人間椅子・和嶋慎治、初小説で新たな扉を開く「文章で創作するのは子どもの頃からの憧れでした」
自分をなぐさめながら書き進めた
――小説を書いてみて、歌詞を書くのとは違ったと思いますが、どうでしたか。
和嶋:違いますね。歌詞は言葉を削り、単語のパワーを求める作業なんです。言葉の組み合わせで意外な意味が生れたり、パズル的なところがある。文章っぽく長々と書くとか、そういうスタイルの歌詞もありますけど、自分らはそうではなく余韻を持たせる感じで書いてきた。
一方、自伝を書きましたし、エッセイもたまに書いていて、それらは生活文なので身の周りのことを素直に書けばなんとかなる。起承転結をつけて読みやすい文章で、時々フックのある言い回しを入れれば成立します。でも、小説はそんなことでは書けない(笑)。
まず、プロットがないと書き出せない。なくても、純文学とかでは書けるスタイルがあるでしょうけど、娯楽的な、大衆小説的なものは筋がないとお話にならない。それを矛盾がないように考えるのも大変。勢いにまかせて書くとどんどん矛盾して、3歩進んで2歩下がる感じに何度もなる。文章を添削しながら進まないといけないわけで、こりゃ大変だと思いました。
エッセイや歌詞は一人称というか主観的にやれるんです。三人称で書いても、主人公はだいたい一人でやれちゃう。でも、小説にはいろんな人が出てきて、自分の思惑だけでは書けない。それぞれのパーソナリティを考えないと、一人だけの対話みたいになっちゃう。疲労度がエッセイの比ではないし、歌詞よりもずっと疲れました。
――本では40ページほどの短編ですが、書くのにどれくらい時間がかかりましたか。
和嶋:2週間くらいでできるかと思ったら、3週間くらいかかりました。エッセイなら1日に400字詰めで10枚いけるけど、小説は4、5枚いけるかいけないか、2枚しか書けない時もある。数行でつまずいてしまう。この言い回しだと前後につながらないなあとか、スランプにはまるんです。そういう時には、谷崎潤一郎でも1日だいたい3、4枚、宮沢賢治とかも2枚だったと考えて……。
――文豪と比べましたね(笑)。
和嶋:有名な人もそんなもんだったと、自分の心をなぐさめながら書き進めました。
ピート・シンフィールドからの影響
――今年9月に自伝エッセイ『屈折くん』が文庫化されました。単行本刊行から5年経ちましたが、ゲラで読み返してどうでしたか。
和嶋:頑張って率直に書いたなと思いました。ただ、締切に追われ、あまり推敲できなかった部分もあって、ああ、また同じフレーズだとか批判的な目で読みました。少し直したところもあるので、前よりちょっとだけよくなりました。勢いをつけて書くと、矛盾したことを書いたりするし、慣用句の間違いなどは直さざるをえない。でも、全部直すのも生々しさがなくなるので、なるべく直さないようにはしました。そのゲラが終わってから小説にとりかかったから、「暗い日曜日」には問題を前に悩む少年というあたりで『屈折くん』の影響が出ています。でも、それが自分のテーマなんだろうとも思います。
――『屈折くん』によると、ロックを好きになる前から小説が好きだったそうですが、ロックは洋楽から入ったんですよね。歌詞についてはどう捉えていましたか。
和嶋:ビートルズの詞はいいと思いました。初期からビビッドというか、すごく繊細で、悪い人たちではないというか(笑)。ジョン・レノンは、ピュアで根底にラブがある。彼はソロになってからそれを前面に出しますけど、ビートルズではそれがあからさまではない分、かえってよく感じられる。ポール・マッカートニーの詞も素朴でいい。
その後、ハード・ロックが好きになりましたが、ディープ・パープルの歌詞をみると正直、あまり頭よくないなって中学生ながらに思って(笑)。レッド・ツェッペリンも「天国への階段」は曲も詞も別格ですけど、他の曲はわりとメイキン・ラブな内容でしょう。同時期にプログレッシブ・ロックのキング・クリムゾンを聴いて、ピート・シンフィールドの歌詞は他と全然違う、いいと思いました。ビートルズとも違うし文学的で、ただ、訳詞は直訳だからか、何いっているのかさっぱりわからない。でも、逆に、何いってるかわからない日本語っていいなと思っちゃって、現代詩みたいだし、影響を受けました。