなってしまうかは想像に容易い。それゆえに彼らの戦闘シーンはハラハラを通り越してもはや怖ささえ感じてしまうのである。