【連載】『ガンダムZZ』は“見なくていい”作品なのか?
『ガンダムZZ』“悪ガキ”の物語のなかで描かれた老人の寂しさーームーン・ムーン編が残した悲しい余韻
『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて、何かと不遇な『ガンダムZZ』。はたして本当に“見なくていい”作品なのか? 令和のいま、ミリタリー作品に詳しくプラモデルも愛好するライターのしげるが、一話ごとにじっくりレビューしていく。
前回までの記事はこちら
【連載第一回】第一話から「総集編」の不穏な幕開け
→連載第二回以降(降順)はこちらから
第十五話 幻のコロニー(後)
[あらすじ]
ゴットンのモビルスーツ隊を撃退したジュドーは、ヒカリ族から救世主と祭り上げられることに。しかし教祖サラサ・ムーンからの「救世主として光の教えを世界に広めるのを手伝え」という要求を突っぱねたジュドーたちは、ヒカリ族の神殿から逃げ出すことになる。
ジュドー、エル、イーノは無事に逃げ出したが、ルー、ブライト、エマリーはヒカリ族に捕まってしまう。逃げ出したジュドーたちにもヒカリ族の追手が迫るが、危ないところでラサラの仲間たちに助けられる。そこには、ビーチャと別れたモンドの姿があった。
ラサラとサラサが双子であり、姉のサラサが教祖に祭り上げられていることを話すラサラ。「穏やかな月の光の波長に合わせてゆったり生きろ」という教えを、ムーン・ムーンの外で戦争に明け暮れている人々が聞いてくれるか疑問を感じているラサラに、ジュドーたちも同意する。ラサラは「コロニー外に出ていこう」という考えを、力があると信じた人の間違った欲望だと断じる。
捕まったブライトたちを助けるべく、ラサラの案内で神殿の下へと向かうジュドーら。ジュドーたちは狭い地下道でヒカリ族の兵士を襲撃し、ブライトたちを無事助け出すことに成功する。
一方、サラサは恭順の意思を示すゴットンたちを信じ、協力を命じる。コロニーの確保を優先するゴットンは、ヒカリ族の教えを信じるふりをしてZZガンダムを解体、エンドラに運び込もうとする。
アーガマに戻るブライトらと別れ、ZZガンダムの奪還を目指すジュドー。同行するラサラは、打ち捨てられて機械の無力さのシンボルとなっているキャトルを再起動し、教祖であるサラサの間違いを示そうとする。ZZガンダムに近づいたジュドーたちは、周囲に足場を立てて分解しようとしているヒカリ族とビーチャを見つける。
ラサラとモンドはキャトルに向かい、イーノとエルはヒカリ族の気を引く。その隙にジュドーはZZガンダムのコクピットへと急ぐ。モンドはキャトルの再起動に手間取るが、ジュドーは無事にZZガンダムへと搭乗。原始的な武器しか持たないヒカリ族の兵士たちを圧倒し、リィナを助けるためエンドラが停泊しているドックを目指す。
迎撃に出てきたエンドラのモビルスーツ隊をいなしながら、ドックのハッチへと迫るジュドー。しかしハッチ内の敵機を撃墜したところでハッチが閉じてしまい、ドック内で爆発が起きてしまう。
ガザCに組みつかれ、やむなく地上戦に巻き込まれるZZガンダム。サラサはムーン・ムーンが破壊されることを危惧してゴットンにモビルスーツを止めるよう指示するが、「ZZガンダムを倒さない限りこのコロニーに平和は来ない!」と主張するゴットンは戦闘を継続。その時モンドはキャトルの再起動に成功する。
一方で、混乱の続くムーン・ムーンに、新型艦を受領したグレミーが迫りつつあった。新型機であるバウに乗り、ムーン・ムーン内のドックに侵入するグレミー。
戦場では、苦戦するZZガンダムを再起動したキャトルが救援していた。突如起動したキャトルを恐れる住民たちに対して、機械は恐れるものではないと説くラサラ。残りのガザCをキャトルに任せ、ジュドーはZZでエンドラへと向かうが、リィナを連れていこうとするグレミーを発見する。リィナの代わりにルーを人質としてよこせと要求するグレミー。リィナが乗っている以上バウを撃墜することができず、ジュドーはグレミーを取り逃す。
ムーン・ムーン内部ではキャトルがガザC隊を壊滅させていた。しかしキャトルのコクピットから降りたところでモンドはビーチャにみつかり、ゴットンたちと共にエンドラに退却ことになる。
戦いが終わったヒカリ族の神殿では、ブライトが教祖の下に仕えていた神官のロオルを問いただしていた。サラサを教祖に仕立て上げ、宇宙船でムーン・ムーンの外に出ようとしていたのは、ロオルだったのだ。「小さなコロニーの息遣いは、狭く、苦しかった」と心情を口にするロオル。忘れられていることで戦争に巻き込まれないのだから、それでいいじゃないかと説くジュドーに対し、ロオルは「忘れられたままは、寂しい。老いれば老いるほど、ますますな」と涙を見せる。
ムーン・ムーンを後にするジュドーたち。彼らは口々に、忘れられたコロニーという環境に対する羨ましさを口にするのだった。
強い印象を残した「ムーンムーン」
前後編に別れたムーン・ムーン編の後半である。サラサとラサラの秘密が解き明かされ、ムーン・ムーンをめぐるアーガマとネオ・ジオンの戦闘は一段落を迎える。かつて存在していた技術を忘れて原始的な暮らしを送る人々や、繰り返される「月」という要素など、ムーン・ムーンをめぐる設定にはどこか後年の『∀ガンダム』を思わせるものがある。
そんなムーン・ムーンの物語の中でも今回特に印象に残ったのは、戦闘が全て終わった後、ブライトによってロオルが問い詰められるシーンだ。短いシーンだが、老年になってムーン・ムーンのあの環境に置かれ続けたら、そりゃそうなるよな……という説得力のあるシーンでもある。
ロオルは、サラサやラサラよりもずっと年長の男性だ。年恰好からして、おそらくムーン・ムーンが忘れ去られる以前、コロニー開発時代を知っていてもおかしくはない。かつては人類が宇宙に進出していく最前線の拠点として作られ、それが用済みになってそのまま忘れ去られていく……そんな過程を、ロオルはコロニーの住人としてつぶさに見てきたのではないだろうか。
自分の故郷や住んでいる場所が外界から忘れ去られ、そのまま最初からなかったもののように扱われてしまうのは、どれだけ寂しいことだろう。ムーン・ムーン内部は一種のエコシステムが機能しており、空気も水も食料も循環しているようだが、それでもスウィートウォーター型コロニーとして作られた最盛期のムーン・ムーンを知っているとしたら、現在の原始的な生活とのその落差に気が滅入ってしまうのは道理ではないだろうか。
ロオルという男は、かつての生活と現在の原始的な暮らしとの落差や、閉鎖環境であるムーン・ムーン以外のどこにも出られないという閉塞感、自分達が忘れ去られてしまうことの寂しさに耐えられなかった人物である。だから外部の宇宙船を乗っ取ってコロニー外に打って出ようとした。彼の年齢を考えても、この先そう長くはないだろう。人生の終盤にトライする大博打としては、やってみる価値がある賭けに思える。
残念ながら、その賭けはジュドーたちの活躍によって潰えてしまった。ジュドーたちはスラムのようなコロニーに育ち、生き延びるためにアーガマのモビルスーツを狙っていたら否応なく戦争に巻き込まれてしまった立場である。だからこそ、たとえコロニーに引きこもっているような状態でも戦争に巻き込まれるよりはマシだし、ムーン・ムーンはその環境を保つべきだと考える。これもまた、彼らの立場を考えれば道理として間違ってはいない。
しかし、それでもロオルには、現在のムーン・ムーンの閉塞した環境は耐え難かったのだろう。彼がこれまでにどのような人生を歩んできたかはわからないが、「原始人たちの信じる宗教の神官」にはなりたくなかったのではないかと思う。古いコロニーに住んでいる年嵩の人間であるのなら、かつては人類のフロンティアに憧れて仕事に打ち込んでいた可能性だって低くはないはずだ。そういう人物であるのなら、多少無理な手段を使ってでも、自分たちの集団を忘れ去られないために外に向けて打って出るという選択肢を選ぶのは、妥当であるように思う。