一冊の本が人生を変えるーー宮﨑駿『君たちはどう生きるか』は“本の力”を描いた映画だった
吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』で描いたこととは?
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、「大きな銀行の重役」だった父を亡くした15歳の「コペル君」が、「大学を出てからまだ間もない法学士」の叔父に、日々起きたことや感じたことなどを打ち明け、それに対する“答え”を、叔父がノートに書きつける、という体裁の物語である。
ちなみに、もともとは文学作品ではなく、少年少女向けの倫理の本として構想されていたという同作では、「社会の構造」や「自分と他者の関係性」などが重要なテーマになっている。とりわけ注目すべきは、以下の一節だろう。
コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることなのだ。〜吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)より〜
これは、銀座のデパートの屋上から街の人々の動きを眺めていて、「人間は分子」ということに気づいたコペル君に対し、叔父がノートに書きつけた一文である。小説『君たちはどう生きるか』には、この他にも、大切な友人たちを裏切り、自己嫌悪に陥ってしまったコペル君に母親が温かい助言を与えるなど、大きな山場がいくつか出てくるのだが、おそらく眞人が同作を読んで最初に胸を打たれたのは、この一文ではなかっただろうか。
いずれにせよ、彼は、母が遺した吉野の小説を読んだおかげで、自分を「宇宙の中心」ではなく、「広い宇宙の中の天体の一つ」として見直すことができた。そして、他者(具体的にいえば夏子)の立場になって物事を考えることもできるようになった。だからこそ眞人は、「下の世界」の「産屋」で、「あなたなんか大っ嫌い!」と本音を吐露した(※)夏子に対して、動じることなく、本心から「母さん!」といい返せたのだと私は思う。
※ただし、この場面は、夏子が危険な場所から眞人を遠ざけようとして、あえて突き放したようにも見えなくはない。
なお、吉野の小説は、語り部の「君たちは、どう生きるか。」という読者への問いかけで幕を閉じる。同作が書かれたのは軍国主義が高まっていた1930年代のことだが、ここでいう「君たち」とは、むろん、コペル君のような未来を担う子供たちのことである。
宮﨑駿がなぜいま、あえて、自作のタイトルにその言葉を選んだのか、改めて考えてみるといいだろう。