アニメ映画『パリに咲くエトワール』なぜ話題に? コミカライズ作品が描く、ガール・ミーツ・ガールの物語

『パリに咲くエトワール』コミカライズ登場

 3月13日に公開されてから、口コミによる評判の良さでジワジワと観客層を広げているアニメ映画『パリに咲くエトワール』。20世紀初頭のパリを舞台に、絵の勉強に励むフジコとバレエに挑む千鶴という2人の少女の交流と奮闘を描いた物語が、何かを頑張っている人たちの心を捉えて放さない。そんな映画の評判を後押しするように登場した漫画版『パリに咲くエトワール1』(講談社)は、フランス人漫画家のゼリハンがパリの空気を帯びつつ日本的な表現の漫画を寄せて、映画のような日本とフランスの融合ぶりを見せてくれている。

 『パリに咲くエトワール』は、TVシリーズ『コードギアス 反逆のルルーシュ』や劇場アニメ『ONE PIECE FILM RED』(2022年)の谷口悟朗監督が、第一次世界大戦が始まる前後のパリを舞台に描いたオリジナルのアニメ映画だ。キャラクター原案を『魔女の宅急便』(1989年)でキャラクターデザインを手がけた近藤勝也、脚本を『ガールズ&パンツァー』『きみの色』(2024年)の吉田玲子が手がけて、パリに生きる少女たちをその揺れ動く心情も含めてスクリーンに映し出している。

 人気漫画のアニメ化やTVシリーズの劇場版に比べ、情報が届きづらいオリジナル作品の宿命からか、公開の前後ではまだ谷口監督やアニメ映画に関心のある人が話題にしていた程度だった。それが、しっかりとした作画でキャラクターたちを動かしていたり、1910年代のパリの街並みや人々の営みを正しく描こうとしていたりするアニメーションとしての確かさの上で、フジコと千鶴という2人の少女と周りの人たちの日々を見せてくれていると知れ渡って、話題にする人が増えていった。

 考証面では、フジコがアパルトマンへと持ち帰るパンが、身長に届きそうなくらい長いことについて、当時の写真や記録などから正しいものだと分かって不思議に思っていた観客を納得させた。フジコの叔父の若林が怪しげな商売をしていたからか暴漢に襲われそうになった時、暴漢のひとりとしてステッキのようなものを武器として使う男のアクションが、実在する棒術(ラ・キャン)の流儀に沿ったものだと知れ渡って、そこまで描ききっているのかと関心を誘った。

 そうした、アニメーションならではの見どころに溢れた作品が、漫画になった時にどこまで魅力を伝えられるのかは難しいところだが、ゼリハンによる漫画版『パリに咲くエトワール』は、フジコや千鶴といったキャラの魅力を絵にしてめいっぱい見せてくれているところがあって、グイッと物語へと引きこまれる。

 例えばフジコ。絵を描く少女で、叔父が開く画廊の助手として連れてきてもらえた憧れのパリで、「新しい人生が始まる!」とばかりに駆け回り飛び回る姿が、パリの風景やその後に出会うことになる人々に囲まれるように描かれている。冒険の始まりを感じさせる見開きの描写にワクワクしない人はいないだろう。そのままエッフェル塔に向かって「ボンジュール・パリ!」と告げて終わる漫画版の第1話まで読んで、パリに行きたいと思った人も多そうだ。

 そして千鶴。フジコが横浜でバレエを観劇したゲーテ劇場で演武を披露した長刀道場の娘で、終演後の舞台でバレエの踊りを真似ていたところを、忘れ物を取りに戻ったフジコに見られてしまった。その後、フジコが渡ったパリに千鶴も長刀の普及のために渡仏した両親とともに来ていて、フジコや若林が暴漢に襲われた場面で助けに現れる。その時のお高祖頭巾を被って長刀を構えすっくとたたった姿が実に勇ましい。棒術を繰り出す暴漢をいなし押さえつける流れも切れ味鋭く描かれている。

 だからこそ、頭巾が取れた千鶴のことに、フジコが「あなた、あのバレエの時の娘?」と気づいて驚きの表情を見せ、千鶴が恥じらいを感じさせる表情を見せる第2話の最後のページがグンと突き刺さってくる。ガール・ミーツ・ガールの幕が開けた物語はいったいどこへと進んでいくのか。映画を観た人は分かっている展開だが、漫画で初めて『パリに咲くエトワール』に触れた人には、そこから繰り広げられていく物語に、いろいろと心を突き動かされるだろう。

 それは、挑戦してみる気持ちを呼び起こされるということだ。横浜の舞台でこっそりバレエを踊っていたように、千鶴はいつか自分もバレエを踊ってみたいと思っていた。両親についてパリに来たことで夢にはグッと近づいたが、長刀道場の跡取り娘だという責任感に縛られ口にすることすらできなかった。そこに、先にパリに来ていたフジコが道を付けた。二者択一ではなくどちらも続けてみればいいというアドバイスは、何かに迷っている人に一歩踏み出す力を与えてくれるだろう。

 とは言え、虻蜂取らずだの二兎を追う者一兎も得ずといった言葉が伝わっているように、どっちつかずでは何も得られない。ましてやバレエという1910年代の日本人には縁遠かった文化に挑もうとする千鶴に、どのような困難が待っているのかを想像しただけで気持ちが冷える。

 ところが、千鶴は見事に最初の壁を突破していく。フジコが見つけたバレエを教えてくれそうなオルガという女性が千鶴を認め、弟子となってバレエに挑み始めるところまで描かれた第1巻の終わりまでを読んで、これは続きが気になると誰もが映画館に足を運びたくなるだろう。

 そこで改めて、千鶴が撃退する棒術使いの男の切れ味鋭いアクションや、千鶴にバレエを教えることになるオルガが持つ厳しさやバレエに対する真っ直ぐさを目の当たりにすることになる。オルガについては、ロシアから息子のルスランを連れてパリに来た元バレリーナだったということは、映画でも描かれている。漫画ではさらに、パリでも最高峰のオペラ座に入団しようとして果たせなかったことが、ルスランの言葉でしっかり描かれていて、その心情に近づける。

 後に千鶴を連れてオペラ座のバレエの凄さを見せつけようとしたオルガに、オペラ座の女性が視線を向けるシーンが映画に登場する。何かあっただろうという予想に裏付けが得られた。

 他にも漫画では、千鶴がバレエの本を日本で買って一人でレッスンしていたことに対して、オルガが「独学ほど悪いものはない」と言い切る場面が描かれていて、千鶴のそれまでの努力に冷や水を浴びせている。映画ではそこまで頑張っていたのかと受け取られそうな雰囲気もあったが、確かに悪い癖が付いてしまっていては直すのが難しい。そうしたハンディをものともせず、持ち前の素質で厳しいオルガを納得させる展開は、映画に負けない感動を誘う。

 音楽も聞こえず動きも見えない漫画という表現の中で、言葉によって語り絵によって描いて過去を知らせ、心情を伝えてくれる『パリに咲くエトワール1』は、映画のサブテキストであり同時に1編のバレエ漫画と言えるだろう。

 ここまで千鶴の活躍ばかりが目立ってしまっているが、本来のヒロインがフジコとするならその活躍はいつ来るのか。それは漫画の続きを読んでのお楽しみ。あるいは映画を観てのお楽しみ。千鶴に負けない苦難を乗り越えていくフジコの姿が何かに挑みながらも前に進めていないと嘆く人たちに、とてつもない勇気を与えてくれるだろう。

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