人はなぜゴキブリを嫌うのか? 話題の一冊『ゴキブリ研究はじめました』から考える、苦手克服のメカニズム
人はなぜゴキブリが嫌いなのだろう。いや、もっというと、なぜ日本人はゴキブリが嫌いなのだろう。
筆者は過去17年間、アメリカ西海岸/東海岸、カナダ、オーストラリア、マレーシアと、さまざまな国で暮らしてきた。旅した国や長期滞在の国も入れたら、もっとある。住んでいればゴキブリにも遭遇するが、どの国でも日本人ほど騒ぐ人をみたことがなかった。(筆者の属性がそうだったのかもしれないが)。
どちらかといえば、クモを恐れている人の方が多かったかもしれない。それと、ベッドバグ(南京虫)。あれはかゆい。
筆者はゴキブリが全く怖くない。家族の誰も怖がらなかったと思うし、父に聞いてみたところ、知る限り親族で怖がる人はいないらしい。
だから、私は人がゴキブリを嫌いになる理由が知りたくてしょうがなかった。そして、ゴキブリの出没率がグンと上がる夏に、まさに私が求めていた答えを導き出してくれる本が発売された。
柳澤静麿著『「ゴキブリ嫌い」だったけど ゴキブリ研究はじめました』(イースト·プレス)だ。
著者はゴキブリが嫌いだった
昆虫館職員でありながらゴキブリが嫌いだった柳澤氏は、職場でゴキブリを飼育し始めたことをきっかけにゴキブリ嫌いを克服。今では自らを「ゴキブリスト」と名乗るほどのゴキブリ好きになったそうだ。
では、どうやって苦手を克服し、嫌いだったものを愛するまでに至ったのか。本書にはそのプロセスが書かれている。
人は、訳のわからないものを本能的に恐れる傾向がある。裏を返せば、相手を知っていれば恐れる必要はない。
柳澤氏は、ゴキブリの世話を通じて、自分が想像していたよりも愛嬌のある習性をもつことや、飼育が簡単であること、ゴキブリ研究がブルーオーシャンであることを学んでいく。そして、知れば知るほどゴキブリに対する恐怖心が消え、魅了されていくのだ。
実はこれは筆者にも経験がある。筆者はイモムシが極度に苦手だった。その理由は今でもよく覚えている。
小学校3年生のある日、登校すると昇降口に子どもたちが群がっていた。よく見ると、たくさんの子どもたちが大きなイモムシを長い棒で突いていた。イモムシは痛みで体をよじらせ、助けを求めているようだった。だが、子どもたちはその様子を見て楽しんでいた。止めようとした私の声はかき消され、イモムシは私の目の前で息絶え、放置された。殺生を娯楽にした子どもたちの無邪気な残忍さと、イモムシの苦しみ、動物好きを自称していながら助けられなかった自責の念は、私の中で恐怖に形を変えた。それ以来ずっとイモムシが苦手だった。
だが、生物好きを自称する限り、イモムシとの接点は何かとできてしまう。そこで、筆者は、特に苦手だったアゲハ蝶の幼虫を飼育したり、養蚕工場に見学に行ったり、カブトムシやクワガタムシの幼虫を育てたりと歩み寄るという荒療治に出た。
頬擦りするほど親しくなれたわけではないが、図鑑の写真を見ても叫ばない程度には恐怖心を克服できているし、なんなら親しみも持っている。
だから、筆者が経験した「苦手だった生き物を側に置いて知ることで好きになる」はとても共感できるし、「知ることが苦手克服の近道」であることも理解している。
反対に、苦手な相手だからと遠ざけていれば、しっかり認識できずに判断力が鈍り、恐怖心が募る。知らないことは、恐怖の悪循環を招いてしまう。
自分の経験を踏まえて考えても、本書は「苦手克服の教科書」の一面が強いと感じた。
嫌われているから面白い
著者は、ゴキブリに惹かれる理由を「嫌われているから」としている。嫌われているからおもしろい、のだそうだ。ゴキブリの展示会をすると、なんだかんだ言いつつも人が足をむけてくれるそうだ。
これも分かる。2018年夏に上野国立科学博物館で開催された「特別展 昆虫」では、ゴキブリのコーナーが大人気だった。展示されたゴキブリを前に、「想像と違う」「ゴキブリじゃないみたい」といった驚きや感動の声があがっていた。
怖いもの見たさ。おそらく、人はゴキブリを嫌いと言いつつも、確実に自分のテリトリーを侵さない保証があれば、肝試し感覚で見てみたいのだと思う。