宮﨑駿『風立ちぬ』のモデル・堀越二郎と零戦の“虚像”とは? 航空・軍事史研究者に聞く、知られざる実像

最新研究で解き明かす堀越二郎と零戦の実像

■最新研究で見えてきた堀越二郎と零戦の実像

──とにかく武装が強力だった、という理由は強いですよね。

古峰:あと、単純に零戦って速い飛行機なんですよ。『発達史』のほうにも書きましたが、意外にも雷電よりも高空性能がいいし、条件によっては紫電より速い。これは非常に重要なことです。そもそも、当時の戦闘機の実際の速度というのは、一般に流布されている情報とはちょっと違うんです。たとえばドイツにはメッサーシュミットBf109という戦闘機があって、これは最高速度が650キロを超えていて、それに比べれば零戦の最高速度は100キロ近く遅いという話があります。ただ、これは同じ条件で比較したわけじゃないんです。Bf109の最高速度というのは敵の戦闘機から逃げる緊急時に最大ならこれくらい出せるというものであって、最大でも10分ほどしか維持できない。これに対して零戦の戦闘馬力を比較すると、そこまで大きな差がない。この優れた速度性能というのも、終戦まで零戦による空中戦が成り立った理由だと思います。

──ただ、零戦の速度性能や機動性に関する話というのは、俗説も多いですよね。

古峰:よく言われているのは、「零戦は登場してすぐの一一型や二一型のころは大変軽快で操縦者の意のままに動く大変素晴らしい戦闘機だったけど、改良を繰り返すうちに鈍重になって速度も落ちて、でも後継機がないから老骨に鞭打って頑張った」みたいな話ですね。これが実はそうでもなくて、計画的に能力向上を狙っていたんですよ、という話は『発達史』に書いています。あと、いまだに根深く残っているのが、「零戦は宙返りや垂直旋回(バンク角を深く取って水平方向に曲がる機動。宙返りを横倒しにしたような動きとなる)といった機動を使った、格闘戦が強かった」という誤解です。

さまざまなデータや研究から零戦の実像を解き明かすための図版が豊富に使用されている。『なぜ?から始まる零戦開発史』の紙面より

──よく言われていますね。旋回性能を生かしてドッグファイトで戦った……という。

古峰:そうした認識は正しくありません。実際に中国大陸で最初期から零戦を運用していた第十二航空隊が零戦の戦い方を研究して、ノウハウを残しています。ここのパイロットは早くから実戦を経験したことで海軍戦闘機隊のリーダー格になって、部隊を率いたり新鋭機の試作を指導したりしながら、零戦の運用方法を育てていった人たちです。彼らが生み出した零戦の戦い方というのは、基本的に「急降下と急上昇を繰り返して、速度と上昇力を利用して戦え」というものなんですよ。

図版だけではなく戦時中に撮影された零戦の飛行中の画像も掲載されている。『なぜ?から始まる零戦開発史』の紙面より

──確かに、従来のイメージとは違う戦い方ですね。

古峰:そうなんです。クルクル回って敵の後ろを取って……という戦い方ではないんですよ。急降下しながら敵機を攻撃して、その速度のまま操縦桿を引いてズーム上昇して高度を稼いで、また敵機に突っ込むような戦い方です。じゃあなんでのちの有名パイロット、特に昭和16年以降に零戦に乗った人たちが「捻り込み」のような名人芸を重視する格闘戦至上主義者になってしまったのかというと、これは零戦の強度問題が絡んできます。かいつまんで言うと、昭和16年4月に横須賀で零戦にとって二度目の空中分解事故が起きて零戦の育ての親とも言える下川万兵衛大尉が殉職してしまいます。これは大問題になり、零戦は全機が急降下制限速度を大幅に制限されてしまい、問題が解決する開戦直前まで急降下を主体とする戦術が使えなくなってしまいます。高速での急降下ができないために昭和16年に零戦に乗り始めた搭乗員は旋回性能を頼りに戦わざるを得なくなるんです。「格闘戦至上主義」は海軍戦闘機隊の伝統という訳ではないんです。このあたりのことは、『開発史』のほうに詳しく書いているので、ぜひ読んでいただければと思います。

──しかし、どうして零戦だけがこれらの俗説が広まるほど高い知名度を持つようになったのでしょうか?

古峰:これは海軍航空関係者の力が働いています。戦後に堀越二郎さんが書いた『零戦――その誕生と栄光の記録』という回想記が出版されていますが、これは本当は海軍の航空本部が陸軍は加藤隼戦闘隊の加藤建夫戦隊長を軍神として宣伝していましたから海軍はそれに対抗するために「技術の海軍」として、零戦について設計者である堀越二郎が語る……みたいなものを作ろうとしたんです。ところが色々あって山本五十六元帥が戦死して海軍にも国民的知名度のある「軍神」が生まれたことで、戦時中の「零戦」出版計画は流れてしまうんです。戦後に出版された「零戦」はこうした「技術の海軍」宣伝企画の復活ともいえます。

──そんな経緯があったんですね。

堀越二郎が試作機を手がけた烈風の写真。『どうして?で読み解く零戦発達史』の紙面より

古峰:一方で堀越さんは堀越さんで、新型機である烈風の試作で海軍と対立して、戦時中ではちょっと考えられないような強い言葉を書類にして提出したことが原因で、昭和20年に入ってからは戦闘機設計から外されてしまう。そこで堀越さんと海軍は疎遠になってしまいますが、戦後に海軍航空関係者から謝罪して改めて海軍の航空技術を伝えたいということで、『零戦』という本が出たわけです。しかも堀越さんは戦後は民間の技術者として三菱に籍を置いていましたから、その立場で戦闘機のことを書くと何かしら抵抗があるかもしれないと言うことで、海軍の軍人だった奥宮正武という人が共著者としてアサインされている。そこまで念入りに準備して、零戦についての本を出しているんです。さらにその後、吉村昭や柳田邦男といったノンフィクション作家も零戦についてのドキュメンタリーを書いて、これが零戦の知名度を決定的にしました。

──元海軍関係者による戦後のプロモーションが、ばちっとハマったわけですね。あとはやはり、零戦のあの見た目というか、スマートな機体の形状も人気の要因かとは思います。

古峰:やはり飛行機の好き嫌いというのは、外観に左右されるところは大きいですね。零戦にしても、要求性能に応えるためのスマートな姿は魅力のひとつだと思います。ただ、零戦がかっこいい姿になったのはある意味偶然なんです。というのも、私も製作に協力した「十二試艦戦の第一号機」のレプリカが岐阜の各務原にある航空宇宙博物館に展示されているんですが、これを見るとなんだか寸詰まりであんまりかっこよくないんですよ。この試作機の失速特性が悪くて、その改善のために胴体を伸ばして改良したら、あのスマートな零戦のシルエットになったんです。

──本当に偶然の産物だったんですね……。それこそ『風立ちぬ』あたりを見ていると、ああいった形状は堀越さんのセンスで生み出されたような描かれ方でしたが。

古峰:機体の尾部を尖らせるのは堀越さんの好みだと言う人もいますが、単純にそうしたほうが抵抗が小さくなると考えられたんです。『風立ちぬ』は完全にフィクションで史実とは全く異なる作品ですが、当時の雰囲気をよく捉えた傑作ではあります。堀越二郎を温和で理性的な人物として描きながら、現実の堀越二郎が持っていた激しく攻撃的な性格を同僚の本庄季郎(一式陸攻の設計者)に分担させて描くなど、作劇的にも見事な演出が見られます。さらに堀越さんが持っていた航空機設計者としての過激な情熱をも匂わせていますよね。

──実際の堀越さんというのは、『風立ちぬ』の人物像とはちょっと違うんでしょうか。

古峰:堀越は「自分が日本の航空機技術を背負っているんだ」という強い気持ちが強いんです。そうでないとやっていけないポジションにいた人でもあります。そのため後輩や同僚が親しみやすいタイプではなく、ある意味、自分にも他人にも平等に厳しい孤高の存在ではなかったかと当時の記録から想像しています。

──『風立ちぬ』の堀越二郎とはだいぶ違うというか。ではそういった、『風立ちぬ』などをきっかけに零戦に興味を持った人に対して古峰さんの『開発史』と『発達史』を推すとしたら、どのあたりがポイントになるでしょうか?

古峰:少しでも零戦について知っている人でしたら、まず目次を見ていただければと思っています。『開発史』も『発達史』も各章ごとに独立したコラム形式の文章を集めた本なので、目次を見て気になったトピックがあれば、まずそこだけ読んでいただける形になっています。例えば「零戦でよく問題になる防弾防火装備について知りたいな」と思えば、『発達史』のほうの19章だけ読んでもらえればいい。知りたいところをスポット的にパッと見て、拾い読みしてもらえればと思っています。

──興味のある部分がすぐにわかる構成になっていますね。それでも、零戦の通説について知っている人だったらけっこうびっくりするようなことも書かれているので、知識を上書きされる楽しさが味わえました。

古峰:そうですね。全部熟読していただいてももちろんありがたいんですが、自分の興味のあるところだけを読んで、読んだ内容を持ち帰って話題にしていただければありがたいです。それによって、色々と零戦についての話題がひろがっていけばいいなと思っています。

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