粗品と松本人志に共通する“お笑い観”とは? 辛口コメントの裏にある美学

粗品の発言は松本人志直系?

 昨年12月、『女芸人No.1決定戦 THE W』を盛り上げたのは、審査員のひとりを務めた霜降り明星・粗品の辛口コメントだった。審査員としての粗品には3月の『ytv漫才新人賞決定戦』から注目が集まっており、その熱を『THE W』制作陣がうまく取り込んだかたちである。そして、『THE W』の粗品インパクトの余波は、おなじく審査員を務めた笑い飯・哲夫とのその後のビーフ的なやり取りもあって、1週間後に行われたM-1グランプリ決勝にも影を落とした。

 歯に衣着せぬ物言いで大きな存在感を放つ粗品。彼のお笑い美学とはどんなものなのか。『ytv漫才新人賞決定戦』での審査をきっかけに粗品の総特集を組んだ『Quick Japan vol.180』(太田出版、2025年10月発売)を中心に紐解こうと思うが、先に結論から言ってしまおう。粗品がお笑いについて言っていることは、松本人志がいまの粗品と同じくらいの年齢だったときに言っていたことにかなり近い。

 松本には、1994年に当時31歳で書いた『遺書』(朝日新聞出版)という大ベストセラーがある。この松本の著書と粗品のインタビューを並べてみるのが一番わかりやすい。

 まず、客のレベルと笑いについて。粗品は『THE W』でしきりに「客の質が低い」と言っていた。『Quick Japan』のロングインタビューでは、最近お笑いを語っている理由についてこう発言している。〈何がおもしろくて何がおもしろくないかという判断基準が、お笑い界って曲がった方向に行きがちなんで。このままやとおもしろくない芸人が売れてしまう〉、〈たとえば、お客さんゼロの何もない部屋にセンターマイクだけあって、100組連続でネタをして誰がおもろいか判別つけられる人は、プロでも少ないですよ。客が笑ってるからおもろいと思うか、逆にスベってたらおもろいと思えない人がほとんどなんですね。その状態をやめたい。一人ひとりの客のお笑いレベルを上げたい。お笑いの客も、SNSで好き放題言えるうるさい時代なんで、「そこまで言うほど、お前お笑いわかってないやんけ」ってプロの芸人の俺は思うし、芸人は全員思ってますし〉。

 対して、松本の『遺書』はこうだ。〈だいたい、笑いなんて、百人中百人が笑うことは、ほんとうはそんなにおもしろいことではないのだ。/レベルの高い笑いが分かる人間の絶対数は、かなり少なく、そのパーセンテージは二、三パーセントぐらいだろう(もっと少なかったりして)。[……]しかも、自分のバカをタナに上げて文句を言うヤツがいるから、たまったものではない〉、〈私は、ある意味、医者なのです。そして視聴者の皆さんは患者なのです。おもしろいこととおもしろくないことを区別できない重病人なのです。それを私がテレビというものを使って治療しているのです〉。

 「同一人物の発言か?」と思うくらい、ふたりの思想は似ている。本当にレベルが高いお笑いがわかる人間はすくないので、俺が本当のお笑いの基準を見せつけることでそれを教えてやる、というロジックである。これは、ふたりの「どういうタイプのお笑いをレベルが高いと判断するか」という価値観を反映したものでもある。

 粗品は、あるべきお笑いについてこう語る。〈パッと見て笑えるのは僕的に2番目で、ほんまにおもろいなと思ったとき、僕は感心するんですよね。笑うというより、声にして「おー」「いいねー」みたいな〉、〈おもろいツッコミ、そのフレーズよう出たな、ようそのボケでいったな、という秀逸さが僕の中の基準です。あともうひとつが「新鮮さ」。時事を扱う新鮮ではなく、見たことがないお笑い。発明という意味での秀逸さと新鮮さ〉。

 対して若き日の松本は、あるひとに「芸がない」と言われたことに対し、「芸がある」芸人の代表として喜劇役者・藤山寛美を挙げつつ、その〈何度見てもあきない〉芸と自身の笑いを比較してこう言う。〈オレは確かに、この人に比べたら芸はない。開き直っているわけではない。オレにとって、笑いとは発想なのである。おもしろい人を演じることで負けていたとしても、おもしろい人では絶対負けない。芸で人を笑わすより、自分自身で笑わしたいのだ/芸があることは、スゴク有利なことだと思う。発想だけで人を笑わすのは非常に怖いことだ。“何度見ても笑える”とはなりにくいし、四十、五十までその発想を持続できるとは限らない〉。

 粗品は、〈パッと見て笑える〉ではなく〈発明という意味での秀逸さと新鮮さ〉を求める。松本は、〈何度見てもあきない〉芸ではなく〈発想だけで人を笑わす〉ことを目指す。これもやっぱりほとんど同じことを言っているのではないか。そのまんま人志やないか。

 しかし、粗品は自身が影響を受けた芸人としてダウンタウンや松本ではなく、2000年代に活躍したbaseよしもとの芸人たちをよく挙げている。〈僕が今32歳で、同世代の人全員そうだと思うんですよ。物理的に『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』(日本テレビ)と『4時ですよーだ』(毎日放送)とか、まだ小っちゃくてテレビで見てないから、ダウンタウンが無双してたときを知らなくて。それよりも、千鳥、笑い飯、麒麟が関西ローカルや深夜バラエティを無双してた番組を見て育ってるんで、どうしてもそうなりますね〉。同世代の関西人としては、とてもよくわかる感覚である。

 だがしかし、そんな感覚自体も、やはり一周回って松本と同じだと言える。粗品はダウンタウンについて、〈まあ、「当時すごかったやろな」という感覚ですね。お笑いの作品って、自分の見ても思いますけど、月日が経つと「昔のネタ、今見てもおもろいなあ」はなかなか難しいんですよ。なぜなら、そのときおもしろくても、みんなマネすることで、今ではベタになるから〉とも語っている。これは、松本が〈“何度見ても笑える”とはなりにくい〉笑いを追求してつくったものを粗品がストレートに受け取って正しくジャッジし、かつ自分もそんな笑いを実践していると言っているようなものだ。それにそもそも千鳥、笑い飯、麒麟といった世代の芸人はダウンタウン直撃世代であり、このタイプのお笑い観がダウンタウン→baseよしもと芸人→粗品のリレーで連綿と受け継がれているのだと言い換えることもできるはずである。

 というわけで、やはり粗品のお笑い観は松本人志直系のものだと言えるだろう。ちなみに、これに関連してもうひとつ論点を付け加えるなら、粗品とコンビを組むせいやとの関係も興味深い。お笑い論を積極的に発表している美学研究者の鈴木亘は、松本人志のお笑いパラダイムを相対化するものとして太田光の話芸を分析し、その特徴のひとつである〈スクリーンのない映画館〉のような〈再現的な語りおろし〉を継ぐ若手としてせいやを挙げている(鈴木亘「【現代お笑い論】#004 爆笑問題 太田光に見る「冗長」の美学」)。霜降り明星の漫才は、せいやの動きを粗品が一言の大喜利的なツッコミで落とすという「フリップ芸の漫才版」だとよく言われる。そんなふたりの芸が、異なるパラダイムのお笑いが融合したものなのだとしたら面白い。

 そういえば、昨年から始まった粗品とブラックマヨネーズ・吉田によるトーク番組『吉田と粗品と』のことを「令和の『松紳』(かつて放送された島田紳助と松本人志によるトーク番組)」だと言っているファンもいるようだ(番組内でもそのコメントが取り上げられていた)。粗品本人が「令和の松本人志」と呼ばれることをよしとするかはわからないが、いずれにせよこれからも粗品の活躍から目が離せない。

 なお、この記事ではそんなお笑いパラダイムの系譜について考えた一方で、粗品がよく口にする「スカす」や「シャバい」はどういう意味なのか、といった話はできなかった。しかし、それも『Quick Japan』のロングインタビューではばっちり尋ねられているので、粗品の考えていることの全貌を知りたい方はぜひそちらをご覧いただきたい。

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