杉江松恋の新鋭作家ハンティング 古典作品の本歌取りを行った謎解き小説『毒入りコーヒー事件』
紹介したあらすじからも察しがつくとおり、箕輪征一の死は前提に十二年前の事件が絡んでいる。過去に起きた事件を時間を遡って解決するミステリーを「記憶の殺人」などと呼ぶのだが、その形式がうまく利用されているのである。開陳された推理の中には、バークリーではない別の古典傑作を思わせるくだりがあった。長いミステリー史をうまく利用し、作者は自分ならではの多重解決ものを作り上げている。ミステリーにはもはや完全なオリジナルのアイデアなど存在しないが、既存のものを掛け合わせることによって他にない趣向を生み出すことは可能なのである。
朝永理人のデビュー作は第18回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞になった『幽霊たちの不在証明』(宝島社文庫)である。これは学園祭で出展されたお化け屋敷の中で殺人事件が起きるという話で、探偵キャラクターの設定が変っていることもさることながら、思い切った構成に見るべき点があった。思い切ったというのはどういうことかというと、推理のロジック構築のために推理の要素を呈示するくだりがかなり長く、学園ミステリーとしての結構を壊していると言ってもいいほどだったのである。大賞ではなく優秀賞になったのはそれが一因だったと思うが、そうまでしてミステリーとしてフェアであろうとする態度に私は好感を抱いた。第二作の『観覧車は謎を乗せて』(宝島社文庫)を経て、最新作が本書である。長篇としては一作目の弱点を克服した構成と見ることもできる。朝永理人、これで完全体である。
どんなジャンルも発生したときのまま存続できるわけではない。時代と共に変わっていくであろうし、時々の流行に目配せしてこその大衆小説である。『毒入りコーヒー事件』は古典作品の本歌取りを行った謎解き小説であると同時に、現代的な登場人物を配置した青春ミステリーとしても十分成立している。その融合のさせ方に無理がなく、センスを感じさせられるのだ。この作者であればチョコレートではなくてコーヒーでもココアでも、なんならティラミスでもなんでもできる。小味ながら将来性を十分に感じさせてくれる逸品だった。朝永理人、覚えておいて損はない名前になった。