人気ミステリ作家・貫井徳郎デビュー30年記念座談会 評論家とともに振り返る功績と真髄


ーー千街さんと若林さんにとって、おすすめの貫井作品は?

千街:私が一番好きなのは『プリズム』(1999年)だったので、文庫解説の話がきた時に「きたー!」と思ったんです。

貫井:僕も最初から『プリズム』の解説は、千街さんでお願いしたいと思っていました。

千街:読んだ印象の鮮烈さということでいうと、デビュー作の『慟哭』のインパクトがやっぱり強くて。その後、いくつもの作品を読んでいって、『プリズム』で作家として何段階か上がったなと思いました。それから『愚行録』や『乱反射』も好きな路線でした。

若林:僕はやはり『慟哭』が忘れられない読書体験でした。緻密なロジックの謎解きも当然好きだったんですけど、物語の大枠にものすごい仕掛けが施してあって驚かされるタイプの作品も好きになりました。人間の描き方もすごく刺さるところがありました。

 あとは『症候群シリーズ』。僕も『必殺シリーズ』が好きなので、善と悪の境界線とは? と考えさせられる作品だったので、心にグッとくるものがありました。

スリルに満ちた誘拐事件の裏側

ーー今回、2019年に単行本として刊行された『罪と祈り』が、初の文庫化となりました。本作にはどういう思いがありますか?

貫井:これを書いた頃はとにかく自分をレベルアップさせなきゃと思っていたんです。初回の締め切りを設定しないでもらって。ある程度いけると思うまで時間をもらってじっくり考えました。

 とはいえ、誘拐のネタは考えてなかったんですけど(笑)。シンプルなストーリーでは注目してもらえないと思ったので、現代パートと過去パートの二重構造にして。キャラ設定や関係性、事件の真相などを時間をかけて練っていたので、誘拐事件までは手が回らなかったわけです(笑)。

 あと僕はあまり特定の土地を描かないタイプなんですけど、珍しく浅草の雰囲気を緻密に書いたんです。そのために浅草で生まれ育った知人などに取材をしっかりとしましたね。

若林:主人公は、現代パートに亮輔と賢剛、過去パートがその親の辰司と智士が登場します。複数の人物が巧みに配置されているなと思いました。書きながらどんどん考えていくということでしたが、この配置自体は決めてから書かれたんですか?

貫井:そうですね。最初に1章の現代パートを100枚、2章の過去パートを100枚で合計200枚を書いたんですよ。それでやっと主人公4人が出揃うので、主人公像がつかめるまで待ってほしかった。自分は書いてみないとわからないタイプで。100枚ずつ書いたことによって、キャラが明確になったので、連載がスタートできる手応えがありました。

若林:現代と過去を往還しながら、犯人が誰なのか、そして何が起こったのかと、すごく惹きつけられる作品でした。ホワットダニットとフーダニットを2つ合わせて書かれているところが、この作品の特徴だと思います。

 特に前半に人物一人一人を丹念に描いている。ご自身でも意識されて、じっくり書かれていたんですね。

千街:前半の人間関係の積み重ねが描かれるところでは、辰司が警察官なんだけど自分にできることがなくて忸怩たる思いをしているところなども丹念に描かれていますね。

貫井:主人公が4人と多いので、区別がつかないと読んでいて混乱するだろうと思いました。きちんと書き分けをしようという意識は常にありました。

若林:そして何が起こったかが描かれる後半は、ギアが入るように加速していきますよね。すごく面白かったです。

ーー千街さんが特に面白いと思われたところは?

千街:誘拐事件がこの年のこの日じゃないとできない計画なんですね。読んだ時は最初からこのアイデアはあったものだと思っていたのですが、書きながら思い浮かんだとは。

貫井:僕自身も読み返したら、そうとしか読めないです。そのアイデアを中心に組み立てたかのような話じゃないですか。でも、違うんですよ。この誘拐事件が成り立つにはどうすればいいのか。あとからそこに説得力を持たせられるアイデアを盛り込むために、これならうまくいくかもしれないという設定を考えました。いいアイデアだったと自己評価はしてるんですけど。

若林:登場人物の心理のスイッチが切り替わるのに一瞬驚くんですけど、もしかしたらそれもあり得ることなのかもしれないと思わせられる。先ほどのお話と重なるんですけど、正義と信じていたものがある時に何かのきっかけでそうでない方向に行ってしまう。だけど自分の信じる正義みたいなものはある。後半では特にそれが描かれているのがすごく印象的でした。貫井作品ならではの部分だと思います。

世の中では誘拐事件が起きなくなっている

ーー貫井さんは誘拐ものをずっと書かれていて、今後も書く予定はあるのでしょうか? アイデアは何かお持ちですか。

貫井:そうだといいんですけど、アイデアのストックはないんですよ(笑)。あと今回書いて気づいたのは、もはや誘拐という事件が、リアリティを持って受け入れられなくなっている。世の中では誘拐事件が起きなくなってるんですよね。どうしてかというと、もう全く成功しない犯罪なんです。でも昭和末期は普通に起きていた。

若林:確かに科学捜査も進んでいて、すぐに特定されちゃいますもんね。難しいですよね。

千街:一昔前ですと、犯人から電話かかってきた時に逆探知するから「会話を引き伸ばして」などと言っていましたけど、今は全然その必要もないですもんね。

貫井:警察が強くなりすぎちゃって、ミステリを書くのが大変なんです(笑)。本当にミステリ作家にとっては、犯罪計画を練りにくい世の中になってしまいました。ですから架空の日本にするとか、ゲームの中にするとか、警察の捜査力が及ばないシチュエーションを考えていこうかなと思っています。

 30年目に入ってこれからはちょっと趣向を変えて、自由な発想で書いてみようかと。そしたら自分でも小説を書くのが楽しくなってきました。これからは色んな設定の話に挑戦しようと思っています。

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