『幽★遊★白書』は新しい形の「悪」を描いた作品だったーー漫画編集者が実写ドラマ化迫る名作を解説

『幽★遊★白書』が描いた新しい形の「悪」

主人公が戦う相手は闇に堕ちた先代のヒーロー

 生まれながらに強い霊力を持っていた仙水は、実は幽助の先輩――つまり、先代の霊界探偵だったのだが、ある時、妖怪たちを快楽のために殺害する人間たちの醜悪な姿を見てしまい、「正義」への信念が揺らいでしまう。そして、病で余命いくばくもないということが判明した時、かつて左京が目論んだように、人間界と魔界の穴をひろげようとするのだった。

 「7人の別人格の持ち主」という設定も極めて世紀末的(90年代的)だったが、最終的に幽助との戦いに敗れた彼は、「戦ってるときの君は…すごく楽しそうだ。オレもほんの一瞬だが、初めて楽しく戦えた」(第17巻)といい、自分はただ魔界で死にたかっただけなのだという本音を漏らす。

 これは、左京とは似て非なる形の個人のエゴが肥大化した結果であり、やはりここにも「大きな物語」が存在した時代の悪の姿はないのである。

9.11以降、少年漫画の悪の描き方はどう変化したか

 さらにいえば、その仙水との戦いの中で、幽助が実は「魔族の子孫」だったということが判明し(第16巻)、何が正義で何が悪なのかという問いを、改めて作者は読者に突きつけてくる。

 むろん、それまでにも、“悪の力を持った正義のヒーロー”という存在は、石ノ森章太郎や永井豪らが描いてはいた。しかし、腹を空かせて力を失っている「本当の父親」(妖怪・雷禅)に向かって、平然と「人間しか食えねェってなら、オレが二・三人かっさらってきてやるよ」(第18巻)といってしまうようなヒーローは、浦飯幽助が初めてではなかっただろか(強いていえば、ジンメンとの戦いの中で、デビルマンこと不動明がいった「だが! きさまも死ぬんだろ!」という台詞が挙げられるだろうか)。

 当然、(父親のことを心配していたとはいえ)こうした清濁併せ呑む台詞が幽助の口から自然に出てくるようになったのは、彼がもともと「不良少年」だったからではなく、左京や仙水というこれまでにはないタイプの悪と対峙してきたからである。そして、その新しいヒーロー像は、冨樫義博のもう1つの代表作である『HUNTER×HUNTER』の主人公、ゴン=フリークスにも少なからず継承されているのだ。

 なお、9.11以降、世界は再び「大きな物語」を求め始めたといえなくもないが、悪の形がわかりにくいのはあいかわらずである。たとえば、「少年ジャンプ」の近年のヒット作である『呪術廻戦』や『チェンソーマン』を見てもそのことは明らかだし、『鬼滅の刃』のラスボスである鬼舞辻(※)無惨にしても、ただ単に「陽光を克服したい」という個人のエゴを肥大化させた存在にすぎない、という見方もできるだろう。

※「鬼舞辻」の「つじ」は、一点しんにょうが正式表記。

 いずれにせよ、90年代の前半、冨樫義博が『幽★遊★白書』で描いたポストモダン的な悪の姿は、後続の漫画家たちにいまなお多大な影響を与えている。むろん、同作だけが革新的な作品だったというつもりはないが、左京や仙水のようなトリックスターたちが、これから先もしばらくのあいだは、さまざまな少年漫画の中で悪の側から物語を動かしていくことだろう。

■Netflixシリーズ「幽☆遊☆白書」
https://www.netflix.com/title/81243969
2023年12月14日(木)世界独占配信スタート

※トップ画像は https://www.youtube.com/watch?v=BKgDM-axycY より

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