元祖・令和人文主義? 山本貴光と吉川浩満が語る、人文知と批評のいまと近過去

昨年、「令和人文主義」という言葉が話題になった。哲学者の谷川嘉浩が考案した言葉で、1985年以降生まれの若い書き手が発信する人文知のあり方やその受け止められ方を指す。谷川はこれを「読書・出版界とビジネス界をまたいだ文化的潮流」であるとしており、出版界サイドから見れば文芸評論家・三宅香帆の『働いているとなぜ本が読めなくなるか』(集英社新書)をはじめとする複数の著作や谷川の『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー携書)がベストセラーとなっていることなどがこの潮流と関係している。
この議論にはさまざまな賛否が寄せられているが、長年「人文」の世界に携わっている上の世代はこれをどう見ているのか。人文系情報チャンネル「哲学の劇場」を運営する山本貴光氏と吉川浩満氏のふたりに話を聞いた。(取材日時:2025年12月16日)

ストア派哲学と情報環境への適応
――今回の取材は、現在YouTubeやポッドキャストの「哲学の劇場」という人文系情報チャンネルで発信している山本貴光さんと吉川浩満さんに、「令和人文主義」について思うところをお聞きするものです。令和人文主義という言葉と定義を考えたのは谷川嘉浩さんですが、これがとりわけ脚光を浴びるきっかけになったのは批評家の小峰ひずみさんによる「『令和人文主義』に異議あり!」という反論記事です。
小峰さんの記事には、令和人文主義の先駆けとして東浩紀さんや宇野常寛さんを挙げる記述がありました。なるほどと思う一方で、令和人文主義のノリはむしろ「哲学の劇場」に近いのではないかとも感じました。「反アカデミズムではない」「レスバをしない」といった点がとくに共通点だと思います。そこでおふたりがこの話題についてどう思っているのかを聞きたいと考えました。ただし、そこはあくまで出発点として、最終的には「人文知や批評はだれのためにあるか」について聞きたいとも思っています。
まず、おふたりはもし「令和人文主義とノリが似ている」「元祖令和人文主義者だ」と言われたとしたらどう思いますか?
山本貴光:仮にそう言われることがあるとしたら、気に留めてくださったことを光栄に思います。ただ、他方で私と吉川くんの活動は、この話題で名前の並ぶみなさんと比べれば、広く知られたものではないし影響力もありませんから、東さんや宇野さんの横に並べられることがあったとしても「だれやねん」と思うひとがほとんどだと思います(笑)。同じように、私たちの活動が谷川さんたちに影響を与えているということもないと思います。念のために言い添えると、これは謙遜といったものではなく偽らざる実感です。
吉川浩満:そうですね。謙遜ではないという点について付言すると、名声や影響力の有無というのは、この話題にとっては案外重要かもしれないと思っています。あとで話題になるだろう情報環境の変化を考えると、インフルエンサー的なひとしかこのカテゴリーには関連づけられないように見えるんですよね。もうすこし時間がたてばそれも変わってくるかもしれませんが、少なくとも現時点では、「読者は少ないけれど関係者ならだれもが一目置いている」みたいなひとはちょっと入りそうにない。その意味で、東さんや宇野さんの仕事が先駆けとして参照されるのはもっともです。ちなみに、われわれの場合はそのどちらでもないでしょうね。谷川さんが「令和人文主義」として名前を挙げたひとびとの仕事ぶりには好意を抱いていますし、リストアップされた特徴にも自分たちと共通するところがあると思いますが、まあそれだけの話かなと。
――なるほど……。とはいえ、せっかくなのでもうすこし令和人文主義とおふたりの共通点を考えると、哲学で言うストア派に近い立場があると思うんです。ベストセラーになった三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にせよ谷川さんの『スマホ時代の哲学』にせよ、忙しい労働環境やアテンション・エコノミーに対してどうやって自分の時間や空間を確保し、より良い人生を生きるかがテーマにある。対して、山本さんと吉川さんはふたりの共著としてストア派の哲学者エピクテトスについての本『その悩み、エピクテトスなら、こういう言うね。』(筑摩書房)を出されています。

吉川:エピクテトスの発想は、要約すれば「自分の能力や資源の限界を自覚し、その範囲内でどうやってよりよい人生を歩むか」を考えるものですよね。三宅さんや谷川さんの著作にストア派的な要素があるというのは、たしかにそのとおりかもしれません。革命や政治運動・社会運動よりも、個人レヴェルでの適応や愉しみに照準しているという点で。私自身、革命はともかく政治運動・社会運動への思慕はあるものの、資質や性格としてはどうしようもなくストア派寄りなので、彼らの仕事に親近感を覚えるところはあります。
山本:思えば学生だった1990年代からそうでした。もうひとつ加えるとしたら、谷川さんが「自分本位」という言葉を使っていたのを興味深く思いました。私の関心に引きつけて言えば、これは夏目漱石が「私の個人主義」という講演で語った「自己本位」と通じる話でもあります。彼が生きた時代の日本は「とにかく西洋の近代化をマネして追いつかなければ」という社会でした。漱石もエリートとしてそれを引っ張ることを期待される立場にあったわけですが、ロンドンに留学して文学の先生の話をいくら聞いても腑に落ちなくて苦しむ。そこで、もうこれは「ヨーロッパ流に染まるのではなく『自己本位』で行くしかない」と腹をくくって、文学とは一見関係のない社会科学や心理学や物理学の本も集めて読み抜き、そのなかから自力で「文学とはなにか」をもう一度掴み直そうとしたわけです。
谷川さんがそれを念頭に置いていたかは分かりませんが、「自分本位が大事」という指摘はいまの世界の息苦しさに対応している気がします。もちろんその息苦しさは漱石の時代とは違うものではありますが、それに対するレスポンスとしてある種のストア派的な発想が出てくるのは私も共感するところです。
――そういったところに彼らの本が売れる理由があるのでしょうか。
山本:それもあると思いますし、いわゆるコピーライティングの妙という面もあると思います。短い文字数で本の主張を伝えつつ、そんなふうに言われたら中身が気になるというパッケージングも巧みだと思うのです。それはSNSや動画を中心としたいまの情報環境にフィットしているし、書店でも手に取られやすいのではないかと想像しています。
吉川:書籍や番組のネーミングひとつとってもそうですよね。
それで思い出したのは、1999年1月9日に開催された雑誌『批評空間』の公開シンポジウム「いま批評の場所はどこにあるのか」です(『批評空間』Ⅱ-21に掲載)。若手時代の東浩紀さんと同じく若手枠の鎌田哲哉さん、さらにその上の世代にあたる浅田彰さん、柄谷行人さん、福田和也さんとの討論が紛糾したことでも知られています。
山本:あのシンポジウムは私も会場で見ていました。わかりやすい対立軸をひとつ抜き出すと、浅田さんの「良いものを書くことそのものが大事で、読者への届け方はコントロールしようがない」という立場と東さんの「いまはインターネットなども出てきてそういう状況ではないから、ちゃんと読者を作っていかないといけない」という立場がぶつかる構図があったと記憶しています。東さんは当時、実際に自分でメールマガジンを出したり、CD-ROMとして流通させたりと、読者に直接届けるモデルを模索していきました。
吉川:はい。「投瓶通信でいくしかないじゃない」と言う浅田さんに対して、東さんが「もうそれじゃだめなんだ。しっかり届ける戦略を練らないと」と反論した。
その東さんですが、最近の発信を見ると、「令和人文主義」式のやり方をすこし冷ややかに見ていることが伺えますね。とはいえ、彼が先祖返りしたわけではもちろんない。東さんはシンポジウムの後、十数年をかけてゲンロンやシラスという場所をつくることで、読者に届けるモデルを予告どおり見事に構築しました。他方で、「令和人文主義」の主戦場が新書や巨大SNSプラットフォームだとすれば、これはまた投瓶通信モデルとも場所モデルとも異なりますよね。新たな情報環境を利用してあらためて広くインフルエンスを獲得していくモデルといえばよいでしょうか。そして東さんは、そうしたやり方では批評も思想も困難になると考えているのではないかと思います。ある種の世代間闘争が、その時々で前提となる情報環境のステージを変えながら螺旋のように繰り返されているような感慨があります。
山本:注意したいのは、「CDが主流になって一つ前のレコードが廃れ、さらにはストリーミング再生が主流になってCDが廃れた」という「あれがこれを滅ぼす」式の単線的な関係ではないことでしょうか。前のモデルも残り続けながら次のモデルも重なって並列して存在しており、しかも互いに影響を与えている、という多層的な関係であることが状況を複雑にしているのだと思います。
「正社員様の哲学」という言葉が連れてきた亡霊たち
――いまの状況に話を戻すと、今回は小峰さんが令和人文主義を「正社員様の哲学」だと批判したことで、さまざまなひとがこの話題に関心を持って発言しはじめる流れができました。小峰さんの議論についてはどう思われましたか?
吉川:小峰さんの論考は、低い鞍部を見れば、藁人形論法にもとづくイデオロジカルな批判にすぎないと言うこともできるでしょう。ただ、高い鞍部に目を向ければ、日本で「批評」とか「思想」と呼ばれてきた営みが担ってきた役割のうち、重要な部分が忘れ去られているのではないか? ということを「正社員様の哲学」という煽りワードでもって明快に指摘したとも言えるのではないでしょうか。その役割というのは、社会に関する総体のヴィジョンとそれにもとづくオルタナティヴの提示、といったようなことです。そこではまさにイデオロギー(批判)こそが問題なのであり、そこが多くのひとに「自分もなにか言いたい」という気を起こさせたんだと思います。
あともうひとつ、それと切り離せないものとしてアイデンティティの問題があるように思います。日本の批評や思想は、おもに若いひとたちに向けて「君たちはどう生きるか?」を問うてきたものでもありましたよね。規模としては小さいものの、(新興)宗教や修養論や自己啓発の機能的等価物という役割を担ってきた。じつはこの点については、資本主義批判のモチーフのある小峰さんはもちろんのこと、特徴のひとつに自己論が挙げられている「令和人文主義」にも共通しています。共通項を土台として異なる志向がぶつかったからこそ、議論が過熱したのではないでしょうか。
山本:同感です。小峰さんの「正社員」と「市民」という分け方については「正社員も市民だろう」とのツッコミも見かけたりもしましたが、そうした点はさておき、小峰さんの発した言葉には、みんなの「なにか言いたい気持ち」を刺激したという働きがあったと思います。
吉川:横溝正史や松本清張の小説やその映画化作品では、戦争で死んだ者たちの亡霊が戦後を生きる者たちに事件を起こさせる、みたいな構図がありますね。たとえば『犬神家の一族』では、冒頭近くで、これから起こる事件を予兆するかのように「復員服の男」が出てきて、死者の亡霊を連れてくる。小峰さんの論考は、「令和人文主義」において死んだ犬のように扱われている「批評」の亡霊を連れてきたという意味で、あの復員服の男のような風情がありました。その点については好感度が高かったです。

山本:亡霊とは、なんだかわからないもので、ひとに不安を催させる存在でもあり、それだけにひとが自分のなかにあるなにかを投影したくなってしまうんですよね。
吉川:そのとおりで、亡霊というのはある種の鏡であり、「それを見たひとがなにを恐れているか」がそこに投影される。その観点から今回SNSで盛り上がった論議を追ってみると、名称に反してあまり「人文主義」の内実についてのものではなかったように思います。トピックはコネクションやキャリアや地位や名声、場合によってはルックスであったりした。あれはなんだったんだろうと思い返してみると、なんというか、学歴や中学受験、地方や東京やタワマン、あるいは初デートにサイゼリヤは是か非かみたいな、ひとびとの不安やコンプレックスを刺激して荒れる議論と同種のものだったように思います。だからあんなに瞬間的に盛り上がったのかなと。それがわるいと言うつもりはありません。コンプレックスは大事な問題です。ただ、もとの議論とは違った方向に行ってしまいましたね(小峰論考がわれわれの「階級意識」を呼び覚ましたと言えればよいのですが、そこまで言えるかどうかはわかりません)。
そういうわけで、今回、「人文」が話題になっているというのでうれしくなって論議を追ってみたのですが、人文学や人文主義そのものに興味をもつひとはあんまりいないのかもしれないなと、すこし寂しく感じました。他方で、「人文」的なものがいまなお個人のコンプレックスとこんなかたちで結びついているらしいという事実はちょっとした驚きで、いろいろと考えるべきことがありそうだなと思いました。
論議そのものに関する言及についてもすこし調べてみたのですが、そのなかでとりわけ興味深いなと思ったのは、藤崎剛人さんの指摘です。彼は、令和人文主義に同調するひとも批判するひとも「反エリート主義」という点では共通すると言っています。たしかに言われてみれば、令和人文主義の敵は──彼らは敵を作らずただ切断するのですが──かつての大正教養主義的なエリートです。そして、アンチ令和人文主義のひとはエリート的な「正社員様」やそこに向けられたコンテンツ制作を敵とみなしている。そう考えると、ポピュリズムの時代と呼ばれる現在の状況をきれいに反映しているなと思いました。
――それぞれのひとが別のものを見つつ、ある種の被害者意識を隠れた武器にしている点では共通していると。
吉川:それがすべてとは思いませんが、そういうこともあるんでしょうね。ただ、ムーヴメントの多くはそうやって起こるものなので、むしろ自然なことだと思います。
ところで、今回いろいろと調べてみて気にかかったのは、この論議に対するひとびとの反応は、SNSの内外でかなり違うんじゃないかなということです。論議が盛り上がっていたころ、SNSでは「令和人文主義」に対する批判がかなり多かったですよね。與那覇潤さんも指摘しているとおり、Yahoo!リアルタイム検索が提供する「感情の割合」でも「ネガティブ」が大部分でした。
他方で、すこし引いた目線で見るとどうなるだろうか。ここから先は私の推測なんですが、逆になるんじゃないかと思うんですよね。もしSNS外で広く感想を求めたとしたら、「知らない」「どっちでもいい」が大部分だとしても、「ムカつく」の割合が「いいかもね」や「いいね」を遥かに超えるようなことにはならないんじゃないか、むしろ逆になるんじゃないかと思っています。あくまで私の肌感覚にすぎないので間違っているかもしれませんが……。
間違っているかもしれないのにさらに続けると、もしそうだったとしたら、それは「令和人文主義」の勝利であると同時に、社会における「人文」的なものの危機をあらわしているともいえそうです。SNS世論なんてそういうものだといえばそうかもしれませんが、もし「人文」の中のひとと外のひとであまりにも感覚が違うとしたら、けっこう由々しき事態だと思います。
ちなみに今回、仕事仲間や友人知人に「令和人文主義という言葉、タイムラインに上がってきましたか?」と聞いてまわったんです。私の近くにいるひとたちなので、この話題にもかなり親和性の高いひとたちのはずなのですが、半分以上は「なにそれ?」という回答でした。SNSでの話題の多くがコップの中の嵐であることは仕方がないとしても、ここまで見えている景色が違うのかと驚きました。私のタイムラインはひととき「令和人文主義」一色だったのですが。
――今回この話題を取り上げようと思った私にも突き刺さる言葉です。私は大学院生も経験していて、令和人文主義としてくくられている論者のなかにはいまの大学の専門分化しすぎた知に息苦しさを感じてその外にオーディエンスを求めているひともいるのかなと勝手に想像して共感する部分もあるのですが、少なくとも私自身は「人文」の中のひととしての視野しか持てていなかった。
山本:私は最近大学で教員として勤めてみて、専門分化が行き着くところまで行っている状況を目の当たりにしている日々です。簡単に言えば、各々が研究対象を絞って論文を書き、それが査読されて通れば業績になる。そして業績がたまれば博士論文になり、博士号が取れると晴れてアカデミアでの免許が発行されて、あとは運次第で専門にはまる口があれば就職ができるかもしれないという世界。それぞれが学んでいる専門は専門でよいとして、それだけでも困るので、なんとか制度化された専門の壁をかく乱できないかなと思ったりもしますが、なかなか難しそうです。複数の知を見るという姿勢自体がどうも奇異なものとして見られているのではないかと感じるときもありますし、「異分野共創」や「学際化」という言葉も文科省から資金をもらうための便法になっているのではないかと疑ってしまうことがまったくないとは言えません。
とはいえ、そもそも長いスパンで学問の歴史を見ると、中世のヨーロッパで「大学」というものが始まった当初は、勉強したいひとたちが集まって「あの先生に頼もう」ということで勝手に作られたサークルのようなものだった。つまり、みんな好きなことを好きにやっていただけなのだということもときどき思い出したい。それが19世紀あたりになってドイツ型の近代的な大学の姿ができ、学術の専門分化も制度として固定して、それまではあちこちに見られた複数の領域を横断するようなひとが徐々にいなくなる。明治期に西洋から文物を移入して近代化を図った日本の大学制度にも影響を与えていまの状況につながる歴史ができてきている。言ってしまえば、たかだか150年ぐらいしか経っていない。いまの制度化された大学は、知の歴史から見ればかなり特殊な環境なのだと言うこともできます。
アクセスが月に100人でも、そのひとたちがいればいい
――やはり、冒頭に言った「人文知や批評はだれのためにあるのか」という問いを考えるべきだと思いました。おふたりの活動で言えば、たとえばいまYouTubeやポッドキャストで配信しているコンテンツはどういうひとを受け手として想定していますか?
山本:これまたはっきりしたお答えにならず恐縮ですが、特定のだれかに向けているというよりは、私たちが取り上げるトピックや本に関心を持っているひとなら立場や属性に関係なく聴いてくださったらうれしいという感じでしょうか。急に格好つけたことを言うと、元々の古典的な人文主義では、全てのひとが人間である限り「人間とはなにか」「人間の集合とはなにか」について古典(彼らの場合、古代ギリシア語やラテン語の文物)をよく読んで考えたほうがいいよ、というところから出てきているわけですね。
もちろん、たとえばキケロまで遡れば、彼が言っている「人間」は都市に暮らす自由人の男性で知的な教養を備えたひとやそのサークルに限られていたんじゃないのと指摘することはできます。近代までくだってもヨーロッパのひとが言う場合には白人男性に限られているのではないかというケースもあったわけです。それがようやくさまざまな努力や検討を経ながら多様な立場の人びとも包含するように輪が広がってきた。そういう輪を最大化するという理念が本来の人文主義にはあるはずで、再び話を小さな場所に戻せば、われわれがそれをどれだけ実践できているかは別にして、「だれが聴いてくれてもいい」とは思っています。ただ、そんなわけでマーケティングやターゲティング的な発想は皆無で、バズりもせず炎上もせず淡々とやっている感じでしょうか。
吉川:それに加えて、われわれがずっと気にしているのは、「人文知」や「人文書」という言葉と実態のミスマッチです。これまで人文主義が人間への関心と古典研究から構成されてきたとして、時代の変化とともに両者の乖離がどんどん大きくなっているように思います。まあ単なる書棚のラベルやジャンルの名前なので別にいいと言えばいいのですが、本来「人文」とくれば、山本くんの言うように人間のこと全般が対象になるはずですよね。すると、キケロの時代はともかく、いまの知の世界を前提とするなら、進化学や認知科学や行動経済学なども大きなプレゼンスを占めるはずだと思うんです。でも、「人文知」「人文書」にはそれがあまり入ってこない。
山本:簡単に言うと「文系」を指す状況になっているよね。
吉川:そう、文系。たとえば、日本の書き手による「人文書」のベストセラーのいくらかの割合は、好き嫌いは別としてユヴァル・ノア・ハラリやジャレド・ダイヤモンドやスティーヴン・ピンカーが書くようなものになってもよさそうなものですが、ちょっとなりそうにない。
今回の論議では、谷川さんが「令和」という元号を用いたことに対する異議が散見されましたね。私も元号使用には抵抗があります。でも、いま述べたようなドメスティックな事情を考えると、むしろ正鵠を得たネーミングだったのかもしれません。
――おふたりはもともと脳科学の捉え方を考えた『心脳問題』(朝日出版社、のちに増補改訂版の『脳がわかれば心がわかるか』が太田出版から刊行)でデビューし、いわゆる文理の垣根を超えた活動をしてきたわけですしね。この本は97年に立ち上げて共同でやっていた書誌・書評サイト「哲学の劇場」(現在の「哲学の劇場」の前身)が編集者の目にとまってオファーがあったと明かされています。冒頭近くの情報環境の話に戻ると、97年にサイトを始めたときの状況と現在の状況はまったくちがうものだと思います。当時はだれに向けて情報を発信していましたか?

山本:前提として、当時のインターネットはいまと比べると、ほとんど無人の荒野のような場所だったことを言い添えたいと思います。とくに吉川くんや私がインターネットを使い始めた90年ごろは、世界各地にサーバーがポツンポツンとあって、そこにアクセスができるというだけだった。いま目の前にあるコンピューターから、アメリカのどこかの大学に置かれたUNIXマシンの記憶装置を見に行けて、そこで公開されているファイルをコピーできる。あるいは、そうするつもりがあれば自分で作ったプログラムを公開して世界のどこかにいるひとたちに見てもらえる。そういう状況には「この仕組みでいろんなことができそうだ」という解放感があった。
94年に大学を卒業して、ふたりとも会社員として働きながら自分たちの楽しみとして本を読んだり勉強をしていました。そこに先ほど述べたようなネット環境があったので、自分たちのためにまとめた書誌や書いた書評をサイトで公開して、どこかにいるかもしれない同好の士の役に立てばいいなと思ったんですね。喩えるなら、山道に迷ったひとがたまにやってきて、お茶を一杯飲んでまた去っていく。そんな場所のようなものとして作りはじめた気がします。でも、いま私と吉川くんが当時と同じ状況にいたら、あのサイトは作ってないですね。なにしろすでにウィキペディアはあるわ書店のデータベースはあるわで、わざわざ自分たちで作らなくてもほしいものがありますから。
吉川:サイトづくりに関して言えば、私はずっと「他己本位」というか、勝手に「世のためひとのため」と思ってやってきたようなところがあります。もちろん勉強自体は自分が好きでやっているわけですけど、その成果を公開するのは「これを知って喜ぶひとがいたらいいな」と。
山本:そういうわけで、まずは自分たちのために作ったものを「だれかの役に立つこともひょっとしたらあるかもしれない」と公共の場に並べていたわけです。後から振り返ると見てくれていたひとはいたようで、「当時はああいうものが他になくて参考になりました」と言われることもありました。
吉川:いまみたいにインターネットに対する幻滅もまだなかったですしね。それこそ最初の話に戻ると、われわれが始めたようなサイトは、たとえ見に来るひとが月に100人だけだったとしても、そのひとたちがいればそれでいいという感覚がありました。それがいまのSNSや動画プラットフォーム上だと、「100回のアクセスなんて意味がない」くらいに思わされてしまうところがありますね。そこが昔といまのインターネットの大きく違うところです。でも、我が身を振り返ると、案外いまも昔も考えていること自体は同じかもしれないなと思いました。もちろん、1億人が見に来てくれるなら、それはもう大歓迎ですが。
山本:いまはページ閲覧数(PV)がそのまま資本や収入と繋がる要素に設定されているので、ゲーム的にスコアを稼ぐ感覚が全面化しているとも言えますし、それをいかに乗りこなすかというのも立場によっては切実な問題なのだと思います。他方で、われわれは違うモチベーションでやってきたし、いまもそうだという話ですね。まあ、この状況で「たくさん見られなくてもいいのですよ」と言えば、どうしても負け惜しみに聞こえてしまうわけですけど(笑)。
――「届くのが100人だとしても、その100人に届けばいい」というお話にはぐっと来るものがあります。本日はどうもありがとうございました。
























