平和の祭典としてのオリンピック、古代から続く政治とスポーツの切っても切れない関係性

■夏季オリンピックがパリで開催

(左から)トニー・ペロテット(著)『古代オリンピック 全裸の祭典』(河出書房)、村上直久(著)『国際情勢でたどるオリンピック史』(平凡社)

■平和の祭典としてのオリンピックはいつはじまった? 

  オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれるが、その起源は古代オリンピックにある。古代の地中海沿岸地域は争いの絶えない地域だったが、オリンピックの時期(具体的には大会が開催される前後3か月)だけは例外だった。

  オリンピックの時期には休戦したからだ。(※厳密には競技会の開催に影響が及ぶ戦闘行為の停止)。オリンピックはゼウスに捧げる祭典であり、観客は観戦者であると同時に巡礼者である。オリンピックを妨げる行為は、主神・ゼウスに対する冒とくに他ならない。期間中はオリンピックの選手や観客の身を争いから守るルールが確立された。これを聖なる休戦(エケケイリア)と呼ぶ。

  それでも不逞な行為に及ぶ輩は少数いたようで、オリンピックに向かうアテナイ市民からマケドニア商人が金を騙し取るという事件がおきたことがある。時のマケドニア王フィリッポスは正式に謝罪して被害者に返金し、古代オリンピックの運営を行っていたエリスに罰金を払ったそうだ。オリンピックが「平和の祭典」と呼ばれる所以はここにある。

  古代オリンピックと近代オリンピックにはそれぞれ優れた点と優れていると言えない点があるが、残念ながら「平和の祭典」としての側面に限ると、近代オリンピックは後退してしまっている。

  もはや言うまでもないことと思うが、今現在もロシアのウクライナ侵攻、ガザ地区問題をはじめ世界中で戦争は行われている。ロシア・オリンピック委員会(ROC)はIOCにより無期限の資格停止処分を受けている。ROCは2023年に、ロシアがウクライナを本格侵攻して以来、不法に併合している4州(ルハンスク、ドネツク、ヘルソン、ザポリッジャ)のスポーツ組織を承認したが、「ウクライナ・オリンピック委員会の領土一体性を侵害しており、オリンピック憲章の違反に当たる」というのが処分の根拠である。直接ではないが戦争が関わっている。

■オリンピックと政治

  戦争と政治は切っても切れない関係だが、スポーツと政治は本来、お互いに不可侵のはずである。実際、オリンピック憲章には「スポーツや競技者がいかなる形においても政治的あるいは商業主義的に悪用されることに反対する(第10項)」と明記されている。

  しかし、残念ながら近代オリンピックが政治と無縁であったことはほとんどない。まず第一回大会はギリシャのアテネで開催されたが、経済破綻中のギリシャで最終的に開催できた理由は、王室・野党を中心とするナショナリズムの昂揚という政治目的があったからである。第1回大会の観客は95%がギリシャ人であり、14か国から参加した241人の選手のうち過半数がギリシャ人だった。

  発案者であるクーベルタン男爵の功績については開幕式でまったく言及されなかった。アテネは歓喜に沸き立っていたとのことなので、ナショナリズムの昂揚という観点では成功と言っていいのだろう。1936年のベルリン大会はもっとあからさまな独裁者ヒトラーによるプロパガンダ大会だった。ここからオリンピックと政治が無縁であると読み取ることは難しい。二度の大戦で開催そのものが中断されたのも、象徴的である。残念ながら平和の祭典には戦闘行為を停止させるほどの力は無いということになる。

  東西冷戦時代には西側と東側でボイコット合戦が繰り広げられた。1980年のモスクワ大会では、ソヴィエトのアフガニスタン侵攻を理由に西側最大勢力のアメリカがボイコットを決定した。国防をアメリカに頼っているわが国もそれに追従せざるを得ず、当時の日本代表候補選手たちは涙を呑むことになった。1984年のロサンゼルス大会では、今度は報復としてソヴィエトを中心とする東側諸国がボイコットした。また、冷戦時代から東側諸国による組織的ドーピングが問題になり始める。オリンピックでの勝利は、東側諸国にとってプロパガンダの機会であり、勝利が義務付けられていたためだ。ソヴィエトが崩壊し、ロシアとなった今でもその体質は変わっていない。

  1968年のメキシコシティー大会では、アメリカ代表のトミー・スミスとジョン・カーロスが男子陸上200mの表彰台で人種差別への抗議を行った。オリンピックは政治との関りを否定しているため、AOC(アメリカオリンピック委員会)はこの行為を問題視し、二人はアメリカ・ナショナルチームからの即日除名と、オリンピック村からの退去処分が科せられた。厳しい処分が科せられる結果となったが、その後もメキシコシティーオリンピックの表彰台ではアフリカ系アメリカ人による抗議のパフォーマンスが繰り広げられた。

  1972年のミュンヘンオリンピックではパレスチナ武装組織「黒い九月」によりイスラエルのアスリート11名が殺害される痛ましいテロ事件が発生した。遠因は中東紛争である。1976年のモントリオール大会では、南アフリカ共和国のアペルトヘイト(人種隔離政策)に反対するアフリカ諸国が大挙してボイコットした。

  そのきっかけになったのはオールブラックス(ラグビー・ニュージーランド代表)の南アフリカ遠征である。この遠征は多数の死者を出したソウェト蜂起の直後であり、タイミングが悪かった。黒人解放団体はアパルトヘイトを明るみに出すタイミングを見計らっていたフシがあり、「ニュージーランドが参加するならボイコットする」と言い出したのはそういった経緯からである。

  ニュージーランドのラグビーとオリンピックは全く無関係であり、筋の通らない話だ。ニュージーランドは参加を禁止されず、アフリカの22か国がモントリオール大会をボイコットした。筋の通らない話だが、アフリカ諸国のボイコット行為に対してIOCは制裁措置を取らなかった。結果としてスポーツの政治からの独立を掲げながら、IOCは政治がスポーツに介入することを追認してしまった形になる。

  このようなスポーツと政治の関りはオリンピック以外の国際大会でも残念ながら存在する。オリンピックと同等かそれ以上のビッグイベントであるFIFAワールドカップからも政治の匂いを感じ取らずにいることは難しい。勝敗を決するスポーツ競技会にはどうしても「代理戦争」としての側面が発生してしまうため、政治と無縁でいることは根本的に不可能なのかもしれない。加えて。大規模なスポーツイベントは国際社会へのアピールに絶好の機会である。スポーツの政治からの独立は理想だが、理想の実現は難しいと言わざるを得ないだろう。

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