阪神タイガース、“漫画の神様”手塚治虫の虎党エピソード「阪神が不振だとくさって書く気がありません」
手塚治虫は阪神ファン!?
阪神タイガースが38年ぶりの日本一に大手をかけている今日11月3日は、“漫画の神様”、手塚治虫の誕生日である。
そんな手塚は阪神ファンでもあったといわれる。2008年9月25日付の朝日新聞で神戸常盤大学の田中荘介氏が、手塚からもらった手紙を公開していたが、その中に「野球ものも考えていますが近頃の阪神の不振に聊かくさっているので書く気がありません」という記述がある。別の機会に田中氏がもらった年賀状にも、バットを振る虎のキャラクターが描かれていた。
手塚が1960年に発表した作品『タイガー博士の珍旅行』は、少年野球チーム・タイガースのメンバーとタイガー博士が、架空の国を旅行する漫画である。この「タイガース」の名称も、阪神タイガースに由来しているのはほぼ間違いないだろう。
そして、阪神が日本一を決めた1985年に、手塚はお祝いのイラストを描いている。「祝・85年セ・リーグ優勝 阪神タイガース」の文字が入り、虎のキャラクターがVサインを決めている。このイラストを使った色紙も制作された。
球団のマスコットをデザインした手塚治虫
ところで、手塚治虫は子どもの頃からスポーツが苦手であった。『巨人の星』のような劇画&スポーツ漫画が登場した際は、その面白さが理解できずに苦悩したといわれる。題材とすることにも苦手意識が高かったようで、前述の『タイガー博士の珍旅行』のような作品はあるものの、スポーツがメインの作品はほとんど描くことはなかった。
そんな手塚だが、スポーツ関連のマスコットは結構デザインしていて、しかも名手なのである。例えば、埼玉西武ライオンズのレオとライナは、手塚がデザインしたものが現在も使われている。これは手塚が西武鉄道の沿線に住んでいた縁で、堤義明オーナーから直接依頼を受けたものだ。
また、東京ヤクルトスワローズはたびたびチーム名が変わっているが、1966年には「サンケイアトムズ」を名乗り、球団のマスコットに鉄腕アトムが使われていたことがある。その後、1970年には「ヤクルトアトムズ」となったが、手塚が経営していた虫プロが倒産したことで、1973年10月から「ヤクルトスワローズ」を名乗ることになった。
天国でも原稿を描いているであろう手塚も、今日は……
こうしてみると、意外に手塚治虫とスポーツの縁は深いように思う。他にも1985年夏季ユニバーシアードのマスコット、ユニタンなども描いている。ユニタンはタンチョウヅルをもとにしたキャラクターで、動物が上手い手塚ならではの造形になっている。
さて、阪神の話題に戻ろう。明日4日はいよいよ阪神の日本一をかけた第6戦である。天国でも手塚は締切に追われ、原稿を描いていそうな気がするが、この日ばかりは野球中継にかじりついているかもしれない。もし、阪神が優勝を決めたら、誕生日と優勝のダブルの嬉しさで、歓喜するのは間違いないだろう。編集者は「早く原稿を上げてくれ~」と、苦い顔をしているかもしれないが……。