2003年、紅白歌合戦の視聴率を凌駕した格闘技ーー大晦日の“興行戦争”の裏側で起きていたこと

■2003年12月31日の異常事態

細田昌志『格闘技が紅白に勝った日 2003年大晦日興行戦争の記録』(講談社)

 昨年末も、さまざまな特別番組が放送された大晦日。歴史ある『紅白歌合戦』に対し各局が裏番組で対抗する様子は、テレビの存在感が薄れたと言われる現在でも、年末の風物詩となっている。

  そんな大晦日のテレビ番組に、異常事態が起こった年があった。それが2003年の12月31日に発生した、格闘技とそのテレビ放送をめぐる興行戦争である。TBSは『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』、フジテレビは『PRIDE SPECIAL 男祭り 2003』、日本テレビは『INOKI BOM-BA-YE 2003 〜馬鹿になれ夢をもて〜』を放送。3つの大型格闘技イベントの開催とそれを放送する特番が同じ31日に集中し、観客と視聴率を奪い合ったのである。

  一般的には『Dynamite!!』のメインイベントである「ボブ・サップVS曙太郎」での、曙の敗北ぶりが強く記憶されているであろうこの興行戦争。しかしこの2003年12月31日の戦いは、のちのちまで禍根を残した。『INOKI BOM-BA-YE』の視聴率が振るわなかった日本テレビは、主催者の川又に対して放映権料の2億円にのぼる減額を通告。この放映権料をめぐるトラブルは川又が日本テレビを訴える民事訴訟に発展し、数年がかりの裁判となった。

  このトラブルの中で、渦中の川又は『週刊現代』に告発を掲載。出場選手をめぐってPRIDEを主催するDSE(ドリームステージエンターテイメント)と揉め、その交渉に暴力団が介入したという衝撃的な経緯を明らかにした。この告発を受けてフジテレビはPRIDEの放送を停止。放映権料を得られなくなったPRIDEは存続が難しくなり、2007年にはアメリカの格闘技イベントであるUFCを主催するズッファ社に買収されて消滅してしまう。さらにPRIDE消滅の余波はK-1にも及び、2000年代初頭に盛り上がった格闘技バブルは大きくはじけた。

  前置きが長くなったが、この「勝者なき興行戦争」の裏側でなにが起こっていたのかを、詳細な関係者への取材と徹底したリサーチで描き出したのが、細田昌志の『格闘技が紅白に勝った日 2003年大晦日興行戦争の記録』である。

■格闘技は数字を持っている

  本書は2003年大晦日の興行戦争の裏面を書いた本だが、「なぜこのような事態が引き起こされたのか」を解き明かすため、大晦日のテレビ番組として格闘技が初めて放送された2001年まで遡って事態を解説する。この年の大晦日に放送された『INOKI BOM-BA-YE 2001』は、『紅白』の裏番組としては異例の高視聴率を獲得。「格闘技は数字を持っている」ということがテレビ関係者に広く知られることとなる。

 『格闘技が紅白に勝った日』では、翌年の2002年以降、格闘技イベントが巨大化していく過程がつぶさに語られる。格闘技ブーム以前に多くの日本人が知っていた「格闘」を伴う興行とは、すなわちプロレスである。しかし2000年代初頭の格闘技興行は、相撲部屋のシステムをベースとする日本のプロレス団体が行う興行とは大きく異なっていることが、本書を読めば理解できる。

  大きな差のひとつが、「団体ごとに放送するテレビ局が固定されていない」という点だ。昭和の昔、新日本プロレスであればNET(現在のテレビ朝日)、全日本プロレスであれば日本テレビというように、テレビ局とプロレス団体は強い結びつきがあった。しかし、2000年代の格闘技興行ではテレビ局と各格闘技団体との結びつきはゆるくなり、興行ごとに放映権料を支払って特定のテレビ局が中継を行なっている。「K-1であればこのテレビ局で中継する」というルールがないのだ。

  さらに、昭和のプロレスに比べると「特定団体に選手が所属する」という意識も薄い。客を呼べる外国人の有名格闘家はルールの異なる格闘技団体を行き来し、その行き来によって「〇〇が参戦!」「△△と××の対決が実現!」というニュースが生まれ、興行に足を運ぶ人が増える。こういった点が当時の観客にとっていかに新鮮だったかは、想像に難くない。

  これらのプロレスとの相違点もあってか、巨大化した格闘技興行には巨額の金が流れ込み、それを元手にして2002〜2003年の全期間を通じて団体・テレビ局・選手・プロモーターが入り乱れての大混戦を繰り広げる様子が、本書では語られる。出ていく金も入ってくる金も数億円単位、儲かるならばと、怪しげな人物も出入りする。本書に書かれた暗闘の数々はいずれもギラついたエピソードばかりで、20年前の格闘技業界の景気の良さにクラクラするばかりだ。

  この暗闘の中で、石井館長はなぜ逮捕され、ミルコ・クロコップはいかにして見出され、引退してもプロレスと格闘技に隠然たる影響力を持ち続けた猪木はどう振る舞い、そして「あの時期のボブ・サップ」の神がかり的な話題性がどう活かされたのか。本書にはその全てが書かれている。さまざまな思惑を抱えた登場人物たちが離合集散を繰り返し、選手を引き抜き合い、最終的に「TBSはK-1、フジテレビがPRIDE、日本テレビが猪木祭」という座組となって大晦日へとなだれこんでいく様子は、まさに一大ドラマだ。

■大晦日当日に起きていたこと

  さらに、大晦日当日の各イベントの様子を書いた章も必読だろう。特に『INOKI BOM-BA-YE 2003』のグダグダぶりは凄まじく、「会場は設営したものの誰もゴングを持ってきておらず、開催地の神戸付近でゴングを持っていそうな関係者に片っ端から連絡する」というエピソードには唖然とさせられた。他のイベントも、大晦日の一晩で髪が全部抜けそうなド修羅場が満載。格闘技のビッグイベントというのはここまで大変なのか……と、真顔になりながら読んだ。

  しかしそれにしても、著者の細田氏はよくもここまで書いたものである。なんせほんの20年ほど前の話なので、当時の利害関係者はまだ全然生きている。本書の中で、かなりキツい書かれぶり(事実だから仕方ないのだろうけど)で書かれている人物もいる。にも関わらずここまで裏事情を書ききった胆力たるや、尋常ではない。読んでいる途中では『Dynamite!!』を手掛けた谷川貞治の証言に偏りすぎている気もしたが、巻末で説明されている"ある事情"や、谷川が曙をリングにあげた人物である点も考慮すれば、彼がなかば本書の「主役」となっているのも納得である。

  というわけで、20年前の年末について記憶のある人には懐かしくも衝撃的、そして当時を知らない読者にとっても、ギラついた平成中期の格闘技業界のヒリヒリした空気を存分に伝えてくれる一冊だ。格闘技とは、興行とは、テレビとは何か。未曾有の興行戦争の顛末から、浮かび上がってくる答えを確かめてほしい。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「その他」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる