『屍人荘の殺人』から『魔眼の匣の殺人』へーー今村昌弘が到達した、クローズド・サークルの新境地
『屍人荘の殺人』の3つの魅力
『屍人荘の殺人』がミステリー・ファンから絶大な支持を集めたことは確かだが、ジャンル内だけのブームでは数十万部にも及ぶベストセラーにはならなかった。ミステリーとしての美点は後述するとして、まずはエンターテインメントとしての魅力を、3つの要素で書いておきたい。ネタばらしには配慮して避けるので、未読の方もご安心を。第1はその世界観であろう。『屍人荘の殺人』『魔眼の匣の殺人』『兇人邸の殺人』と現在が刊行されている3作品ではすべて、班目機関という怪しげな研究組織が事件の陰に存在することになっている。『十角館の殺人』に始まる綾辻行人の〈館〉シリーズ全作に怪建築家・中村青司の設計した建物が関わっているのに小説の構造は似ている。巻を重ねて情報が増えるごとに組織に関する謎も深まっていくのである。ありようとしては大塚英志・田島昭宇『多重人格探偵サイコ』における〈ガクソ〉に近いか。班目機関はショッカー並みに胡散臭く、もしかするとこの世で起きるあらゆる災厄の黒幕である可能性があるのだ。『屍人荘の殺人』で描かれるのは陰謀論的世界観なのである。
この班目機関のせいで起きてしまったある出来事が、『屍人荘の殺人』の肝であった。新刊当時、主としてSNS上の口コミで小説の噂が広まったのだが、この「ある出来事」については作者や出版社が強く要請したわけでもないのに「ネタばらし絶対禁止」という雰囲気が自然と醸成されて、現在に至るまで続いている。ページ数で言えば全体の3分の1くらいで起きるから、ミステリー・ファンが暗黙の了解として守っているネタばらし禁止ルールからすると微妙な線だ。私は全体の4分の1までに出てこないことは書かないことにしているので書評でも触れなかったが、このくらいならいいだろうと思う人はいるだろう。しかし、誰も書かなかったのである。
この現象は私には、ネタばらしを嫌う心理というよりも畏れに近い禁忌感が働いたように見える。小説についての評判が流れる間に、それを口にしてはいけない、という都市伝説的な気分が醸成されていったのだ。作品がベストセラーになった背景にはこの心理が大きく影響しているように思われる。前出の陰謀論的世界観も含め、それを可能にする小説構造だったということだ。ミステリーから発するベストセラーには、こうした現象が影響していることが多い。2003年の歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』しかり、2005年の東野圭吾『容疑者Ⅹの献身』しかり。おもしろいのは、歌野・東野作品は禁忌の対象がミステリー小説としての種明かしであったのに対し、『屍人荘の殺人』のそれは物語としての前提であった点だ。映画『サイコ』が1960年に公開された際に、アルフレッド・ヒッチコック監督がストーリー自体の口外を禁ずる呼びかけをしたのに形としては似ているように思う。物語の落ちだけではなく、その全体像自体が謎であり魅力の源泉ということだ。これが第2の要素である。
ここまで小説の中味についてほぼ触れていないので、『屍人荘の殺人』のヒットは偶然の要素が大きいという誤解を与えるかもしれない。もちろんそんなことはなく、ストーリーの構成自体が魅力的であるからこそ、第1、第2の要素に魅かれた一見の読者を受け止められたのだ。第3の要素は牽引力の強い物語構造である。
この物語は神紅大学に入学した葉村譲が、理学部三回生の明智恭介という変わり者の先輩によってミステリ愛好会という大学非公認団体に引っ張り込まれることから始まる。恭介は真の探偵マニアで、もともとあった“ミステリ研究会”で本を読むだけの活動には飽き足らなかったのだ。それゆえ2人だけのミステリ愛好会の日々は、恭介の提唱する推理ゲームに勤しむことに費やされている。第一章は「カレーうどんは、本格推理ではありません」という譲の発言から始まる。学生食堂を舞台にして推理ゲームを行おうとしているのだ。
こののどかな日常風景が、やがて夏合宿の話につながる。映画研究部がペンションを借りきって心霊映像を撮影することになった。そこに恭介は便乗しようとする。なんとか話がまとまって二団体合同の合宿が実現するのだ。
ここまでが起承転結で言えば起に当たる部分で、悲劇や事件の影はまったくない。読者は明朗な青春ミステリーを予想しながら物語に誘い込まれていくのだが、次の承で状況は一変する。先に書いた「ある出来事」が起きるからだ。そこからは怒濤の勢いで事態が展開していく。初めは親しみやすく、途中に幾度もどんでん返しがあり、中盤からは息つく暇もないノンストップ・スリラーとなる。この構造を明らかに作者は計算して書いている。
謎解き小説の弱点は、いったん事件が起きるとその情報を読者に提示するためにページ数が必要になるため、話の進行速度が遅くなることだ。今村はこのことを計算に入れ、物語が絶対に止まらなくなる仕掛けを考えた。それが「ある出来事」である。これによって事件の謎について思考しつつも前に進まなければならない、という状況設定が出来あがった。『魔眼の匣の殺人』『兇人邸の殺人』の二作もこの方針が貫かれている。
物語に牽引力を与えているものがもう一つ、キャラクター設定である。シリーズには明智恭介以外にもう一人探偵役の登場人物がいる。冒頭で『魔眼の匣の殺人』について触れたときにも言及したが、『屍人荘の殺人』で初登場を果たす、文学部二回生の剣崎比留子だ。彼女には事件を引きつけやすいという特異体質がある。降りかかる火の粉を払うため、おのずと探偵能力が磨かれていったのだろう。ミステリマニアの恭介と、自らの意志とは無関係に探偵になった比留子は好対照であり、『魔眼の匣の殺人』でも彼女が主役を張ることになる。事件を招き寄せる比留子を心配する譲は、彼女を守ろうと決意するのだ。比留子は天才だが、譲は凡人であり、なかなか力になることができない。そのことに苦悩する譲が凡人なりに奮闘する姿が、第二作以降では読みどころの一つになるのだ。これによって成長小説の要素が加わる。
陰謀論的世界観、独自性の高い謎が都市伝説的な拡散性を備えたこと、小説構造とキャラクター配置が物語の推進力になっていること。これらが『屍人荘の殺人』をエンターテインメントとして見た場合の特徴だ。ミステリーとしての長所も書いておかなければいけない。『屍人荘の殺人』は謎解き小説の最も大事な条件を当たり前に備えた作品だ。すなわち犯人と真相の推理につながる手がかりが十分読者に対して提供されている。特筆すべきはその提供の仕方に芸があることで、先に書いたスリラー的展開の中に紛れ込ませるようにして大事な手がかりを振りまいている。読書の速度は変化するもので、おもしろいくだりならばそこは速くページをめくってしまうし、お勉強感があるような退屈さだと遅くなる。そうした読者心理まで見据えて作者は情報を配分しているのである。
もう一つのミステリーとしての長所は、アイデア量が豊富なことだ。豊富なだけではなくて多様性がある。前述の「ある出来事」には一つのギミックがつきまとう。本作に用いられるトリックはすべて、このギミックを利用したものなのだ。しかも事件ごとにその使い方が異なる。5W1Hが違うというか、一つの要素に複数の側面を見出し、それぞれをトリックとして使っているのである。この発想力の柔軟さは強い武器である。