【クイズ】セミは死ぬ前にどんな景色を見る? 『生き物の死にざま』が教えてくれる、命のはかなさ
だが動物と人間は違う
では、同シリーズを読んで、動物と人間を同列に考えるようになるのだろうか。
筆者の答えはNOだ。
筆者は種差別に反対で、「人間」ではなく、地球に住むものという意味の「Erthling(アースリング)」を名乗っている。だから、生物のメスを自分に投影して共感したり、彼女たちのように力強く生きて散っていきたいと思う。
しかし、『生き物の死にざま』を読む限り、人間と他の生き物が同じような意識で生と死を受け止めているとは思えないのだ。
日本は少子高齢化ということもあり、妊娠・出産をめぐる議論が頻繁に起こり、「産む性」や「生きる意味」が問われることも珍しくない。だが、人間は子孫繁栄だけを目的に生きるには、あまりにも複雑な社会で暮らしている。本書にある生き物のように本能に従って生きたくても、それを許さない状況が数多く立ちはだかっていたり、さまざまな考えを後押しすることでより良い社会になる可能性を孕んだ社会を築いてきたからだ。
姉妹本となる『生き物の死にざま』の最後の章は「人間」だ。そこで、「ヒト以外の生き物はみな、『今』を生きている」と書いている。ヒトは未来や過去を考える能力を手に入れてしまったために、未だやってこない死を恐るのだ、と。
筆者が学生だった頃に生物教師が言った、「動物は本能と学習能力を持つが、人間はさらに知能を持つ」という言葉を思い出す。その言葉は、若き日の筆者にとって、とても種差別的に聞こえた。
だが、歳を重ね、出産と子育てを経験する中で本書と出会い、「自分は動物のようには生きられない」と実感している。
生垣は「人間」の章で、こう書いている。
「私たちは、なんというやっかいな生き物に生まれてきてしまったのだろう」
筆者は動物に関する本の中で、これほどまでに共感できた一説を読んだことがない。