都内に住むひとり暮らしのリアル 話題書『だから、ひとり暮らし』で知る同時代の暮らし方

 「批評やドキュメントはたとえどんなに優れたものであっても、同じ時代を生きる人間が読まないと意味が無い」

 誰の言葉か、そもそもこの言い回しで正しいのか記憶があやふやだがそんな言葉あるらしい。こちらも記憶が曖昧なのだがその言葉の意味を聞いて、成程とは思った覚えがうっすらある。例えばだが、ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』はユダヤ人のシャイロックが悪役だ。ユダヤ人であることは2020年代の現在とシェイクスピアが同作を執筆した16世紀末当時では意味合いが違う。シェイクスピアの時代の英国人にとってユダヤ人は縁遠い存在だったが、第二次世界大戦でホロコーストを経験した現代人からすると、悪役とは言えユダヤ人のシャイロックが最後に散々な目に合う結末には意味深な意図を感じてしまう。

 16世紀の思想家トマス・モアの著作『ユートピア』は理想とする社会像が架空の国(ユートピア)という形で描かれているが、その理想の社会には奴隷が存在する。現代の先進諸国に生きる人々にとって奴隷制の肯定は受け入れがたい価値観である。当時の観客、演劇評論家、知識人と現代の観客、評論家、知識人がシェイクスピアやモアの著作について同じ受け取り方をすることは不可能だろう。

 小林秀雄の優れた評論も当人の没後40年以上を経た現在では読む側の受け取り方が、同時代の人間とは異なっているだろう。死語10年以上が経過した吉田秀和もそろそろ著作の「時価」には変化が生じてくるのではないかと思う。ドキュメントや評論を書いた本人の意図する形で受け取ることができるのは同時代人以外に基本的に不可能である。時代を経た評論に「意味が無い」とは思わないが、「本来の意図で受け止めることはかなり難しい」とは筆者も思う。

 東洋経済オンラインの人気連載を元にした蜂谷智子(著)『だから、ひとり暮らし』(東洋経済新報社)は「今」を描いたドキュメントである。著者の蜂谷氏が取材したのは都内在住の30代前半から60代後半までの男女10人。年代、職業、性別と言った属性はバラバラで、ただ一つの共通点は「ひとり暮らし」という点だ。

■ひとり暮らしのリアル

 本書冒頭で統計が示されているが「ひとり暮らしが増えている」、というのは体感で何となく感じていた。筆者の周囲でも婚姻、同棲、ルームシェアなどの選択をせずひとり暮らしを続けている人は増えていると感じている。その年齢層も10年、20年前より広がりを見せているように感じる。本書に登場する10人は全員独身だが、未婚率の上昇について社会は様々な理由を持ち出している。「若者の貧困化で結婚して子供を持ちにくくなった」という非選択的な理由だけでなく、おそらくは価値観の変化も影響していると思われる。度々統計で示される「若者の恋愛離れ」も理由の一つだろうが、筆者の学友(40代独身ひとり暮らし)は「今さら誰かと一緒に生活するとか考えられない」と語っていた。

 「価値観」は理由の一つだが価値観という言葉が意味する範囲は広大である。「価値観」一つとっても様々な理由に分類できるだろう。本書は一人暮らしの10人それぞれに向き合い、一人一人の価値観に相対している。配偶者に先立たれた不可抗力な理由からそのまま一人暮らしになって、なんとなくそれが自然になってしまった60代後半男性から、生きていてたらたまたま流れるように一人暮らしが続いていた40代の壮年、今後の人生の過渡期で今はたまたまひとり暮らしをしている30代前半の若年層までひとり暮らしをする「価値観」の理由は様々だ。そこには離別・失恋の痛みや悲しみもあれば、喜びや自然体の生活もある。著者の蜂谷氏は批判も憐憫も肯定も否定もせず、その一人一人に向かい合っている。その力こぶの入らない自然な生活感のある描写は本書の魅力の一つである。

 また、本書にはコロナ渦を経験した2020年代の「現在のリアル」も潜んでいる。筆者もそうだったが、コロナ渦をきっかけに生活は確実に変わった。緊急事態宣言が出され、行動制限が課せられたコロナ渦で、生活インフラや医療関係者などのエッセンシャルワーカー以外の労働者は恐らく多くがテレワーク(在宅勤務)を経験したことだろう。筆者もその一人である。今は多くの会社が基本的に出社に回帰しているが、副業としての配信ビジネスやテレワーク、リモート会議の出社との併用は確実に労働文化として残った。そのため、2020年代のリアルな生活において家は生活環境としてだけでなく労働環境としての要素を含んでいる。本書でも配信ビジネスを生活の糧の一部としている取材対象者と、リモートワークを主体とする取材対象者が何人か登場する。彼らのひとり暮らしは生活環境と労働環境が同居している。こういった「リアル」を鮮度の高い生活感として受け取れるのは同じ時代に生きている現代人だけだろう。(私事になってしまうのだが、兼業ライターの筆者も彼らには共感するところが多かった。)

 また、30代独身で家を買った女性の話が出てくるが、筆者の知人にも最近家を買った30代独身女性がいる。最近彼女に会う機会があったのだが、30代独身で都内に家を買う人は相当に珍しいものと思っていた。実際に珍しいのだろうが、他にも例があるということは筆者が思っているよりも30代独身で家を買う女性は多いのかもしれない。こういったところにも「現代を生きるリアル」を感じる。彼女だけでなく、筆者は本書に登場するバラバラの10人に多かれ少なかれ読みながら勝手に親しみを感じた。10人のひとり暮らし生活が本書では何も足さず、何も引かずにありのままで描かれている。「会ったことも無い彼ら、彼女たちだが。確かに同じ時代を生きている」そんな感覚を得られる一冊だった。

 最後に蛇足だが、筆者は本書の著者である蜂谷氏に最近お会いする機会があり、本書のお話も伺うことができた。僭越ながら「都内在住の外国人を対象にした取材をしたら面白そう」と無責任な提案もしたのだが、仮に本書の続編が出る場合、実現の可能性はあるのか気になるところである。

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