『チ。―地球の運動について―』の結末はなぜわかりにくい? 「迷信との戦い」を超えた先にある景色

※本稿は『チ。―地球の運動について―』最終巻までのネタバレを含みます。
斬新なテーマと壮大なストーリーによって、多くの人を夢中にさせた魚豊のマンガ『チ。―地球の運動について―』。2024年10月から2025年3月にかけて放送されたTVアニメ版も、大きな話題を呼んだ。
しかし同作の結末については「何を伝えたいのかわかりにくい」と感じる人が多くいるようで、度々SNSなどで議論を巻き起こしている。そこで今回は終盤の展開について、あらためて考察を行ってみたい。
まず作品全体の流れをおさえておくと、物語の舞台となるのは15世紀の「P王国」。主流派の宗教「C教」が異端の人々を厳しく迫害している世界にて、「地動説」を信じる人々の物語が描かれていく。
たとえば第1章の主人公は、若干12歳にして飛び級で大学進学が決まっている天才少年・ラファウ。彼は周囲から神学の道に進むことを求められていたが、自身は天文への情熱を捨てられずにいた。そこである日、異端者として投獄されていた男・フベルトに出会い、「地動説」の宇宙モデルを教わる。
元々ラファウは合理的に賢く人生を生きるスタンスだったが、“知”に触れて感動を覚えたことで考え方が大きく変わることに。異端審問官・ノヴァクがフベルトを処刑した後、ラファウも標的にするのだが、彼は「地動説」を捨てることを拒否し、自ら命を絶つことを選ぶのだった。
かくして第1章の時点では、同作の物語は“信仰vs科学の戦い”といった様相を呈している。つまり非科学的な迷信に支配された中世の世界で、科学の精神に目覚めた人々が弾圧され、それでも“知”を愛する精神を未来へと受け継いでいく……というドラマチックな筋書きだ。
だが作者は、そのようなわかりやすい構造で物語をまとめ上げることをよしとはしない。大きな異変が起きるのは、移動民族の少女・ドゥラカを主人公とする第3章の終盤だ。
ドゥラカは異端を殲滅しようとするノヴァクたちの手をからくも逃れ、「C教」の司祭・アントニに接触。そこで「地動説は本当に異端なのか?」というすべての前提を覆すような疑問を投げかける。当初困惑していたアントニだが、“他の地域では弾圧の話は聞いたことがない”と思い至り、とある仮説を組み立てていく。
後ほど到着したノヴァクに対して、アントニが語った内容はこうだ。たまたま宇宙論に厳しい権力者が存在し、地動説の研究者たちが異端者として処刑されたことから、「地動説は禁忌だ」という物語が広まることに。そしてその汚れ仕事が教会外部の異端審問官であるノヴァクに委託されたことで、正当性が問われないまま弾圧が行われてしまった。すなわちこの地域で地動説の弾圧が起きた理由は、「ただの勘違いだった」というわけだ。
これはノヴァクにとってだけでなく、地動説の継承者たちにとっても残酷な事実だ。というのもラファウたちは、信仰が支配する中世の世界に生まれながら、科学的精神にいち早く目覚めた“早すぎた近代人”であるはずだった。だからこそ異端審問官との戦いは崇高な役目を帯びるのであって、もし戦いのなかで命を落とすとしても、それは人類の歴史を一歩先に進めるための尊い犠牲になるはずだった。
しかしノヴァクがこの時代の価値観を象徴する人物ではないと明らかになったことで、ラファウたちも“進歩の歴史”という物語の主人公ではいられなくなってしまう。今やすべては茶番となった。そこにいるのは勘違いで弾圧を行う異端審問官と、たまたま彼の犠牲になった人々だけだ。
アントニが口にする「君らは歴史の登場人物じゃない」というセリフは、まさにこのような事態を意味しているのではないだろうか。
だが、作者はこの地点で物語を終わらせず、さらにもう一方先へと踏み出す。最終章が謎に満ちた展開となったのは、おそらくこれが理由だ。