凪良ゆう「人間の中にある善も悪もフェアに書きたい」 恋愛を通して描いた人生の物語
人間の中にある善も悪もフェアに書きたい
――そのオートクチュール刺繍を仕事にしているのが、暁海の父親の愛人・瞳子です。暁海と櫂の周囲に登場するキャラクターの中でも、瞳子の言葉や姿はとても印象的ですね。
凪良:瞳子に限らないのですが、この物語の登場人物には「正しい人」がほとんどいません。瞳子も筋の通ったことは言ってるんですけど、自分がやっていることはといえば、他人の家庭を壊している。人間って、正しいことだけでできているわけではないですよね。一人の人間の中にあるそうした善も悪も、ちゃんとフェアに書きたいんです。それはこの『汝、星のごとく』だけのことではなくて、すべてが善人というのを私は書いたことがありません。そんなのは嘘だろうって思ってしまうので。
――その意味では、櫂の母親という存在もまた、子どもの立場からすれば許しがたいくらいに「正しくない」人物であるように感じられます。
凪良:実は一部では、櫂の母親を好きな方が多いんですよ。あそこまでクズだと逆に、「なんかいるよね、こういう人」と思われるのでしょうか(笑)。私自身、ものを書く人間として、ああいう人を受け入れる余裕がないと物語に幅が出ないと思うんです。個人としても作家としても、櫂の母親はとても好きですね。クズなんだけど心底悪人ということではなく、心の弱い人なんだろうな。彼女もまた彼女なりの人生を生きているんだというのを、とても濃く書けたと思います。他社の担当編集者さんからいただいた感想にも、櫂の母親が暁海にお金を都合してくれないかと頼むシーンが大好きだって(笑)。最後までクズを貫いたところが立派であるっていう、そんなお褒めの言葉をいただいて、嬉しかったですね。
――櫂はやがて漫画原作者として成功を収めますが、そこからの道程も振り幅が大きく、彼の軌跡には胸が痛みました。その中で櫂と関わりを続ける、植木と二階堂という二人の編集者たちの存在は印象深かったです。
凪良:実は、特に植木の方は、担当編集さんがモデルになっている部分が大きいんです。この二人は櫂にとって、とても理想的な編集者さんだなと思います。物語のバランスといいますか、私はしんどいことばかりを書きたいわけじゃなくて、人が人を助ける瞬間みたいなものも普通に書いていきたい。そのために、植木や二階堂はなくてはならないキャラクターでした。人間の善と悪の両方をフェアに描くのと同じように、人と人との関係性もやはり、ダメなことばかりではなくて、救われるような関係だってあるはずなので。
それぞれの正義がある
――さまざまに人と人との関わりが描かれる中、本作のメインとなるのは暁海と櫂との15年にわたる関係性です。17歳での出会いから始まって、実にロングスパンで描かれますね。
凪良:もともと、長いスパンの物語は読むのも書くのも好きでした。今まで私は40冊くらい本を出していますが、その中でも長いスパンの物語は比較的多く書いている。なので、私が好きなタイプの書き方ということでしょうね。
――その歩みの中で暁海と櫂の二人は、ともに理性的な頼もしさを感じさせます。ただ一方で、そこまで理性的じゃなければもっと簡単に幸せになれたんじゃないかという、もどかしさも覚えてしまいます。主人公二人を、凪良さんはどのようなキャラクターだと考えていますか?
凪良:15年のスパンの物語なので、暁海も櫂も変化していってるんですよね。この子はこういう人間だなと思っていても、後半になるにつれ良くも悪くも変わっていく。そうやって、人が移り変わっていく流れを書くのが、私はとても好きなんです。それは、二人の関係性の変化にもつながっていく。この子はこういう性格の子だ、とあまり決めずに変化を楽しんでもらえればいいのかなと思います。
――暁海と櫂の関係で、特に思い入れの強いシーンはありますか?
凪良:櫂が東京にいて、暁海の方は自分に自信が持てない中で二人がすれ違っていくところは、かなり心を砕いて書きました。暁海と櫂、どちらにも仕方のない理由があって、それぞれの正義があるということを書いていかないと、男女交互の視点で書いていく意味がない。すれ違いは書きつつも、どちらか一人だけを悪者にせず、フェアに書いていこうと思いました。それと、個人的にすごく思い入れがあるのは、後半にある島の描写ですね。今回、すごく長めのプロットを用意して何回も書き直しをしましたが、あの暁海の目に映る島のシーンだけはプロット段階からほとんど書き直していません。最初から、このシーンを目指して書いていたような気がします。
――特に暁海は、刺繍を仕事にして生き抜いていく強さを手にするまでに、変化や成長がうかがえるキャラクターのように思います。当初は自虐的だったり迷ったりしていたけれど、覚悟を決めてからは強さが見えてきますね。
凪良:暁海の夢の叶え方はリアルだと思います。若いうちから、この道に進むんだってスパッと決められるならそれが一番いいかもしれない。けれど、なかなかそうはいかずに、二十代いっぱいを使って悩んでしまったり、社会に出て何かの仕事に何年か従事してから、これじゃないと感じて、そこから自分のやりたいことを探したりというのは、よくあること。その中で、周りからも「甘いよ」とか言われたりもするだろうし。私が作家になろうと思ったときも、身近な人たちから「無理だよ、何言ってんの」と笑われたりもしたので。いろんな葛藤がある中でやりたいことを見つけていくリアルさは、わかってくださる人が多いのではないかと思います。