【解読『ジョジョの奇妙な冒険』】荒木飛呂彦はいかにして、あの独特なヴィジュアル表現に辿り着いたか[前編]

『ジョジョ』のヴィジュアル表現[前編]

 今回と次回は、2回に分けて、荒木飛呂彦の「絵」の変遷を振り返ってみたいと思う。誤解を恐れずにいわせていただければ、現在私たちが「荒木飛呂彦」という名を聞いてパッと思い浮かべるような、あの独特で「奇妙な」ヴィジュアル表現は、荒木がゼロから生み出したものではなく、彼が偉大な先人たちの作品の数々――すなわち、古今東西の絵画、彫刻、映画、写真、漫画などから受けた影響(と彼なりの試行錯誤)の上に成り立っていると考えた方がいいだろう。

第一回「“ジョジョ”という名の時代を越えたヒーローたちの誕生」
第二回「スタンドという“発明”ーー他に類を見ない表現と概念を考察」
第三回「ツェペリ、リサリサ、ブチャラティ……物語を動かす「メンター」たち」
第四回「岸辺露伴とは何者か――稀代のトリックスターを分析」

 まずは、初期の絵柄を振り返ってみよう。

 荒木飛呂彦は1980年、短編「武装ポーカー」にてデビューした(手塚賞準入選)。派手なアクション(銃撃戦)とアウトロー同士の心理戦(頭脳戦)を組み合わせたトリッキーな物語は、ある意味ではデビュー作にしてすでに、のちの「スタンドバトル」の“原型”を作り上げているともいえるが、こと「絵」に関しては、(当たり前の話だが)まだまだ発展途上である。

 ちなみに、デビュー前後の絵について、荒木は自著(『荒木飛呂彦の漫画術』)で、「デッサンなど絵の基礎をコツコツと勉強しながら(中略)大好きな白土三平先生や横山光輝先生の絵を真似してみるなど、様々な試行錯誤を繰り返して」いたと書いている。なるほど、デビュー作の「武装ポーカー」から「アウトロー・マン」、「バージニアによろしく」といった初期の短編群における荒木の絵は、彼がいうとおり、横山光輝や、(『サスケ』の頃の)白土三平らの影響を感じさせる、丸みを帯びた昔ながらの「漫画絵」である。

 ただ、そんな中でも、ややリアリズムに傾倒しているようにも見え、これは、緻密な劇画タッチになって以降の白土の影響もあるのかもしれないが、おそらくは、「少年ジャンプ」という発表の場の絵的なトレンドを意識してのことだろう。具体的にいえば、荒木自身影響を公言している、当時「ジャンプ」で人気を博していた『コブラ』の寺沢武一の絵柄を踏襲している(ように私には見える)。周知のように寺沢の絵は、アメリカン・コミックスのリアリズムと、従来の漫画絵が持っているケレン味が混在したものであり(※寺沢は手塚治虫の弟子だった)、のちに荒木が到達する絵柄の源流の1つといえなくもない。また、「当時のジャンプの絵的なトレンド」という意味では、同世代のゆでたまご(『キン肉マン』)の画風の影響も少なからずあるだろう。

 なお、漫画家に限らず、アーティスト全般の習作時代や活動初期における「他者からの影響」あるいは「他者の真似(模倣)」を、私は決して悪いものだとは思わない。その上で、荒木のように、「試行錯誤を繰り返して」“自分だけの絵”をゆっくりと作り上げていけばいいのである。

一連の「トレパク疑惑」について

 そういう意味では、ネット上で何かにつけて話題にされがちな、荒木の「トレパク疑惑」も、そうした「試行錯誤」を繰り返した結果(の1つ)といえるかもしれない。本稿は忖度なしの記事ゆえはっきりと書くが、いわゆる検証サイトなどでいまでも比較、確認できるように、かつて荒木が既存のファッション誌の写真などに似せて、漫画のカバー画やトビラ絵を描いていたのは事実だろう。

 ただ、(何点か疑問が残る「作品」はあるものの)私が見たかぎり、似せているのはあくまでもポーズや構図のみであり、果たしてそれらを「トレパク」といっていいかどうかは疑問である(少なくとも、ほとんどの絵は「トレース」はしていないように見える)。もちろん、元の写真を撮ったカメラマンや被写体となったモデルにはまた別の言い分があることだろうが、私としては、「オマージュ」や「パロディ」としては認められないが(なぜなら、「元ネタ」の多くが、「誰もが知っている有名な作品」というわけではないから)、「流用」ないし「参照(参考)」の範疇では許されるのではないかと思っている。

 強いていえば、メディア業界全般が、いまと比べて著作権や肖像権についての意識が薄かった80年代や90年代初頭ならいざ知らず、(それなりに権利関係について厳しくなっていた)2004年以降に描かれた『スティール・ボール・ラン』(「ジョジョ」第7部)でもそうした「流用」が認められるのは、いささか問題だとは思う(さらにいえば、「ジョジョ」第3部で既存のタロットカードの図像を無断で「使用」しており、これは実際に問題になり、のちに修正されている)。

時代のトレンドを貪欲に取り込んでいく姿勢

 話を荒木飛呂彦の絵の変遷に戻そう。その後、1983年「週刊少年ジャンプ」にて連載が開始した『魔少年ビーティー』が、荒木の長編デビュー作である(1982年にパイロット版の短編が発表されている)。

 余談だが、私はリアルタイムで同作の第1話を読み、「なんて面白い漫画が始まったのだろう!」と感動したものだが、残念ながら広い層からの支持は得られなかったようで、全10回で連載終了(単行本では全6話の物語として編集されている)。

 「絵」についていえば、リアリズム志向ではなく、どちらかといえば記号的で丸みを帯びた昔ながらの「漫画絵」への回帰が認められるが、これはたぶん、物語を構成する複雑で難解なミステリ要素を、キャッチーな絵柄で緩和させようという意図によるものだったかもしれない。

 いずれにせよ、荒木の絵についての試行錯誤は続き、1984年に連載が開始した『バオー来訪者』では――生物兵器同士のバトルに絵的な“説得力”が必要だったせいもあるだろう――(記号的な絵の要素も残しつつ)再びリアリズム志向が強まっている。より具体的にいえば、同作では、主人公やヒロインなどの美形キャラの描写にはしげの秀一(『バリバリ伝説』)の、武骨でおどろおどろしい敵キャラの描写には、永井豪や石川賢の絵からの影響が伺える。

 そして、1985年(~1986年)の『ゴージャス★アイリン』から、1986年末連載開始の『ジョジョの奇妙な冒険』第1部および第2部にかけては、(肉体表現から風景描写、擬音の書体に至るまで)明らかに原哲夫の絵からの影響が強まっていくのだ(そのピークは「ジョジョ」第2部の絵だろう)。

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