立花もも 今月のおすすめ新刊小説 瑞々しさを失わない新井素子のSFや宝箱のような短編など今読むべき4選

『中庭のオレンジ』 吉田篤弘

 コロナ禍で私たちが突きつけられたことのひとつは「正解がわからない」ことの恐怖ではないかと思う。その行為に意味があるのかないのか、先々に役に立つのか立たないのか、効率を求めてしまうのは不景気ゆえの余裕のなさも多分に影響しているだろう。だからせめて、物語くらいは、要でも急でもなければ、わかりやすくもないものを大事にしたい。心をほんのちょっぴり浮遊させて、安らぎをとりもどしたい。そんなときにおすすめなのが本作である。

 単行本と文庫本のあいだくらいの大きさで、オレンジのたくさん成った樹のイラストが描かれた表紙とあわせて、造形がかわいらしく、手にとるだけで、幼いころに大好きだった童話を読みはじめるときのようなわくわくした心地がする。

 誰からも忘れられたような遠いところへ本を届けたい、と気ままに旅する古本屋。彼が出会ったお客が語る、戦火をまぬがれるため図書室の中庭に埋められた蔵書。その蔵書のうえに育った、物語の種がたくさんつまったオレンジの樹……。これは表題作「中庭のオレンジ」で描かれる情景だが、ほんの数ページとは思えないほど豊かな物語が、本作には21編もおさめられている。遠いかなたでひそやかに生きる誰かの、一瞬をきりとった物語。意味なんて、なくていい。だけどこういう美しくてあたたかい物語を読む時間こそが、生きる意味に変わっていくのだと、しみじみ思う。宝箱のような一冊だ。

『ゴッホの犬と耳とひまわり』 長野まゆみ

 こちらも、効率やわかりやすさからはだいぶ遠い。物語の導入こそ、フランス製の古い家計簿に書き込まれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの直筆サインは本物かどうかを探る、というミステリ仕立てだが、怒涛の一気読み!とか、大どんでん返し!とか、歴史の隙間をついた新解釈!みたいな派手さを求める人は拍子抜けしてしまうくらい、脱線が多いのだ。

 遠い親戚である文化人類学者の河島が、主人公の「ぼく」に依頼してきたのは、家計簿に書き込まれた大量の書き込みの翻訳。サインの真贋を確かめるには細部の検証が必要だから、なのだけど、この河島による経緯の説明がまずもって、長い。たぶん私が「ぼく」なら「もうちょっと要領よくまとめてくれませんかね」と言いたくなるくらい。でも……不思議なことに、この脱線が、おもしろいのだ。ゴッホの話をしていたはずなのに、謎多き海外の絵本や、「ぼく」をはじめとする家族・親類たちのヒストリーに話が及び、物語にふりおとされないよう、追いつくのに必死。けれど、一見なんの関係もなさそうに見えたピースが集まって、最後にはひとつの絵画のようにぴったりとあわさり、収束していく。その構成力には、ため息しかでない。

 一読しただけでは理解が追い付かなかったので、くりかえし読んだ。そして思う。読書って、ほんとうに、コスパがいい。作者のとほうもない想像力をおすそ分けしてもらいながら、知識を得、未知なる世界を旅することができるのだから。ゴッホをモチーフにしたフィクションのなかでも、類をみない作品なので、ぜひ腰を据えて挑んでみてほしい。

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