モグライダー・芝大輔が語る、“こだわり”のない仕事論「令和ロマンがテレビに出ようが出まいがどうでもいい」


モグライダー・芝大輔のエッセイ本『煙太郎』(KADOKAWA)が10月16日に発売された。書籍には、芝が自身の内面を包み隠すことなく記したエピソードが数多く収められ、22年の芸人人生をともに振り返ることができるようになっている。今回は芝に著書への思い、そして自身の立ち位置について話を聞いてみた。
こだわってない風の顔をしたかった(笑)
――最初にエッセイのタイトルとなっている『煙太郎』の意味や経緯を教えて下さい。
芝大輔(以下、芝):僕はそればっかりやる人のことを「◯◯太郎」って呼んでいるんですけど、自分が言われるとしたらタバコばっかり吸うんで「タバコ太郎」か「煙太郎」かなと思って。あと、僕をすごくかっこよくしてくれようとしているのを感じていて、ありがたいんですけど、自分としてはできるだけかっこよくならないようにタイトルを「煙太郎」にしようと思いました。エッセイが出ると決まって地元に帰ったときに「けむたろうないの?」と言われたり、周りは好きに呼んでいたので、これくらいでいいのかなと。とにかくあんまりこだわってない風の顔をしたかった(笑)。
――正式な呼び方は「けむりたろう」なんですね。
芝:そうですね、自分ではそう言っていました。焼肉屋みたいになっちゃいましたけど。
――文章で自分を表現することは普段のお笑いとはまた異なると思いますが、どのあたりに違いを感じましたか。
芝:普段は本も読まないですし、字を書くこともほとんどしない。だから、喋るより書くほうが、自分がどう思っているかをすごく確認しながらやるなと思ってそれは楽しかったですね。喋るだけのほうが楽なんですけど、「そういえば自分でそう思ってるか」とわかり、書くときは考える時間があるのでそれは助かりましたね。
――時間があるぶんだけ書き方なども気を使いますよね。
芝:そうですね。見つめ直すことが絶対に出てくるので、それは普段は意識しないとなかなかできないことですよね。これを書いている間は、そのために思い出していたこともあったので喋るのも楽になりました。
――エッセイでは芝さんがまっすぐ思いを書きつらねていると感じました。笑いにしない怖さや恥ずかしさなどはなかったのでしょうか。
芝:ありましたね。もっとわけわかんないものにしようと思えばできたんですけど、芸風や立ち位置的にもそれを俺に求めていないだろうなと思ったんです。かといって、どれだけの人が俺の話をまともに聞きたいかと不安でもあった。でも、一回ちゃんと自分のことを知ってもらわないと、どうにも次に転んでいかないので、その一歩目をやるのにちょうどいいかなという思いはありました。テレビだと見る人によって印象も違うと思うので、こういう人ですとふざけずやってみましたね。

――エッセイの中には思考が透けて見えるようなエピソードが数多くありました。トピックは普段から考えていることなのか、どのように見つけてきたものなのでしょうか。
芝:最初はテレビですよね。昔からテレビばっかり見てきた子だったので、テレビに関するなにかを書いてみませんかという話をいただきました。番組見てそれの感想を書くならできるかなと。タイミング的に最初はM-1グランプリがあったので、1個目はそれを書きました。それ以降はあまり縛りもない感じでやらせてもらっていました。
――ひとつのテーマについてはどれくらい時間をかけていたのでしょうか?
芝:2週間に一回出して、最後は1週間に一回でしたね。途中からテーマがなくなってくるというか、ぱっと思いつかなくなってきて。「今週分ありますか」って連絡が来てから書いたときもありました。ネタ出番までにばーっと書いたんですけど、そのときのは明らかに文字数が少ないのでわかると思います(笑)。
――執筆スタイルはスマートフォンでしたか。

芝:最初は久々に字を書こうと思って、原稿用紙買いに行ったんです。でもやってらんないっすね(笑)。どっちみちスマホでメモって後で原稿に書くくらいなら、スマホのまま送らせてもらおうと思って。パソコンも使えないですしね。自分ができるやつで、どこでも書けるのがスマホだったのでそれになりました。
――ちなみに編集さんから指摘されて書き直しなどはありましたか。
芝:あんまりないと思います。ただ、ばーっと書くので自分の意見があっちこっちしているなというのはありました。あれもこれも書きたいとなって何言いたいかわかんなくなってきたかもというときにも、毎度「大丈夫ですよ」と言ってもらっていました。わかりやすくなるような細かい言葉はお任せして、だいぶ助けてもらいました。
――先ほど「かっこよくしてくれようとしている」という話がありました。かが屋の加賀さんもカメラマンを務めていますが、撮影の際のエピソードなどはあるでしょうか。
芝:撮影をやるときにタバコを吸えるハウススタジオを探していただいて。メイクに入ったらメイク中にも「どうぞ」って灰皿が置いてあって。1日で一箱くらい吸ってこの日でだいぶ寿命を縮めましたね(笑)。加賀が「めちゃめちゃ良いもの撮れました」と言ってくれて、僕としては恥ずかしさもあるんですけど、ここまでいったらおもろいかなと思って。かっこよすぎたらおもろくなるだろうというので、途中から吹っ切れてやりましたね。
――エッセイでありながら写真もたくさんありますよね。
芝:90ページね。それで持つなら我ながら大したもんだなと思います。
あんまり真剣に見ないでくれと思います(笑)

――相方のともしげさんを「地球」と例えています。最初の印象と今の印象を改めて教えて下さい。
芝:最初に会ったときはかわいらしいと思っていたんですけど、組んでみて色々知ってやばいかもみたいな。今になってみんなそう思っているんだろうと感じるんです。テレビに出るようになって1週目は「かわいい」と。営業行ってもお客さんがかわいいと言うんですけど、「人んちの子だからかわいいって思うんですよ。毎日だったらたまんねえよ」と都度言っています。知れば知るほど楽じゃないしたまに恩恵もあるので、地球ってそういうものじゃないかなと。住みやすいと思って住み始めたんですけど、噴火もあれば台風もあるし、それはしゃあないしそういうもんだからって感じですね。あいつに限らず全員そうですし、それは言いっこなしかなと。でも、15~16年経ってどう考えても仕事量に差が出てきていて、今はちょっと距離が空きすぎているかもしれないです。
――芸歴22年、芝さんは上の方の世代になっていますよね。若手からなにか言われることはありますか。
芝:若手や後輩からは言葉の選び方とか言われていましたよ。この前もドラマに出て、妹役で出てくれた瞳水ひまりちゃんとすごく仲良くなったんです。歳が20個くらい違うんですけど、「そんなこと言っていたら炎上して5年以内に消えます」とずっと言われていました。でも、こう言ったら野暮ですけど、それも込みで笑ってくださいよと。お笑いって本当にそう思っているわけじゃないけど、全くゼロでもないことを誇張して言っている面があるので。全部その場だけのものなのであんまり真剣に見ないでくれと思います(笑)。

――芝さんは若手やテレビ業界についてなにか思うことはありますか。
芝:僕は令和ロマンがテレビに出ようが出まいがどうでもいいし、漫才がうまかったから評価されたわけですから。年取ってきてテレビに全部出たいとももう思わないし、食レポなんてしたいと思ったこともない。みんなは「仕事選ぶなよ」と言いますけど、選んだほうが絶対いいですからね。ある程度は選ばないと、あれもこれもやってくれると思って、スタッフさんも頑張ってくれなくなりますし。とにかく僕の考え方は極端に取られるタイプですけど、わざと極端に言っていますよということだけは知っててほしいです。俺のほうがよっぽど融通ききますよ(笑)。
――今後、芝さんとしては番組サイドにどう思われ、活躍していくのが理想と考えているでしょうか。
芝:本にも書きましたけど、自主性がないタイプなので、頼まれたらそれなりにはやるという感じですね。理想としては、「この人が来たから助かった」と思われるところまで行ければいいかなと。モノ作るタイプでもないし、今までにない新しいお笑いをみたいな高尚な感覚でやってもないので、気の良い電気屋のお兄さんくらいに思ってもらえるといいですね。たまたま司会を頼んだら上手にやってくれたみたいなね。
――では、最後に芝さんがこうなりたいと目標にする人はいますか。
芝:うーん、なれるなれないは別として、所(ジョージ)さんとかノリさん(木梨憲武)みたいになれたらとみんながよく言うじゃないですか。でも、僕自身がそこまでまだピンと来ていなくて。もうちょっと仕事もしたいし、しんどい思いもしたいけど、結局は楽したい人間なんです。となると、そんな甘い考えで成功している人はいないので、どこまでごまかせるかなって感じです(笑)。省エネでどこまで上まで行けるか、この状態で紅白の司会まで行けたら勝ちかなと。
こだわりがあんまりないんですよね。でも、内村さん(内村光良)はひとつの理想形かもしれないです。好きにやってよと振る舞いながら、自分はちゃんとお笑いもやっていて、とんでもない過去があるのにそう思わせない。事務所が一緒ですけど、お会いするたびにすごいなこの人と思いますね。


























