藤子・F・不二雄にとってのタイムマシンとは? 人間の矮小な欲望を描き出す『あいつのタイムマシン』

藤子・F・不二雄『あいつのタイムマシン』評

 4月からスタートした「藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ」(NHKBS)のシーズン2は、本日5月5日放送の『あいつのタイムマシン』(初出:『週刊漫画アクション増刊』1979年12月11日号)で5回目となる。主演は渡辺大知&奥野瑛太。

 幼少期に、タイムマシンに憧れた人は多いと思う。しかし憧れるだけでなく、その実現を目指し、大人になっても製作に精魂を傾ける人となるとなかなかいないかもしれない。原作は、そのような人物を中心に据えた物語だ。

 漫画家・正男の小学校時代からの友人・鉄夫は、正男と小学校5年生の時に「将来はタイムマシンを作る」と固く誓い合った。正男は早々に現実との折り合いをつけてしまったものの、鉄夫は以来、タイムマシンへの夢にのめりこんでいく。中学卒業と同時に「技術をつけるため」と時計修理工のもとに見習いとして住み込み、28歳になった今も機械の製作に精を出している。その顔はやせこけ、「正気の顔じゃない」と正男からのストレートなディスりを受けるほどだ。

 鉄夫は正男に家賃の無心をするなど、生活もままならない様子がうかがえる。かといって、堅気の暮らしに興味があるわけでもなく、正男からの就職の紹介もつっぱねてしまう。幼なじみとはいえ、こんな男とは距離を置きたいところだが、しかし正男はそうしない。彼の妻・みっちゃんは鉄夫のいとこであり、かつ鉄夫は、みっちゃんを正男に紹介した恩義のある人物でもあるからだ。それゆえに呆れながらも、正男は定期的に鉄夫の様子を見に行く。

 物語の紹介はこれくらいにしておく。さて、そもそもタイムマシンを作りたいという思いはどこからくるのか。「ステゴサウルスの背中に乗りたい」「戦国時代に行って織田信長を本能寺から救い出したい」「ペリーに会って日本の開国を止めさせたい」「小学校時代に俺をよくいじめていたNを後ろから一発殴りたい」……。私の場合、歴史的な大きな事象の改変から個人的な恨みの解消に至るまで、「もしタイムマシンがあったら」という空想はそれなりに浮かぶが、あくまでも空想の世界の話であり、何がなんでもそれをしたい、というほど強い感情はない。

  現実の進路を考えるならば、過去や未来を変えるために作れる可能性の限りなく低そうなタイムマシンの製作に時間を費やすなんてコスパが悪すぎるし(いや、そもそもできなければコスパは悪いどころか0だろう)、それだったら毎日の地道な、しかし効果の見えやすい努力を重ね、過去は変えられずとも、自分の未来を少しでも良いものにしていくことのほうを選びたいと思う。

 とはいえ、自分の価値観を押し付けるつもりはない。鉄夫はなぜ、タイムマシンを作りたいのか。「世界平和のため」とか、いわゆる公益性を重視しての思いからではないだろう。いや、そのような「他の誰かや社会のため」がどこかにあるとしても、利他の思いだけで20年近くもタイムマシンへの執念が続くとは考えにくい。実際に本作でも、「タイムマシンができたらそれで何をするつもりなんだ」と、正男が鉄夫へと問いかけるシーンがあり、それは作中でも印象的なシーンのひとつとなる。

 そして、本作ではその「なぜ作りたいのか」が物語の核となる。鉄夫がタイムマシンの核心へと近づいていく過程と、彼のタイムマシンへの執念の理由が浮き彫りになる過程は、物語のなかで同期している。鉄夫は何を願っていたのか。その仔細はじっさいに本作を読んでいただければと思うが、最後に了解される鉄夫の願いは、言ってしまえばあまりにも平凡な、人間的なものである。ふたつの軸を巧みに織りこんでいく、藤子・F・不二雄のストーリーテラーとしての手腕には舌を巻くものの、タイムマシンを作りたいというのは、こんなことのためだったのか、と思わずため息が漏れそうにもなるほどだ。

 しかし、このようなラストは、藤子・F・不二雄のSF短編を子細に見ていくことで、むしろ必然的なようにも思われてくる。SF短編の中で、本作ともっとも類似性を持つ作品としては、『タイムマシンを作ろう』(初出:『ビッグコミック』1982年1月10日号)があげられる。本作ではこれまた小学校時代に、「将来は科学者になってタイムマシンを作る」という目標を持っていた少年・松井が主人公となる。中学生になった今の松井は、そんなことは幼かりし日の思い出程度にしかもはや捉えてはいないが、彼の前に未来の自分を名乗る初老の男性が現れたことで、事態は急展開する。彼はタイムマシンの作り方を松井に教え、少年の松井が現物を作るように促すのだ。

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