エルヴィス・プレスリーに魂を奪われた男、大いに語る「日本はエルヴィス後進国。元祖ロックTのことも知られていない」

プレスリーに魂を奪われた男・船橋羊介

1956 EPE Tシャツ
ファンの間ではEPEグッズと呼ばれる「Elvis Presley Enterprises」社がライセンスを持つグッズ類のひとつ。エルヴィスは世界にロックンロールを知らしめた初のアーティストなので、当然このTシャツも世界初のロックTとなる。


 2022年7月、バズ・ラーマン監督によるエルヴィス・プレスリーの自伝的映画『Elvis』が公開され、話題となったのは記憶に新しいところ。エルヴィスを知らない若い世代がキング・オブ・ロックンロールの魅力を知る良いきっかけとなったであろうこの映画と併せて、ぜひ読んでほしい1冊がある。

 「1954-56年のエルヴィスは神がかっていた。」(立東舎)。著者は、約30年間エルヴィスビジネスに関わってきた日本最強のエルヴィスマニア、船橋羊介さん。音楽だけでなくファッション、愛車、そして船橋さん自身がエルヴィスの聖地メンフィスに赴いて実際に体験をしたエピソードも交え、超マニアックかつ、独自の視点のエルヴィス論が展開される。

船橋羊一「1954-56年のエルヴィスは神がかっていた。」(立東舎)

日本はエルヴィス後進国

 なぜ1954-56年の3年間なのか。その時期にエルヴィスを語る上での重要な出来事が凝縮されているからだ。船橋さんが本書を通して伝えたいのは、50年代のエルヴィスがまとっていた唯一無二のカッコ良さ。残念ながら日本は、エルヴィスのことを知らない人が多すぎる、エルヴィス後進国だという。

 今回は、「50年代のエルヴィスを知れば、20代の若者だってエルヴィスのことが好きになる」と断言する船橋さんをお招きして、世代を超えて語り継いでいきたいエルヴィスの本当の魅力を語ってもらった。

──1972年生まれの船橋さんはそもそもエルヴィスの直撃世代ではないですよね。どうやって、エルヴィスと巡り合ったんですか。兄弟や先輩にエルヴィス好きがいない限り、中々辿り着かないアーティストだと思うのですが。


船橋:私は一人っ子でしたし、学生時代にもまわりでエルヴィスを聴いている人は誰もいませんでした。バンドブームの全盛期で、私もBOØWY のコピーバンドを組んで髪を逆立てていましたからね。そんな私を変えてくれたのが、週刊ヤングマガジン(講談社)で1989年から連載が始まった漫画「バイクメ〜ン」でした。

── 望月峯太郎先生の初期の名作。ロッカーズのライバル同士が、現代に転生して抗争を続けるというストーリー、ですね。

船橋:そうです! 主人公がエルヴィスに酔心していて、そこで若かりし頃のエルヴィスを知ったわけです。衝撃を受けました。50年代のエルヴィスはこんなにもカッコ良かったのかと。私が断片的に知っていたエルヴィスは、ジャンプスーツでひらひらのフリンジを付けていた70年代の太った姿で……でもよく考えたら、これってまんま、日本の芸能人がモノマネをしていたイメージなんですよね。

望月峯太郎『バイクメ〜ン』(講談社)

──(笑)。そういう刷り込みってありますよね。「バイクメ〜ン」のおかげで本当のエルヴィスを知ることができた、と。

 船橋:ですね。音楽、ファッション、バイク、キャデラック……ライフスタイルすべてが輝いていたんです。

SWATから銃口を向けられて……

──船橋さんは大学卒業後、エルヴィス専門店に入社するんですよね。

船橋:エルヴィス専門店に入ったのは1995年。以降、毎日朝から晩までエルヴィスの曲と映像を身体中に浴びて、14年間マニアの方々と語らいました。最後の2年間はメンフィスに移住するんです。生前のエルヴィスが通っていた洋服店の跡地で、エルヴィス専門店をスタートすることになったので。

──エルヴィスが育った聖地メンフィス! それは凄いですね。

船橋:いや、気合が入りましたよ。元オートクチュール職人にエルヴィスが着ていた服を復刻してもらい、エルヴィス財団の認可を取得して販売しました。店舗は50年代にタイムスリップしたかのような完璧な空間に仕上げましたから。

──財団が認めたオフィシャルショップだったんですね。

船橋:当時は怖いもの知らずでした。思い出すのは2006年6月30日、小泉首相とブッシュ大統領がエルヴィスの生家グレースランドを訪問したときのこと。私はエルヴィス財団と通じていたので、早くからその情報を知っていたんです。この機会を店舗のプロモーションに活かさない手はないと思い、小泉首相とブッシュ大統領2人に私が作ったエルヴィスモデルのテーラードジャケットをプレゼントし、私も含めて3人で記念写真を撮りたい! と財団に掛け合いました。

──そんな無茶な(笑)。

船橋:私は本気でしたよ。でも財団からの返答はNG。私は諦めきれなくて、首相と大統領2人を乗せたキャデラックがグレースランドに向かう道中で直談判をしようと思ったんです。当日、ジャケット2着を握りしめて待ち伏せしました。

──やっていることはテロリストと一緒ですよ、船橋さん(笑)。

船橋:今から考えるとそうなんですけどね……。で、ジャケットを手渡そうと飛び出したら、SWATの銃口が一斉に私に向けられたんです(笑)。腰が抜けましたよ!

──どう考えても、そうなるでしょう。

船橋:その計画は泣く泣く諦めました。でもメンフィス滞在時は本当に色々なことがありました。拙書「1954-56年のエルヴィス~」では恥ずかしながら、そんな破天荒なエピソードをたくさん書かせていただきました。

──メンフィスでは、エルヴィスの偉大さを体感できましたか。

船橋:それはもう。アメリカでは老いも若きもエルヴィスを知っているし、〈THE KING〉と辞書を引けばエルヴィスのことと記載してあるくらい。海外の名立たるトップアーティストたちだって「エルヴィスがいてこそ俺たちがいる」ということを十分理解しています。日本にいるとわからないんです、エルヴィスの偉大さが!(興奮ぎみに)。

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