「日本一の校閲集団」新潮社校閲部の矜持とは? 『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』対談
菜の花が咲く時期になると司馬遼󠄁太郎さんの原稿を思い出す
丸山:アウトプットするためには、インプットしなければいけないんですよね。「校閲者それぞれが自分の好きなものにのめりこむ時間を持つのも大事で、それが本の内容を左右する校閲につながることもある」というセリフも作中にあります。私は昔、ギターを習っていたのですが、先生に「あなたは、あなたの人生以上に弾くことはできない」とよく言われたことを思い出しました。
こいし:そういえば、イラストレーション学校に通っているとき、私も似たようなことを言われました。好奇心を持ってアップデートできる人間でなくてはならない、そうでなくては細部を描くことはできないのだ、と。「なんで?」という好奇心を持たねばならないというのは、どんな職業にも共通しているのかもしれませんね。
丸山:まあ、どれだけ好奇心と情熱をもってとりくんでも、怒られることも多いのが校閲の仕事なんですけどね(笑)。気持ちは、わかるんですよ。自分が一生懸命書いたものを、いきなり現れた顔も知らない人に「ここは違うんじゃないか」とか言われたら、怒りたくもなるだろうな、と。
こいし:指摘したことに対して、ものすごい量の赤字を入れたゲラが返ってきて「ざまあみろ!」って書かれていたという話も聞きました。それについて矢彦さんが「ぼくら校閲と作者はゲラで戦うんだ」とおっしゃっていたのがとても印象的で、マンガにも描かせていただいたんですけれど。
丸山:作家さんは、命を削って書いているわけですからね。私も、敬意と覚悟をもって挑まなくてはならないなと思わされた出来事がありました。私が入社したのは1996年4月、司馬遼󠄁太郎さんが亡くなられた直後で、書店に雑誌の追悼号が並んでいた時期。新潮社に保管していた直筆原稿も、ご遺族にお返しするために整理していたところで、当時の校閲部の担当役員がその手書き原稿を見せてくれたんです。彼女は、長らく司馬さんの担当編集者だった人でした。
四百字詰めの原稿用紙に書かれた文章を、推敲して削って直し、欄外の大きな余白に書き入れている。それをまた推敲して、削って、足して、削って、足して……を繰り返した痕跡がすべて、その原稿用紙には残っていました。結果、最初の文章は一文字も使われていなかったのですが、欄外の文字を繋いでいくと、ちょうど四百字におさまっていたんですよね。
こいし:すごい……。
丸山:すごいですよね。一度生まれた文章の種をこんなふうに練り上げていくのかと圧倒されましたし、こうやってできあがる文章に私は何か物申さなくてはならないのかと思うと、怖気づきそうになりました。まだ、配属されて三日目くらいでしたしね。でも……文字をつなぐ黄緑と黄色の色鉛筆の跡がまるで菜の花のように美しくて。今でも、菜の花が咲く時期になると司馬さんの原稿を思い出し、このときの気持ちを取り戻します。
こいし:手書き原稿の時代だからこその体験ですね。
丸山:そう思います。完成原稿だけがデータで送られてくる今は、葛藤の痕が見えないけれど、どの作者のなかにもあの菜の花があるのだということは忘れないようにしたいです。
こいし:そういう、書く人に対する敬意がないと務まらない仕事なんだろうなというのは、取材を通じて実感しています。確かにゲラを通じて戦ってはいるんだけど、矢彦さんにも、ほかの校閲者の方々にも、「ミスを見つけて直してやろう」みたいな気持ちは一切ない。「校閲とは検閲ではない」と、新潮社の校閲講座の冊子にも書かれていましたよね。
丸山:ああ、元部長がつくった、校閲とは何かを解説するテキストですね。手書きのイラストも添えて。
こいし:体調が悪いときにはミスが生まれやすい、集中するためにも自分を安定させなきゃいけない、など、テクニック以外についての指南もあって、おもしろかったです。SNSで誰もが公に発信する今の時代、校閲の技術を身に着けることは誰にとっても役に立つのだということも。