『水星の魔女』15話に戦々恐々……スレッタとミオリネを巡る“呪い”の行方を考える
本当に大変なことになってしまった……。シーズン2開始からわずか2話で視聴者をシメにきた『水星の魔女』、全く油断ならないアニメである。
前回のソフィとノレアとのいさかいの経緯を説明できないニカ、ランブルリングの開始、地球から持ち込まれた2機のガンダムによるランブルリング襲撃と連動したサリウスの拘束、ルブリス・ウルとエアリアルの戦闘、そして明かされたエアリアルの中身……。よくもまあ20分ちょっとの間にこれだけの内容を詰め込んだな……と感心してしまうような密度だった第14話。皆様は気を確かに保てただろうか。
とうとう作中で「学生が死ぬ」という最悪の事態が発生してしまったわけだが、正直この展開には面食らった。実際に人が死ぬようなリーサルな戦闘はアスティカシアの外に存在しており、スレッタたちがリーサルな戦闘に関わるとするなら学園の外に出た後ではないか……と勝手に自分は考えていたのだが、実際には最悪の形で学園の中に戦闘が持ち込まれてしまった。ここまでやるのかと驚いた次第である。
「なんだかんだでみんなで宇宙戦艦に乗ったりして学園の外に出て、『いつものガンダム』みたいな内容に近づく可能性もあるのかな……」と勝手に思っていた身としては、14話の展開はより地獄度の高いものに感じられる。戦うことを主体的に選び取ったわけでもない学生が、学校の中でいきなり撃たれて死ぬという事態は、戦争を描く「いつものガンダム」とは決定的に意味合いが異なる。シャディクとフォルドの夜明けが共謀して行ったことは、戦争というよりは学校内で銃を乱射するようなスクールシューティングやスプリー・キリングに近い。モビルスーツ同士の戦いとして描かれてはいたが、その実一方的な殺人であり、フィクション内で精算されなくてはならないカルマとしては単に戦闘で敵を殺すよりも重いはずだ。ストーリーが進むたび、シャディクが畳の上で死ねなくなっていく……。
学園の中にモビルスーツによる実戦が持ち込まれて人死が出る展開が起こったということは、「戦闘ごっこに興じるだけで、実際には人死にが出ない学園もの」「実弾が飛び交う、実際に人が死ぬ戦争もの」というジャンルの垣根が破壊されたということでもある。『水星の魔女』という作品は、学園内でもモビルスーツ同士の戦闘で人が死ぬ展開を選び取ったわけであり、第14話は「この先も学園ものとしてのフォームは保ちますが、いつ誰が死んでもおかしくない作品になりますよ」という製作陣の意思表示としても読み取れるだろう。恐ろしいことである。
とうとう明かされた「エアリアルの中身はエリクト」という真相もなかなか衝撃的ではあったのだが、ちょっと「やっぱりね……」という感じもする。これまでのスレッタの言動を見る限り、誰かしらガンダムの中に取り込まれているのはなんとなくわかっていたし、フォールクヴァングでの事件からの時間経過とスレッタの年齢の食い違いや、スレッタがカルド博士を知らなかったことなどから推察すると、スレッタとエリクトはよく似た別人であるはず。その辺りを考え合わせると、なにかしらの意志を持っているらしいエアリアルの中に、なんらかの方法でエリクトが取り込まれているのはうっすらと想像ができていた。
むしろ気になるのは、スレッタがビットステイヴに対して「みんな」と呼びかけている点である。無人でありながら自在に機動するビットステイヴにはどのような秘密が込められているのか、現時点では明らかになっていない。が、シーズン2から変更されたエンディングの映像では、かなりはっきりと「スレッタと同じ見た目のキャラクターが5人存在している」「しかしその直後に映る腕の本数は9本である」という点が示されている。5も9もビットステイヴの数にピッタリ合わないのでエンディングに登場する5人のスレッタがビットステイヴに関係するかどうかはわからないが、もうこれ以上エアリアルとビットステイヴの中に誰かが取り込まれていないことを祈るばかりである。
もうひとつ気になるのが、13話と14話にかけて徐々に内容が明らかになったクワイエット・ゼロについてだ。デリングの計画では「GUNDフォーマットとパーメットリンクを使ってあらゆる兵器を掌握し、戦争を根絶する」、プロスペラの計画では「高いパーメットスコアを使い、エリクトのために世界を書き換える」という点が明らかにされているこの計画だが、提唱者はミオリネの母であるノートレット・レンブランだったという。
ミオリネの母親については、劇中での言及は今のところさほど多くはない。そもそもの人相が明らかになっていないし、彼女の死と葬儀がミオリネとデリングの確執の原因のひとつとなったらしいことしかわからない。が、ここにきてようやくクワイエット・ゼロの提唱者というディテールが判明した。
「呪いや呪縛に対して向き合い、立ち向かうこと」が『水星の魔女』のテーマのひとつであることは、本作のプロデューサーを務める岡本拓也氏によって明言されている。実際、プロスペラが娘であるスレッタに対してかける言葉は、スレッタの行動を規定し制御する呪縛となっていることが何度か描写されており、そこからいかにしてスレッタが解放されるかが物語の焦点となることは、これまでの展開からも読み取れた。