研究者たちは「怪異・妖怪」をどう捉えた? 歴史や文芸など多種多様なアプローチで読み解く『怪異・妖怪学コレクション』

2025年4月から9月にかけて、河出書房新社から『怪異・妖怪学コレクション』全6巻が刊行された。これは2000年から翌年にかけて同社から刊行された小松和彦責任監修『怪異の民俗学』全8巻の続編ともいうべきシリーズであり、民俗学のみならず、様々な分野から2000年以降の怪異・妖怪関連の主要な研究論文を集めたアンソロジーとなっている。
現在、怪異・妖怪に対して、各分野の研究者たち、そして在野の研究者たちが様々な形でアプローチを行っている。かくいう筆者も在野の人間のひとりだ。そして、このシリーズはそんな在野の研究者、探求者にとっても、非常にありがたいアンソロジーでもある。

しかし学問的に妖怪を研究するのであれば、そうはいかない。妖怪の定義自体があやふやでは、それについて考察したり、研究することはできないからだ。そして古くからこの「妖怪とは何か」という難題に多くの研究者たちが挑んできた。その研究を集めたものが本シリーズの第1巻だ。怪異・妖怪研究の論考を集めたシリーズの最初としては、これ以上なく相応しい内容だろう。
第2巻は「歴史の中の怪異・妖怪」と題されている。現在、怪異・妖怪と呼ばれるものたちは民俗学や文化人類学の中で扱われる、と考えられがちだが、実はそんなことはない。例えば日本の歴史の中で、怪異・妖怪は多くの役割を果たしており、古代から残る多くの記録の中にも存在していて、歴史の表舞台にも度々顔を出す。同書では歴史学を中心に、文学や芸能などに関する研究の中で時代が反映されている論考を、古代から近代まで歴史区分ごとに収録している。奈良時代、平安時代には既に存在していた鬼や物怪を巡る考察、社会そのものに影響を及ぼす怨霊、仏教と関わりの深い天狗、能の中で盛んに描かれた幽霊、近世になって大きく変化した妖怪文化など、その時代時代における怪異・妖怪の在り方を知るためにはうってつけのアンソロジーである。
第3巻は「現代を生きる怪異・妖怪」だ。妖怪とは必ずしも過去にのみ存在しているわけではなく、現代の人々が語る伝承や娯楽の中にも数多に登場している。筆者は『日本現代怪異事典』という事典を書いたことがあるが、実際、都市伝説や学校の怪談、インターネット上で語られる怖い話であるネットロア、また実話怪談や心霊映像、心霊写真など、様々な場面において怪異・妖怪と見なせるものが現代の中にも数多く生き残っていることを実感した。加えて、近代以前から伝わる妖怪たちが、現代において幅広く活躍しているのも確かだ。
この第3巻では学校の怪談やケサランパサラン、現代における幽霊や心霊スポットなど、現代人の間に伝わるものたち、ネットロアについての論考、そして町おこしやアマビエを始めとしてコロナ禍で流行した予言獣についての論考が載る。怪異・妖怪とは前近代的なものと考えられがちなものだからこそ、現代という最新の時代に生きている彼らの姿を覗き見ることで、新鮮な知見を得ることができる。
第4巻は「文芸の中の怪異・妖怪」だ。先述したように、怪異・妖怪は伝承や伝説など明確な創作者のいない状態で生まれるとは限らない。文学作品、美術作品などにおいて特定個人によって創作されることもあるし、民俗に伝わる怪異・妖怪が文学作品の中に登場したり、絵画によって姿が与えられることもあった。また能や歌舞伎といった芸能は、怪異・妖怪たちの主要な活躍の場のひとつだった。さらに、そういった文学、美術、芸能の中で描写された怪異・妖怪が民俗に伝播することもあるなど、相互に影響し合っている。妖怪を知る上で文芸はとても重要だ。
本巻では、幽霊や鬼、狐などが過去の物語、絵画などにおいてどのように描写されてきたのかについての論考が多数収録されている。「狐」の章で取り上げられる玉藻前は、室町時代に誕生した平安時代を舞台にした絶世の美女に化けた狐の物語だが、江戸時代になって大きく脚色され、現在よく知られた九尾の狐の物語となった。本巻と中世と近世、いずれの玉藻前についての論考も収録されている。「土蜘蛛」の章では同じく室町時代に成立し、平安時代を舞台に語られる土蜘蛛の物語についての論考が載る。他にも幽霊や鬼の造形についてであったり、説話集や怪談集を通して特定の場所に現れた怪異・妖怪についての考察などもあり、文芸を通しての怪異・妖怪論が多岐に渡って収録される。これを読めば、文芸と怪異・妖怪がどのような関係にあるかが見えてくる。
続く第5巻は「娯楽としての怪異・妖怪」だ。近世、つまり江戸時代以降、怪異・妖怪は庶民の娯楽としても発展してきた。先述したように、文学、芸術、芸能の分野には多くの怪異・妖怪が登場したし、遊びの中に妖怪が取り入れられた例も多い。さらに現代では小説、映画、マンガ、コンピューターゲームなど、あらゆる大衆文化の中に妖怪たちがところせましと活躍している。そういう意味では、現代は怪異・妖怪たちの全盛期といえるかもしれない。現代人にとっての怪異・妖怪へのファーストコンタクトも、そんな娯楽作品である場合が多いのではないだろうか。
この第5巻は、そんな近世以降に発展した怪異・妖怪の娯楽文化についての論考が掲載されている。江戸期から現在にいたるまで、人々はどのようにして怪異・妖怪を楽しんできたのかを理解するのに非常に有用だ。加えて、同巻に収録された京極夏彦の「通俗的『妖怪』概念の成立に関する一考察」は、我々現代人にとっての妖怪概念がどのように成立したのかについての考察であり、特に娯楽や創作から妖怪に興味を持った者にとっては、自分にとっての妖怪概念を見つめ直すという意味でも非常に読む価値は高い。
第6巻は「怪異・妖怪の博物誌」だ。博物誌とは西洋で生まれたもので、動物・植物・鉱物の三界に渡る事物を集め、分類、整理していく学問だ。ただし、日本の博物学の源流は中国の本草学にあり、近世以降に大きく発展した。現在、博物学は様々な学問に細分化されており、その研究成果をまとめたものである「博物誌」という言葉も限定された場面でしか使われなくなったが、怪異・妖怪の博物誌というと、妖怪事典や妖怪図鑑と呼ばれる書物など、ある意味では我々に非常になじみ深い形で残っている。これらについては、博物学が学問として消えた現代において娯楽のひとつとしても大きく発展した。また怪異・妖怪を収集し、整理、分類する方法は、学問的な研究の場においても広く行われている。怪異・妖怪の愛好家であれば、一度は国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」や「怪異・妖怪画像データベース」のお世話になったこともあるのではないだろうか。
そして本巻でも、怪異・妖怪を収集、整理、分類し、論考した研究を中心に納められている。研究者たちがどのように博物学的方法によって怪異・妖怪を見定めてきたのか、そのそれを知ることは、これから多くの怪異・妖怪たちに挑もうという在野の人間にとっては、とても心強い経験となる。
このように、『怪異・妖怪学コレクション』は、多種多様な視点から怪異・妖怪の世界を覗くことができる貴重なシリーズだ。ありがたいことに本シリーズの各巻の冒頭にはそれぞれの研究分野に関わる総論が掲載されており、各分野における怪異・妖怪研究の歴史や概要がそれを読むだけでもある程度理解できるようになっている。
もちろん、初めは興味のある分野から手に取ってみるのが良いだろう。しかし、妖怪の世界により深く入り込んで行くのであれば、このシリーズの他の巻も読んでみてほしい。
在野の研究者というのはある意味とても自由な存在だ。その一方で、どのように調べ、進んで行けば良いのか分からなくなることも多い。それゆえ様々なテーマから怪異・妖怪が論じられたこのシリーズは、怪異・妖怪という複雑怪奇かつどこまでも深く繋がる道の中で、その人ならではの道を進むための指針を示す大きな助けとなってくれる書籍たちでもある。
妖怪という概念に迫ってもいいし、歴史の中の怪異・妖怪の役割を追ってもいい。文学や絵画に描かれた妖怪を入口にしてもいいし、現代の小説や映画、マンガなどの娯楽作品からアプローチしてもいい。様々な怪異・妖怪を集めて並べてみるということもできる。
しかし、どのような形で怪異・妖怪に触れる場合も、ひとつの分野だけで妖怪を考えようとしても、中々その全貌を掴むのが難しい。そんな時、このシリーズが一式手元にあれば、他の分野からどのように怪異・妖怪が探求されてきたのかをすぐに調べることができる。どれも各分野の専門家が選んだアンソロジーであり、怪異・妖怪を研究するのであれば読んでおきたい論考が集まっている。
そして多くの視点から怪異・妖怪を眺めた後、再び自分で彼らにアプローチする時、そこには以前よりもはっきりと、怪異・妖怪の輪郭が捉えられるようになっているはずだ。






















