藤子・F・不二雄が描く、不可解な存在としての宇宙人 『いけにえ』ラストシーンの意味とは?

藤子・F・不二雄が考える宇宙人

 では、『いけにえ』の宇宙人たちが、「不合理」ひいては「愛」を解さないのだとしたら、ラストの展開にはどのような意味があるのだろうか。

 池仁平は自分が「いけにえ」にされることを納得できず、荒れる一方である。しかし、池を落ち着かせようと、彼のもとに呼び寄せられるミキ。彼女は涙ながらに池と抱き合い、衣服を脱ぐ。やがて一夜をともにしたと思わしき二人の前に、受け入れの日の朝が訪れる。池は「やっと自分の運命を納得できたよ。君のためなら死ねる」と口にし、受け渡しの場に行くことを決める。しかし、宇宙人は急に要求を変える。それは、池にとっては望ましい変更となっていたのだが……。

 この宇宙人の心変わりに、「宇宙人の気持ちはさっぱりわからん」と政府の代理人のなかでもボスと思われる人物は口にする。

 たしかに不可解である。ただ、あえて推測すると、以下のような可能性が考えられるか。

「理不尽な要求を前にしても、誰かのために自分が犠牲になることを決めた池の精神に打たれたから」

 いや、自分で言っておいてなんだが、そんなことがあるとは思えない。あまりにも地球人的な情緒や価値観に立脚した解釈であるからだ(じっさい、批評家の杉田俊介も著作『ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想』のなかでこうした解釈を否定している)。基本的に「不合理」や「愛」を解さない宇宙人に、自己犠牲の尊さなどに感動する回路があるとは思えない。

「女性との結びつき=性行為によって池は急に心変わりをしたが、その理由は何なのか。別な外的要因を与えて探求したいと思ったから」

 これはわりとしっくりくる。『サンプルAとB』の宇宙人たちがまさにそうした判断を行っていたので、連続性を考えても説得力はある。

 「そもそも要求に明確な理由や因果関係などはない。行き当たりばったりにそうしただけ」

 それなりの労力をかけて地球を訪れ、それなりの時間をかけて地球人と交渉しているのだから、「コスパ」「タイパ」といったいまの地球ではやりの価値観を考えると、いささか共感はしがたい。とはいえ、それも地球人の尺度なので、そういう可能性もなくはないかもしれない。

 「宇宙人の考えていることは、結局はわからない。それは彼らから見てもそうだろう」

 ただ、筆者としては、今のところはこの考えに落ち着いている。宇宙人の気持ちの推測からはじめて、「結局はわからない」に戻るのは思考停止のようで恐縮なのだが、むしろ藤子・F・不二雄は、その「わからなさ」に向き合うことを促しているように感じられるのだ。

 繰り返すが、『いけにえ』では、宇宙人たちの姿や言葉は直接的に描写されることはない。それゆえに、彼らの思考の輪郭を知るためのヒントには乏しく、彼らが地球人をどうとらえているのかは感触としては「わからない」ままだ。

 しかし、ひるがえって、地球人は宇宙人たちをジャッジできる立場にあるのか。藤子・F・不二雄の作品では、地球人が宇宙人視点では自分たちがどう見られているかを考える、いわば「相対化」の描写もしばしば見受けられる。たとえば『絶滅の島』では、突如地球への攻撃を開始し、地球人を絶滅の瀬戸際へと追い込む宇宙人に対して、虫けら同然に殺戮を繰り返す彼らは「悪魔」であると主人公の少年・シンイチは口にする。

  しかし、それを聞いた中年の男性は、「その意見には、虫けらのほうから苦情が出そうだね」と述べたうえで、「宇宙怪物の目からすれば、人間も虫けらもおんなじことなんだろうね」と複雑な表情とともに口にする。『絶滅の島』においては、そもそも生き残りの人間たちが追いやられた島は、かつて人間がヤモリの一種を乱獲によって絶滅させた島であり、その島で今度は人間が絶滅させられようとしているという皮肉な構造がある。地球人から見れば宇宙人は殺戮者だが、ヤモリから見れば、まさに地球人こそが殺戮者であったのだ。こうした設定ひとつを見ても、藤子・F・不二雄が地球人を絶対的な基準としてとらえていないことは明白であろう。地球人から見れば宇宙人は「わからない」が、宇宙人から見れば地球人こそが「わからない」。

 これはなにも、相手をわかろうとする努力を放棄すべき、ということではない。どんなに双方から歩み寄りをしても、相手が異なったバックグラウンドを持った他者である以上は、どこかに「わからなさ」は残ることとなる。それゆえに、誰かと生きるうえでは、どこかでその「わからなさ」に立ち返ることが必要となる。

 「宇宙人」の透明性が藤子作品のなかでももっとも高い『いけにえ』は、ちょうどそうしたメッセージが、強く込められているように感じられる。もちろん、この「宇宙人」は、私たちが現実世界で触れるさまざまな「他者」にも敷衍させて考えることができるものだろう。民族や思想、価値観……。昨今の地球において、さまざまな違いを持つ「他者」に対し、共生するよりも分断しようとする姿勢は、より顕著になりつつある。そのような地球において、『いけにえ』における「宇宙人」の意味を考えることは、たしかな有用性があるようにも思わされてくるのだ。

■番組情報
「藤子・F・不二雄SF短編ドラマ シーズン2」
第8夜「いけにえ」
放送局:NHK BS
放送日時:2024年5月26日夜9時45分
番組公式サイト:https://www.nhk.jp/p/ts/4JZM8MV1Q2/episode/te/5L1WK5KX4M/

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