Netflix『ルーク・ケイジ』インタビュー
ア・トライブ・コールド・クエスト/アリ・シャヒードが語る、90'sヒップホップの再来
ア・トライブ・コールド・クエスト(通称:ATCQ)は、90年代に大きな盛り上がりを見せたニューヨークのヒップホップシーンにおいて、独創的なスタイルと音楽性で瞬く間にその中心的存在となったグループだ。彼らの親世代が聞いていたジャズやソウルのレコードから縦横無尽にサンプリングし、実験的な手法で組み立てたトラックと、ともすれば攻撃的になりがちだった同時代のラップとは一線を画す知的かつユニークなリリックは、ヒップホップの新たなスタイルとして後のシーンに大きな影響を与えた。また、ジャングル・ブラザーズやデ・ラ・ソウルといった周辺のグループとともに、ネイティブ・タン一派を名乗って活動したことは、シーンの拡大にもつながった。90年代が“ゴールデンエイジ・ヒップホップ”とも称されるのは、彼らの功績によるところも大きい。
そのATCQでDJ/プロデューサーを務めていたアリ・シャヒードが、ウータン・クランなど有名アーティストの作品を多数手がけてきた音楽プロデューサーのエイドリアン・ヤングとともに、本日9月30日より配信されているNetflixのオリジナルドラマ『Marvel ルーク・ケイジ』の音楽制作を担当している。
『Marvel ルーク・ケイジ』は、無実の罪で刑務所に収監され、そこで行われた人体実験によって鋼の肉体と怪力を手にいれたアフリカ系アメリカ人、ルーク・ケイジがハーレムの街を守るために戦う物語だ。『Marvel デアデビル』『Marvel ジェシカ・ジョーンズ』に続く、NetflixオリジナルのMarvel作品となる。
本作の音楽を手がけた経緯について、このたび日本を訪れたアリ・シャヒードは、次のように述べている。
「ショーランナーでエグゼクティブ・プロデューサーのチェオ(・ホダリ・コーカー)から、『こういう作品を作るんだが、君たちに音楽をお願いしたい』と連絡があって、彼が非公式に送ってきた第1話の脚本を読んだところ、僕らはとても気に入った。チェオは、この作品にどういう音楽を求めているかを説明してくれたんだが、それは幸いなことに、僕らがこれまで手がけてきたような音楽に近かったので、ぜひやろうということになったんだ。僕自身は、インクレディブルとスパイダーマンは好きだったんだけど、その他の大勢いるMarvel作品のキャラクターは、正直なところそこまで知らなかった。たくさんいすぎるからね(笑)。ルーク・ケイジは1972年にコミックでデビューしているけれど、僕が彼の存在を知ったのは、もっと後になってのことだった。でも、Marvelのスーパーヒーローの描き方は大好きだよ。コミックはほとんど読んだことがないけど、映画のほうは結構観ているよ」
タフで重厚な作品世界と、90年代ニューヨーク・ヒップホップのフレイヴァーが感じられるクールなサウンドの融合は、チェオの狙い通り、作品に洗練された雰囲気をもたらすと同時に、アメリカの黒人文化を色濃く感じさせる仕上がりだ。
「チェオは音楽に関して、明確な方向性を持っていた。それは、1993年から現在に至るまでのサウンドだった。彼がエイドリアンと僕に音楽を頼んできたのは、僕が作るヒップホップのトラックがジャズやブルースを取り入れたものであったり、エイドリアンにしても、彼が作る音楽が1968年から1970年代後半のソウルフルなエネルギーを持ったものだということが大きかった。だから今回の作品に関しても、ヒップホップではあるんだけど、ア・トライブ・コールド・クエストをはじめ、ギャング・スターやウータン・クランらが、ソースにしてサンプリングしてきたものの影響を強く感じさせるようなサウンドを意識した」
一方で、本作で使用される楽曲には、懐かしさ以上にオリジナリティを感じられるのも特徴である。
「他の人の曲をそのまま使うのではなく、『ルーク・ケイジ』独自の音楽にすることを念頭に置きながら制作を行ったんだ。その結果、90年代に根ざした音楽性に行き着いた。加えて、実際に各話のエピソードを観て、それぞれのキャラクターのアイデンティティーに合った音にこだわった。例えば、ルーク・ケイジであれば、人間的に奥深さがあって、あまり多くは語らないが、非常に芯の強い人間だ。そのため、彼の人間性に合った骨太なサウンドを作った。コットンマウスであれば、とても魅力的な人間だけど悪の部分も強いので、彼が登場するシーンには不穏さを感じさせるサウンドにした。ミスティナイトであれば、事件現場に行くと魔法がかかったようにものが見えたりする。それを音楽で表現したり、いろいろと工夫をしたよ。基本はヒップホップだけど、そこに深みをもたせることを意識したんだ」
サンプリングを軸とした90年代ヒップホップのサウンドは、今作でフィーチャーされていることが象徴するように、いま改めて再評価されているという。アリ・シャヒードは、そのことを「自然の摂理」だと述べる。