もしもタイムトラベルが現実になったら? クリストファー・ノーランの「ハードSF」映画を中心に考えてみる
タイムトラベルの作品は3つのパターンに分別
タイムトラベルを扱ったSF作品では3つのパターンに分かれる。
まず一つ目は定番中の定番で、「過去改変は可能である」だ。タイムトラベルSFの定番『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はその典型例である。マーティ(マイケル・J・フォックス)は過去にタイムトラベルしたことで、両親の馴れ初めに影響してしまう。マーティが若き日の母に恋心を寄せられ、両親の馴れ初めに影響を及ぼすとマーティが都合よく未来から持ってきた写真のなかで自分と自分の兄弟の姿が薄くなっていく描写がある。
視覚的で実にわかりやすい表現である。わかりやすいエンタメ作品である同作には『TENET テネット』に登場した「祖父殺しのパラドックス」=「仮に過去に行って自分の祖父を殺したら自分は生まれないはずなのに、自分が存在するのはなぜか?」のようなややこしい問題は発生しない。過去に行って何かをしたらそれは未来に影響する。
このパターンをもう少しシリアスに深堀りしたのが『バタフライ・エフェクト』と『サウンド・オブ・サンダー』だ。そのまま映画のタイトルになっている「バタフライ効果」は気象学者のエドワード・ローレンツによる、「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けに由来する。
『バタフライ・エフェクト』ではエヴァン(アシュトン・カッチャー)は過去の時点に戻れる能力を使い、幼馴染のケイリーを救うために行動をするが、彼の起こす行動はすべて長期的なものではなく分岐点となる短期的な行動である。SFの大家レイ・ブラッドベリの短編小説『雷のような音』を原作とする『サウンド・オブ・サンダー』は白亜紀に時間旅行した旅行客が、わずか質量1.3グラムの何かを持ち帰ったことで人類滅亡の危機を引き起こすほどの進化の改変が発生する。描き方は違えど、これらはすべて「過去は改変可能である」との理論に基づいている。
二つ目は「パラレルワールド(並行世界)」パターンだ。こちらもSF作品でよく見るパターンである。前述の『STEINS;GATE』はその典型例で、主人公の岡部倫太郎が過去に戻って行動を起こすと、改変された世界は新たな並行世界として構築される。ドイッチュ博士はこの理論を支持しており、「仮に祖父を殺しても、その時点で別ユニバースに分岐するので祖父殺しのパラドックスは起きない」としている。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』あたりからすさまじい勢いでスケール上昇し続けているMCUも並行世界設定を大いに活かしている。『アベンジャーズ/エンドゲーム』ではついにタイムトラベルに手を出すが、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』ではMCUのスパイダーマン(トム・ホランド)と、サム・ライミ監督のスパイダーマン3部作のスパイダーマン(トビー・マグワイア)と『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのスパイダーマン(アンドリュー・ガーフィールド)がそれぞれ「並行世界のスパイダーマン」という設定で夢の競演を果たしている。
同じく様々な派生作品を生み出している『Fate』シリーズもパラレルワールド設定を多用している。初代の『Fate/Stay Night』と直接つながる作品はあまりなく、多くの派生作品が並行世界扱いである。
三つめは最もシニカルな「過去改変は不可能」パターンだ。このパターンは劇的な展開になりにくいのかあまり見かけない。その珍しいパターンの変わり種がテレビシリーズ『フラッシュフォワード』である。ロバート・J・ソウヤーの小説を原作とする同作は、未来を変えようと奮闘するものの、「過程は変えられても結果(未来)は変えられず、未来のビジョンの結果へと収束していく」という展開になっている。ホーキング博士が支持していた説はこちらである。
この説の場合、仮にタイムマシンで過去に行って祖父を殺そうとしても、何かしらの理由で殺人は防がれ、祖父殺しのパラドックスは起きない。タイムマシンが急に故障するのかもしれないし、銃が弾詰まりを起こして使い物にならなくなるのかもしれない。これが「時間順序保護仮説」である。こちらはホーキング博士の著書のタイトルになっている。
このように「時間」はごく身近な存在でありながら謎だらけの存在だ。だからこそ多くの学者、クリエイターを惹きつけるのだろう。