漫画『雨夜の月』が問う「常識」 作者・くずしろが対峙する「 目には見えないけど存在している偏見」

 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

 上記はサン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくるキツネの言葉だ。大人をも魅了し続けているこの『星の王子さま』の言葉だが、私にはなかなか理解できなかった。「心で見る」とはどういうことか、心にはどのような目があるのか。

 くずしろの『雨夜の月』は、ひとは考え、悩み、目に見えないけれど、存在していることを注視させてくれるマンガだ。

「雨夜の月」とは存在しているのに、雨雲のせいで月が見えない。目には見えていないが存在していることのたとえである。

 金田一咲希はピアノが好きな新高校1年生。ピアノ教室の先生が好きだった。レッスンの日に先生が妊娠していて、結婚する予定で教室を閉めることを告げられる。咲希は気分が悪いまま帰ることになる。そして高校に初登校すると、レッスンの直前に道でぶつかった少女・及川奏音と再会を果たす。長い黒髪が印象的な美人の奏音と咲希は席が隣同士になった。そして担任の先生は、奏音は耳が不自由なことを知らせる。クラスメイトを前にして、奏音はサポートはいらない、構わないで欲しい。逆に迷惑だ、とはっきりと告げる。

 そして担任の先生は咲希に奏音のサポートを裏でこっそりと頼む。そのとき先生に聴覚障がい者の女の子が主人公のマンガを勧められる。その帯には「一番泣けるラブストーリー」という文字が書かれていた。咲希はそのマンガの勧めを辞退する。

生きているものは
いずれ死ぬ

世界では
今も戦争が
起きている

世の中には
――…

身体が
不自由な
人もいる

頭では
わかって
いても

実感が
ない限り

それは
ファンタジーと
変わらない

 咲希はそう思う。担任に勧められたマンガは、先生に悪気はないかもしれないが、物語の味つけとして聴覚障がい者を出している。方便としての障がい。だからひとは容易に涙を流せるのだ、と咲希は看破していたのだ。

 『雨夜の月』の作者・くずしろの代表作は4コママンガ『姫のためなら死ねる』(『まんがライフWIN』竹書房12巻以下続刊)。『兄の嫁と暮らしています。』(『ヤングガンガン』スクウェア・エニックス12巻以下続刊)、『笑顔のたえない職場です。』(『コミックDAYS』講談社6巻以下続刊)などがある。緻密な女性描写に目を奪われる作品が多く、マンガの形式を囚われずに楽しめる作品だ。

 『雨夜の月』は聴覚障がいを持つ奏音と(3巻の現時点では明言されていないが)セクシュアルマイノリティである咲希がどのように人間関係を築いていくかの物語である。関係を築くことを通して、「普通」とは何かを読者にも問いかけてくる。

「常に相手の
立場になって
考えてみましょう」

アレを
守れる人って

この世に
いるのかな

少なくとも
私はムリ

普通に
聞こえる人の
気持ちが

年々
わかんなく
なってく

そっち(注:咲希のことを指す)も
聞こえない人の
気持ちは
わかんないでしょ

 奏音は咲希の仲良くなりたいという申し出に、そう答えた。しかし咲希は奏音と友情を築きたいと思っている。どうすれば仲良くなれるのか、奏音の作った大きな見えない壁をどうしたら超えられるか、咲希はある行動に出て、奏音を驚かした。

なにか配慮に
欠けてたり
困っている時は
ちゃんと
言って欲しい

「でも
言っても
わかんない?」

だけど
話もしない
うちから

「言っても
わからないでしょ」って
切り捨てられるのは

悲しいよ

それは
誰だって
そうじゃない?


 

 先述の奏音の言葉に呼応するように、咲希はそう言った。そしてふたりは友達になった。

 築いたばかりの友情は新鮮だ。相手の知らないことは多いし、変化も目まぐるしい。咲希は高校生になってもピアノを続けることを選び、奏音の母が指導しているピアノ教室に通うようになる。レッスンが終わった後に咲希は奏音の元へ顔を出す。

 咲希には奏音の何もかも新鮮なように思えた。音楽一家なこと、本が好きなこと、聴力は右の方がまだ聞こえるので奏音の右隣りに座ること。それでも咲希には奏音について知らないことがたくさんある。

奏音のことは
まだ全然わからない

でも はっきりしたのは

とても
笑顔が
かわいくて

さみしがりやの
普通の女の子ということ

 人間が持つ何らかの障がいをマンガで描くとき、「感動の対象としての障がい者」が強調されがちだ。しかし、くずしろは安易な、当事者を傷つけうるような「感動の対象としての障がい者」は絶対に描かない。

 聞く・話す・食べるが3つ一緒にできない奏音はクラスから離れ、ひとりで昼食をとる。咲希はわからないことの方が多く、自分の無力さや無神経さを実感する。「感動の対象」どころではない。

 聴覚障がいと共に生きていくこと、そしてそのひとに寄り添うこと。作者くずしろ自身も作者の言葉で書いている。

常識と、
常識めいた偏見を、
間違えずに
いたいです。

 友情は築いただけでは終わらない。人間関係は築き続けることが大変だ。奏音には中学時代にとても仲の良い、奏音いわく「依存」だった、友達がいた。しかし彼女との友情は破綻してしまい、奏音はその友達と出くわしただけで萎縮して、不安になってしまう。奏音は友達を「頼りすぎた」「追いつめた」というが、咲希には本当のところ何があったかわからない。しかし咲希は「どんなに頼られたって平気」と伝える。奏音はそんな咲希を衝動的に抱きしめる。咲希の肩に奏音は顔を埋め、「ばーか…」と言う。その奏音の行動に咲希は戸惑う。奏音にとって本が「聖域」であったように、また咲希は咲希自身の女性への欲望や感情を殺して、秘してきた。咲希の欲望や感情もまた「聖域」なのだ。

 障がいを持つ方を差別してはいけません。セクシュアルマイノリティのひとを差別してはいけません。当たり前のことだが、いざ障がいやセクシュアルマイノリティという人間の一側面を急に見せられたとき、戸惑う人は多いだろう。私もそうだ。知らないことが罪なのではない。知ろうとしないことが悪いことなのだ、と『雨夜の月』は教えてくれる。

 23年1月現在、『雨夜の月』は3巻まで発売されている。私も心眼を鍛え、咲希と奏音の関係がどう変化していくか、読者という当事者として考え、感じていきたい。

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