水城せとな『黒薔薇アリス D.C. al fine』愛と繁殖とは何か? シビアな問題にこそロマンが必要だ
水城せとなの愛と生殖についてのヴァンパイア・ロマネスク『黒薔薇アリス』が面白い。
当初は月刊「プリンセス」(秋田書店)で連載されていた『黒薔薇アリス』。第一部が終了し、第二部『黒薔薇アリス D.C. al fine』が月刊「Flowers」(小学館)で連載中だ。
水城せとなといえば『失恋ショコラティエ』(小学館)のドラマ化や『脳内ポイズンベリー』(講談社)が映画化されている。そして近年では『窮鼠はチーズの夢を見る』(小学館)の行定勲監督による映画化(2021年)が記憶に新しい。
数々のヒット作を生み出し続ける水城せとなだが、ダークファンタジー『放課後保健室』(秋田書店)ではマンガならではの表現を追求。『黒薔薇アリス』は『放課後保健室』のテーマの流れを汲んだ、吸血樹(ヴァンパイア)たちの物語を描いている。
『黒薔薇アリス』は1908年、オーストリア・ウィーンでディミトリが人間の女性と繁殖をする植物・吸血樹になった理由から話が始まる。
そして2008年の日本・東京でディミトリは暮らしていて菊川梓の魂が、ディミトリの友人の婚約者であり、ディミトリにとって憧れの女性であったアニエスカの身体に宿る。それが本作の主人公のアリスだ。アリスはディミトリと、ディミトリと同じ吸血樹である世話好きのレオ、料理の得意な双子の櫂と玲二に囲まれて過ごすことになる。
ディミトリはアリスに自分たち吸血樹からひとりだけ選んで欲しいという。選ばれた吸血樹はアリスと吸血樹の種を残し、死ぬことになる。まさに生死を賭した選択をアリスに迫る。
一見女性ハーレムに見える『黒薔薇アリス』だが、そこには生死を分かつ選択がなされるのでアリスはシビアに考える。ここで少しネタバレをするのだが、アリスはディミトリを選ぶ。その過程は『黒薔薇アリス 新装版』全6巻(小学館)をぜひ読んで欲しい。重要なのは結果だけではなく、その過程でもあるからだ。
『黒薔薇アリス D.C. al fine』は『黒薔薇アリス』の後日談であるディミトリとアリスが繁殖し終わった後の話を描いている。
ディミトリとアリスが一緒に住んでいた洋館でひとり暮らす櫂。そこにディミトリとアリスの種を受け継ぐ吸血樹となった男子高校生・山本黎司が現われる。
櫂は黎司と黎司の恋人であるありさに語り継ぐように、アリスがディミトリを選んだ後の話をし始める。
――昔
むかし
この家には
虫愛づる姫君と
4人の吸血樹が
住んでいた厄介な主人と
微妙にソリの合わない同族と
訳ありの双子の兄弟と
僕今はもう 誰もいない
みんな いってしまったアリス あの頃 僕は
いつもひとりになりたいと
何度も何度も思っていたでも みんなで
君を囲む毎日は
今思えば贅沢だったね僕ひとりでは
手に余るよ
あの家も
この店も
長すぎる寿命も
櫂のモノローグから『黒薔薇アリス D.C. al fine』は始まる。
ディミトリとアリスが吸血樹の種を黎司に残したのはわかったが、黎司の何に惹かれたのか、黎司のどこに吸血樹になる資格があったのかはまだ明らかにされていない。
そして『黒薔薇アリス D.C. al fine』では新しいキャラクターとウィーン時代の意外な人物がディミトリの目の前に現れる。その人物の復讐劇も見どころのひとつだ。
『黒薔薇アリス』、『黒薔薇アリス D.C. al fine』に通底するものは愛について、そして繁殖についての考えだ。
水城自身も秋田書店版『黒薔薇アリス』のカバーに書いている。
愛と繁殖について考えました。
美しい羽の雄、より高い声で鳴く雄、闘いで勝ち抜いた強い雄、それらを雌が選ぶ…自然界の仕組みは概ねシンプルですが、人間という生き物は若干複雑なようです。
叶わなかった片想いをいつまでも引き摺ったり、きちんとした良き異性よりも危なっかしくてダメな異性をあえて選んでしまったり、素直に愛を語るよりもメンツの方が大事だったり。なぜ? と考え始めるとシビアな答えばかりが頭に浮かんできます。だめだだめだ、時にはロマンも持たなければ。
人間の場合、愛と繁殖はイコールで結ぶことができない。愛があっても子孫を残せるとは限らないし、繁殖という点だけでパートナーを選ぶことは稀である。
愛と繁殖には接着剤となるロマンが必要だ。『黒薔薇アリス』の1巻の時点で、水城はそれを看破していた。
――吸血樹の繁殖は 繁殖した吸血樹と人間
両方の性質を受け継ぐ破滅的な気質を持つ
吸血樹が種を残せば
その種で生まれた吸血樹は
その性質を引き継ぐしそれを抑えられる
女性と繁殖すれば
好ましくない気質も制御できる可能性が
あるんだけど
繁殖を担った女性が
吸血樹を憎めば
吸血樹を憎む
吸血樹が生まれる吸血樹の個体数は
とても少ないと聞く
だから
1つ1つの繁殖が
とても重要なんだ
櫂は黎司にそう説明する。吸血樹の繁殖は人間以上にシビアなものなのだろう。
ロマンは、恋は、愛の始まりであり繁殖への第一歩である。シビアな問題であるからこそロマンが必要なのだと考えられる。
愛と繁殖の物語が、『黒薔薇アリス D.C. al fine』が、どういう過程を辿るのか私は目を離すことができない。