鈴木亮平主演『下剋上球児』の原案作品は、弱小校が甲子園をめざすノンフィクション 描くのは”高校生”の無限の可能性

『下剋上球児』が描く”高校生”の可能性

埋める端から伸びる「伸びしろ」

  高校野球の指導者たちに、ある質問を繰り返したことがある。

 「どうして、去年と今年で、選手はあんなに変われるんですか?」

  そんなことを口にする。大人になると、人はなかなか変われないように思う。ダイエットや生活改善さえ、普通に大変なのが大人の世界だ。

  すると、ほとんど同じ言葉が返ってくる。

 「高校生なんかね、3カ月もすれば別人だよ」

  そう笑われる。

  こちらが若さの可能性を忘れてしまっていることに気づく。

  ボールが打てない、思ったところに投げられない、英語の構文も、数学の公式もサッパリ理解できない。どうにもならなくなって、止まってしまう。そんな停滞期は高校時代に多くの人が経験したものだろう。

  でも、そんなとき、誰かの言葉や自分の気づきなど、何かがきっかけになって、昨日と違うことをしてみることがある。

  どうせ上手にできないから座学する。腕をケガしたから下半身を鍛える。構文も公式もわからないから、ただ単語を記憶し、計算を繰り返す。

  そんな時間を数週間過ごした後に、もう一度、停滞の理由に向き合う。そんなイメージだろう。

  でも、それがすべてを変えるときがある。

  ピッチングなら、手先のコントロールに四苦八苦して自分が不器用に思っていたけど、座学での理解や下半身強化で、足をステップしてもグラグラしなくなる。腕を振ってみると、ボールがビッと切れた。糸を引くようにストライクゾーンに強く速いボールが行く。

  バッティングなら、手先でアジャストしようとしてできなかったのに、同じような理由で、振り遅れてもミートできる。勉強なら、構文や公式がわからなくたって、ほかのことが全部わかるのでなんとかなる。

 「こんなことだったんだ!」

  こうして、小さな成功を感じ、一生懸命のやり方に気づいた人は強い。次の問題にぶち当たるまで前を向いて駆ける。3カ月もあれば、別人になっている。急に球速が10㎞/hも伸びたり、レギュラークラスに台頭したり、平気でやってのける。とんでもない勢いで、伸びしろを埋めていく。若いから、伸びしろなんて埋める端から、また伸びる。

  そんな、成長力という言葉をめいっぱい具現化する光が高校生には降り注いでいるもの。

  だから、高校野球に心が動いてしまう。勝利という形に届かなくたって、伸びまくっている人の姿は、ただただ、まぶしい。

春から夏でも変われるのが高校生

  そういえば、鈴木亮平氏は甲子園のある西宮市出身らしく、高校時代に甲子園の売り子のアルバイトも経験しているそうだ。

  実は、筆者も西宮市は近かったので、小遣い稼ぎにチャリンコで甲子園へ走ったものだ。当時はひとつ売れて20~30円になる歩合制だったが、日払いで給料をもらえるので高校生には便利なバイトだった。

  ただ、何を売る担当になるかは運だった。春に冷たいアイスクリーム担当になったときは大損だった。春の甲子園はやたら寒い。アイスなんて、誰も食うわけない。だけど、夏に冷たいビールやジュースの担当になるとよく売れ、夏休みの糧になった。

  春夏甲子園の間は4カ月だけ。それでも、冷たい商品の価値だけでなく何もかも違った。負けたら野球が終わる儚さも、売り子の高校生が聞く打球音も、湧き上がる入道雲の下での、その感じ方も。

  春から夏で大きく変われる。急に球速が10㎞/hも伸びたり、レギュラークラスに台頭したり、平気でやってのける。それが高校生だ。

  だから、どんどん熱くなって変わっていけばいい。その過程こそがあなたの糧になる。だけど、今は暑いから本当に気をつけて。あなたはその糧と一緒にずっと生きていくのだから。

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