宇宙飛行士の能力と難易度は? 人気漫画『ありす、宇宙までも』の描写から考察

宇宙で過ごす環境はどれほどハードルが高いのか。前回の記事では少女が日本人初の女性宇宙飛行士船長になるまでを描く人気漫画『ありす、宇宙までも』(小学館)から考察した。今回も『ありす、宇宙までも』の描写を中心に宇宙飛行士に求められる能力と難易度を考察していきたい。
宇宙飛行士の環境はどれほど過酷? 藤本タツキ、絶賛の漫画『ありす、宇宙までも』の描写を交えて考察
少し前のニュースだが、売野機子(著)『ありす、宇宙までも』(小学館)が本年(2025年)のマンガ大賞に選ばれた。『チェンソーマン…■宇宙飛行士に求められる能力 達成困難な目標の象徴「コマンダー」

宇宙関連の取材を専門としている宇宙ライターの井上榛香氏は自身の著書『宇宙を編む: はやぶさに憧れた高校生、宇宙ライターになる』で宇宙開発を取材するという行為の所感を下記のように記している。
「宇宙開発を取材して原稿を書くには、工学やサイエンスのほか、政治、国際関係、安全保障、歴史、法律、ビジネスなどの知識が求められ、まるで総合格闘技みたいだ。どれだけ勉強しても知らない専門用語や略語が湧いてくる」
取材する側がそれだけ多方面の知識に通じていなければならないということは、取材される側にはそれ以上の知識が求められるということだ。以下は2021年度のJAXA宇宙飛行士候補者募集要項の抜粋である。
評価する特性
(1) 宇宙飛行士の職務に対して、明確な目的意識と達成意欲の強さ
(2) 宇宙飛行士に求められる任務・訓練に耐えうる健康状態
(3) STEM分野の知識や論理的思考力、円滑な意思の疎通が図れる英語能力とともに、教育や実務経験等の中で取り組んできたことにおける専門性
(4) ミッション遂行能力(自己管理、コミュニケーション、状況認識、リーダーシップ、問題解決、チームワーク、マルチタスク等)とともに、緊急事態にも迅速かつ的確に対処する能力
(5) 様々な業務環境及び技術や社会の急速な進歩・変化に適用するために、必要な身体能力及び精神心理的適応性・強靭性を有するとともに、未経験の知識や技量を速やかに習得する能力及び未経験の作業に対して自分の知識や技量を柔軟に活用して対応する能力
(6) 日本人としての誇りを持ち、人文科学・社会科学分野を含む広範な素養・知識を有し、並びに自分と異なる文化・伝統・価値観等を有する者に対する敬意を払う国際的なチームの一員にふさわしい態度
(7) 自らの体験や成果などを外部に伝える豊かな表現力と発信力
(8) 国内・国際社会で求められる高いコンプライアンス意識
かつて宇宙飛行士候補者の募集要項はもっと条件が厳しく「大学卒以上(自然科学系。理学部、工学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部等)」「自然科学系分野における研究、設計、開発、製造、運用等に3年以上の実務経験」が必須だったが、その条項は最新の募集要項から削除された。その結果、2008年度の宇宙飛行士候補応募総数963人から最新の2021年度では応募総数4127人に激増した。最終的に選ばれたのは2人。その倍率、実に2000倍以上である。エリートぞろいのGoogleですら採用倍率は500倍程度である。単純計算すると宇宙飛行士候補生になるのはGoogleに就職する4倍難易度が高いのだ。加えて宇宙飛行士候補生はJAXAに採用されてから最低でも2年以上の訓練を受ける。
その後、宇宙飛行士としての活動に必ずアサインされるかというかそうではない。中には宇宙に行くこと無く終わってしまう候補生もいるのだ。その確率がどの程度かわからないが宇宙飛行士候補生になる倍率2000倍に加えて、候補生から宇宙飛行士になるのにもくぐらなければならない関門があるのである。これで宇宙飛行士なる難易度がいかに高いかはお判りいただけるだろう。
■コマンダーになるための難易度は?

加えて『ありす、宇宙までも』主人公・朝日田ありすは第1話の冒頭で「史上初の日本人女性の船長(コマンダー)」に就任したと描写されていたが、その高倍率を勝ち抜いたエリートぞろいの宇宙飛行士の中でもコマンダーは特別な地位にある。JAXA有人宇宙環境利用ミッション本部 有人宇宙技術部 部長を務めていた柳川孝二(著)『宇宙飛行士という仕事 - 選抜試験からミッションの全容まで』によるとISS(国際宇宙ステーション)参加国間の取り決めである「ISS搭乗員の行動規範」にコマンダーについて「搭乗員全体の指揮者であり、統合されたチームを作り上げ、ミッションの準備・軌道上運用・成果の取得に責任を負う」との記述があるそうだ。さらに「通常の宇宙飛行士に求められる資質・能力より一段上のものがコマンダーに求められることが分かる」と柳川氏は見解を示している。宇宙飛行士になることがまず極めて難易度の高い目標だが、コマンダーはその中でも最難関であるというわけだ。
『ありす、宇宙までも』と同じく宇宙飛行士を題材としたマンガ『宇宙兄弟』の主人公・南波 六太(ムッタ)は最初から宇宙飛行士を目指しており、宇宙飛行士候補者に応募するために必要な経験をすでに積んでいた。『宇宙兄弟』の物語の舞台は一貫して宇宙開発業界であり、舞台を別のものに置き換えたら話は成り立たなかっただろう。
それに対して『ありす、宇宙までも』のありすはまだ中学生で何者でもない。「宇宙飛行士でコマンダー」は「達成困難な目標の象徴」のようなもので、「総理大臣」や「ノーベル賞受賞」でも物語は成立しただろう。宇宙飛行士候補生になるのにまず倍率2000倍の競走を勝ち抜かなければならないが、イタリア出身の宇宙飛行士サマンサ・クリストフォレッティ氏が欧州出身女性として初めてコマンダーに就任したのがつい最近(2022年)のことである。歴代でも女性のコマンダーは数人にすぎず、「達成困難な目標の象徴」としてこれ以上にふさわしい例は存在しないのではないだろうか。





















