ダースレイダーの『高慢と偏見とゾンビ』評:恋愛小説 × ゾンビのマッシュアップやいかに?

ダースレイダーの『高慢と偏見とゾンビ』評

『高慢と偏見』という恋愛小説のバイブルとも称されるジェイン・オースティンによる長編をもとにセス・グレアム=スミスが大胆なマッシュアップを施したコメディー作品、『高慢と偏見とゾンビ』を原作とした映画である。この時点でクイクイっとツイストが数回入っているので、軸足がどこに置かれているのかにまず興味を引かれる作品です。原作ファンなのか? マッシュアップ版のファンなのか? ゾンビ映画ファンなのか? 全ての入門編として観てみたいのか? ちなみに制作のナタリー・ポートマンは『高慢と偏見とゾンビ』の熱烈なファン。言われてみると主演のリリー・ジェイムスにはナタリー・ポートマン的なシュッとした雰囲気があります。

 マッシュアップという手法に求められるのは、文脈だったり関連性を一見無視した投げ込みが生む新たな価値だと言えます。この新たな価値には、笑いや恐怖、気づきなど色々あると思いますが、原作がもっていた「隠れた」可能性を引き出す場合もあれば、全く原作者が意図していないハプニングが発生する場合もあるでしょう。いずれの反応を引き出すにも、勢いが大事だと思います。大きいエネルギーをドン!とぶつけることによって、どんな反応が生まれるのか? 細かく見ていくと(場合によっては丸見えな時もありますが)齟齬が生じる面があったとしても、とにかく瞬間風速が上がっている、エネルギー量が増大している。そこが肝心です。そういった意味で、投げつけるブツとしての「ゾンビ」はなかなかのエネルギーを持っています。

 「ゾンビ」とは何か? 簡単に言うと蘇った死者です。ここで詳述はしませんが、映画におけるゾンビはジョージ・A・ロメロ監督による『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68年)を起点として、『ゾンビ』(78年)、『死霊のえじき』(85年)と続いていくシリーズがまず大きな主軸。ロメロ監督はその時々の社会情勢をゾンビに投影していますが、後続作品はゾンビ自体のおぞましさや恐怖を増幅させたものや、“生と死”というテーマに焦点を当てたものなど多様性に富んでいます。

 エドガー・ライト監督による『ショーン・オブ・ザ・デッド』(04年)はこうしたゾンビ映画の系譜を巧みに織り込んだ最高のコメディー。佐藤信介監督『アイアムアヒーロー』(16年)は日本を舞台にしたゾンビ漫画の映画化ですが、ゾンビ一体づつの造形など最先端のゾンビを大量に見せてくれる大変楽しい作品です。ドラマ・シリーズ『ウォーキング・デッド』も大ヒットしていて、現在もゾンビを巡る状況は賑やか。その理由はいろいろあると思いますが、一つ確かなのは、ゾンビには解釈の余地が大きくあることです。では、今作のゾンビ解釈はいかがなものか?

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