アニメ化続く日本で人気の「日常ミステリー作品」海外の古典的作品からルーツを考察

 ミステリーはフィクション作品における人気ジャンルの一つである。ミステリーだけに限定した文学賞は各国に数多存在し、毎年おびただしい数のミステリー小説、コミック、テレビシリーズ、映画、アニメが世界中で発表されている。世界最大のベストセラーは聖書だが、聖書に次ぐベストセラーと一説に言われているのはコナン・ドイルによるミステリー小説の古典「シャーロック・ホームズ」シリーズである。

  わが国でもミステリーは人気のジャンルだが、そこに特有の現象がみられる。サブジャンルの一つである「日常の謎(あるいは日常ミステリー)」の人気ぶりである。

米澤 穂信 (著) 『春期限定いちごタルト事件 小市民シリーズ』 (東京創元社)

  原稿執筆現在、米澤穂信氏原作の「小市民」シリーズがアニメ化され放送中であり、同原作者による「古典部」シリーズ、「京都寺町三条のホームズ」シリーズ、「ハルチカ」シリーズなどがアニメ化されている。人気コミック『ミステリと言う勿れ』にも日常の謎に分類し得るエピソードがいくつかある。さらに一つ付け足すなら筆者が制作・脚本を担当した映画、『階段下は××する場所である』も日常の謎を扱った作品である。

  さて、日本では大人気の「日常の謎」だが、実のところ明確に「日常の謎」に当てはまるミステリーのサブジャンルは英語には存在しない。敢えて言うならコージー・ミステリー(英:cozy mystery)がそれに近い。その特徴として下記のようなものがあげられる

・日常的な場面の謎を扱う
・小さなコミュニティを舞台としている
・探偵役は警察や私立探偵などのプロではない
・重大、深刻な事件(殺人、強盗、組織犯罪など)を扱わない

 「小市民」シリーズは「日常的な場面の謎を扱う=誰がハバネロソース入り揚げパンを食べたか?など」、「小さなコミュニティを舞台としている=主に学校が舞台」「探偵役は警察や私立探偵などのプロではない=探偵役の小鳩常悟朗はただの高校生」「重大、深刻な事件(殺人、強盗、組織犯罪など)を扱わない=殆どのエピソードで全く関りが無い」とすべての条件を満たしていることがわかる。

  同作者の人気シリーズである「古典部」シリーズもほぼすべての条件が同じであり、こちらも明確に日常の謎≒コージーミステリーに当てはまると言える。他、北村薫氏が直木賞を受賞した『鷺と雪』を含む「ベッキーさん」シリーズ、三上延氏の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ、松岡圭祐氏の「鑑定士Q」シリーズなど、日本の作家による日常の謎を扱った作品はシリーズ化されたものだけでもなかなかの数になる。今回は、日常の謎≒コージーミステリーのルーツに迫ってみたい。

■日常の謎≒コージーミステリーはどこから生まれた?

  エドガー・アラン・ポー、コナン・ドイルが活躍した初期の時代から、ミステリーは文学作品の中で一大メジャージャンルに勢力を拡大した。

  どこまでを「古典」とするか難しいところだが、強引に第二次世界大戦前までと恣意的に定義して、大戦以前に英米でデビューした推理作家の名前を挙げていくと、こういった名前が挙がってくる。

イギリス:G・K・チェスタトン、アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ
アメリカ:S・S・ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カー、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー

  とりあえず主だった名前を挙げてみたが、「ミステリーの必修科目」とも言えるような名前が並んでいる。ハメット、チャンドラーは初期のハードボイルド作家の代表例で少々イギリス勢と毛色が違う。では、この中に日常の謎≒コージーミステリーと呼べるような作品はあるのだろうか? 

  厳密にすべて当て嵌まるかは微妙なところだが、G・K・チェスタトンとアガサ・クリスティーについてはかなり好い線を行っているように見える。

G・K・チェスタトン (著), 中村 保男 (翻訳) 『ブラウン神父の童心 』(東京創元社)

  具体的に見て行こう。まず「日常の謎を扱う」だが、チェスタトンの代表作「ブラウン神父」シリーズの最初の作品『青い十字架』はまさにそれらしい始まり方をする。ブラウン神父は有名なフィクションのキャラクターだが、登場第一作である本作では、物語の終盤までほとんどセリフが無い。大物犯罪者を追ってきたフランス人の探偵ヴァランタンが物語の視点なのだが、ヴァランタンの行く先々でブラウン神父が奇行を繰り返し、それをヴァランタンが追いかけていくという形で進む。

  その奇行は「カフェで砂糖と塩を入れ替える」「八百屋の栗とオレンジの札を入れ替える」「レストランで必要以上に多くの金額を会計で払う」などで、深刻な事件性を感じさせない。日常の謎を思わせる導入の仕方である。ブラウン神父の登場作品では、『呪いの書』もこの項目が当て嵌まる。

アガサ クリスティー (著), Agatha Christie (原名), 中村 妙子 (翻訳)『火曜クラブ』 (ハヤカワ書房)

 クリスティの『火曜クラブ』も日常の謎的な導入で始まる。同作は一種の安楽椅子探偵もので、探偵役であるミス・マープルの家から一歩も出ることなく物語が進行する。そこに集まった人々が過去に起きた事件について推理を披露しあうという形式である。

 「小さなコミュニティを舞台としている」は『火曜クラブ』がはっきり当てはまる。登場人物はミス・マープルとその友人、親戚、知人のみである。

 「探偵役は警察や私立探偵などのプロではない」は両方に当て嵌まる。ブラウン神父はサセックス教区のカトリック司祭で、ミス・マープルは隠居した老婦人である。捜査機関に所属しているわけでも、私立探偵でも、保険会社の調査員でもない明確なアマチュア探偵である。

 「重大、深刻な事件(殺人、強盗、組織犯罪など)を扱わない」については少し厳しい。『青い十字架』は大物犯罪者の追跡が絡んでくるし、『火曜クラブ』が推理するのは殺人事件の真相である。『呪いの書』は日所の謎と言っていい事件を扱っているが、「小さなコミュニティを舞台としている」が微妙である。さらにさかのぼると「シャーロック・ホームズ」シリーズの『赤毛連盟』、『ライオンのたてがみ』もそれっぽい雰囲気があるが、最大のポイントとしてホームズは本職の探偵、プロなのでそこの時点でNGである。クリスティーの生み出したもう一人の人気キャラクター、エルキュール・ポアロも本職の探偵のためやはりこの項目(プロの探偵ではない)を満たせない。

 とはいえ、『火曜クラブ』1927年、『青い十字架』は1910年の作品である。一世紀近く前の作品にすでに日常の謎の原型がみられることに、筆者は読んでいて驚きを禁じ得なかった。完全に特徴が一致するわけではないが、日常の謎の原型はチェスタトン、クリスティーあたりにあると考えてよいだろう。チェスタトンはすでに著作権が切れているため、青空文庫にも掲載されている。直木三十五による古式ゆかしき翻訳が載っている(『青玉の十字架』の題で訳されている)ので、興味のある方はぜひ一読いただきたい。無料で合法的に読める。

 さて、そうすると古典作家で完全に特徴の一致した作品が無いか探したくなるのが人情というものだろう。時代が現代よりになってしまうが、一つ特徴が完全に一致するものを見つけた。アイザック・アシモフの短編シリーズ『黒後家蜘蛛の会』である。アシモフといえばSF作家として特に有名だが、多彩なアシモフはミステリーも得意にしており『黒後家蜘蛛の会』は完全なる安楽椅子探偵ものである。第一作『会心の笑い』の内容は下記の通り分類ができる。

・日常的な場面の謎を扱う = 収集家が何かを盗まれたみたいだけど、何が盗まれたのかわからない
・小さなコミュニティを舞台としている = 文化人がレストランに集まって開催する内輪の会合
・探偵役は警察や私立探偵などのプロではない = 探偵役のヘンリーは会合が行われるレストランの給仕
・重大、深刻な事件(殺人、強盗、組織犯罪など)を扱わない = 軽微な窃盗が示唆されている

   以上のようにすべての「日常の謎」を「日常の謎」というサブジャンルたらしめる特徴を備えている。『黒後家蜘蛛の会』の発表は1972年で、クリスティーやチェスタトンに比べると歴史はだいぶ浅いが、それでも半世紀以上前である。「日常の謎の古典」と言ってもよいだろう。

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