人間椅子・和嶋慎治、初小説で新たな扉を開く「文章で創作するのは子どもの頃からの憧れでした」

人間椅子・和嶋慎治、初小説を語る

苦悩のなかで生まれる歌詞


――その後、和嶋さん自身が日本語の詞を書くようになり、多くの曲を発表されましたが、よく書けたな、自分らしいなと思うのは、どの曲ですか。

和嶋:パッと思いつくのは「どっとはらい」(『真夏の夜の夢』/2007年)。21世紀のダダイズムをやろうとした曲です。日本でダダイストというとまず中原中也ですけど、彼が影響を受けた高橋新吉の詩集を読んで衝撃を受けたんです。ヨーロッパで流行った芸術運動を日本人が独自解釈したんですけど、日本語を一回解体して自分の感性を叩きつけるのが素晴らしい。僕もそれを歌詞でやりたくて、うまくできたのが「どっとはらい」です。「人間失格」(『人間椅子』/1989年)、「鉄格子黙示録」もよく書けたと思います。

――「人間失格」と「鉄格子黙示録」は、かなり若い頃の曲ですね。

和嶋:10代の頃の才能を自分はなかなか越えられない。「鉄格子黙示録」は17歳の時に書きましたけど、精神の崩壊手前の境界線的な感じ。その種の青春期ならではの状態を表現できていて、「人間失格」も同様の流れにある。曲を作るみなさんがそうでしょうけど、自作には厳しくなるんです。他の人がいいといっても自分ではそうでもなかったり、逆に他の人がえ? って思うものを自分はいいと思っていたりする。初期は、わりとうまく書けたと思うものが多いです。あと、自分のなかでこれまで二回ほど大きく感覚が変わりました。

――どの時期ですか。

和嶋:『屈折くん』にも書きましたが、一度目は文学の洗練を受け、受験を控えてノイローゼっぽくなった時期。エピソードとしては、部屋にUFOが現れてアブダクションされ(笑)、精神が変容して性格が暗くなった。それで「鉄格子黙示録」みたいなものを書き出した。でも、その感じで詞曲をずっとやろうとしたら、煮詰まった。出口が見えなくなり、バンドもあまり売れなくなった時期があって、どうやって生きればいいか、悩みました。40代でいろいろ本を読んだり、自分のなかでいろいろ考えたり。その時に哲学書を読んだのは、考えるくせをつけてもらえたのでよかった。ニーチェなどに影響を受けました。

 哲学的なことを考えてもご飯は食べられないし、女の人にモテない。他人から相手にされない。けれど、知識の官能、思考する官能というか、悦びがあるんですよ。それで、生きるってこういう風にすればいいのかなという糸口が、40代の厄年の頃にあって、また詞を書くのが楽しくなりました。「どっとはらい」は、そういう風に変わる狭間で突き抜けた感があった。

 哲学にハマっていた頃は「深淵」のような歌詞になり、一人の考を抽象的に書いていたんですが、「無情のスキャット」(『新青年』/2019年)は、それを世界に向け、わかりやすい言葉で書けた。スマートな形で出せました。天使は自分のことを見てくれないという詞ですが、天使というワードが出てきた時、1行目でいけると確信したんです。自分が悩みから脱するきっかけをつかむことができたので、同じような状況にある人にわかりやすく伝えたい。そういう発想になれた曲です。あざとく狙わず、うまく表現できれば伝わるんだと思えました。

――以前、ホラー作家のH.P.ラヴクラフトの作品は一種の私小説だと発言されていました。怪奇幻想色が強い人間椅子での和嶋さんの詞にもそういう面はありますか。「見知らぬ世界」(『見知らぬ世界』/2001年)などには私生活の変化が反映されていたようですが。

和嶋:「見知らぬ世界」は、まさに私小説的なことを抽象的に書いたものですし、個人的生活が出た歌詞もあります。また、現代とクロスするようにと意識しています。ただ、あまりリアルに現代を書くと数年で陳腐になるのでそれはやらないようにして、普遍的でありたいと考えています。例えば、キャンプをすると怖い目にあったりするんで、「雪女」(『怪談 そして死とエロス』/2016年)は、そうした自分の経験をもとに書きました。

救いのない曲は作らない


――『屈折くん』の最後の方では、坐禅を組むなどして発心(ほっしん。悟りを得ようと心を起こすこと)したとありました。和嶋さんは、駒澤大学仏教学部仏教学科卒ですが、歳を重ねてその頃学んだことが腑に落ちた感じですか。

和嶋:そうですね。初詣などで「仕事がうまくいきますように」、「お金がもうかりますように」と願うのは発心じゃなく現世利益というか、煩悩に近い。発心というのは、幸せに生きるとはどういうことか、その思考を経たうえでのものかなと思います。道元の『正法眼蔵』とか、学生の頃は全然わからなかったけど、歳をとって少しはわかるようになりました。

――歌詞を長年書いてきて、初期と比べてここが変わったと自分で思うことは。

和嶋:発心をつかんだ時から変わりました。詞や曲でネガティブな暗いことをいったとしても、最終的に救いを持たせないとダメ、バッド・エンドはダメと考えるようになりました。英語に「death」、「die」とか、また非常に下品な言葉とかがありますけど、ああいうのは入れたくない。マイナスのパワーはダメージを与えるし、自分がダメダメというと自身にダメージがくる。否定する言葉は使いたくないんです。以前はそこまで考えず、不謹慎がいいんじゃないくらいに思っていた節もあります。でも、そう思っていたら自分が苦しくなった。マイナスのポーズをとるのはいいけど、本当に救いのない状態でやると他人も自分も救われない。

 とはいえ、根拠もなく、元気でいきましょうとは、いえない。なぜ、自分がそういえるようになったかといえば、苦しみや悩みがあったうえでのことだし、みなさんの目の前にあるのは、ほぼ苦しみ。それらとどう向きあい、いなして乗り越えるかがテーマであり、やっぱり暗いことは書かざるをえないので、それは書いていきたい。

 だから、いたずらにホラーな曲ではなくなったわけです。「なまはげ」はホラーの形でよく書けたと思います。「なまげものは いねが/泣いでるわらしは いねが」って怖いヤツがきて、子どもがさらわれる暗い歌にしてもいいんですよ。でも、それだと誰も救われない。なぜ、なまはげがくるか。業(ごう)とか欲とか、人間が越えられない性(さが)を戒めるためではないか。それを乗り越えなくてはいけないと、なまはげにいわせたら面白いと思ったわけです。その形なら怖いものを書いてもいいのではと考えています。

――その点、伊東潤氏が今回書いた「なまはげ」は、救いがある話になっていましたね。

和嶋:あー、そうだ。若輩者の私がいうのもなんですが、大人の小説でさすがと思いました。

――和嶋さんは、これからも小説を書き続けますよね。

和嶋:スイッチを入れたと思っているので、書いていきたいです。ただ、この本が出せて、自分が書かせていただけたのも、人間椅子というバンドがあったからだとわかっています。そこはないがしろにせず、バランスをとりながらやっていきたい。娯楽小説的なネタはもう2つくらいあるんですけど、純文学的なものもいずれ書きたいです。そうなると全然遊べないなーって思ったりしますけど、まだまだ人生長いつもりで頑張ります。

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