縄文人のルーツはどのように判明した? 人類学者が語る、古代ゲノム研究のおそるべき技術革新

古代ゲノム研究が明かす人類の起源

 我々ホモ・サピエンスの祖先は、ネアンデルタール人(旧人)と交雑していた、縄文人は東アジアに最初に到達した人類の子孫であった……など、近年、古代人の骨に残されたゲノム(遺伝情報)の解読・分析が進み、人類学の「常識」が大きく変わった。

 そんな最新の研究結果から、人類の起源とその歩みを見直したのが人類学者・篠田謙一氏の新書『人類の起源』(中央公論新社)だ。分子人類学を専門とし、東京・上野にある国立科学博物館の館長でもある篠田氏に、古代人の分析が飛躍的に進んだ背景と、どのようなことがわかってきたのか、そして今後期待される研究について聞いた。(土井大輔)

※メイン写真:イギリス(ブリテン島)でもっとも古い人骨のひとつ「チェダーマン」(約1万年前)のゲノム解析にもとづく復元像。暗褐色の肌、ブルーの目という、アナトリアの農耕民流入以前のヨーロッパ人集団の特徴が表されている(C)The Trustees of the Natural History Museum, London

数千年前は、いま見ている「日本」とはかなり異なる世界だった

人類の起源 篠田謙一『古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』(中公新書)

ーー数年前にネットで、現代人のDNAにネアンデルタール人の遺伝子が入っていることが判明したというニュースを見て驚いたんですが、『人類の起源』を読んで、なるほど今はこんなことまでわかるのかと納得できました。

篠田:2006年頃に技術革新によって生まれた次世代シークエンサーによって、人間のゲノム(DNAのすべての遺伝情報)の解明が猛烈に進みました。次世代シークエンサーであれば、古代人の骨のかけらからでも現代人と同じように遺伝子を読むことができます。コロナウイルスの検査に使うPCR法は特定の部分のDNA配列を調べる方法で、1980年代後半からずっと続いてきたやり方でした。それが次世代シークエンサー以降は、網羅的に全部を読むことができるようになったんです。人間ひとりのDNAは30億塩基ほどあるのですが、これをすべて読むのに2日間ほど、塩基配列を解読するのに3~4日間ほどかかるので、だいたい1週間くらいで全てを読める。古代人の場合だと、骨からDNAを採取するのが難しいのでもう少しかかりますが、それでも3~4週間である程度読むことができます。

 2003年にはヒトゲノムを一人分読むのに成功していますが、13年という歳月と3000億円というお金を使ってやっとできたことだったんです。それが今や、次世代シークエンサーを使って古代人でも3~4週間、100万円ちょっとでできてしまう。これはなかなか怖いことですよ(笑)。これからのサイエンティストは10年程度でやり方がまるっきり変わってしまうような、激しい技術革新のなかを生き抜かなければならない。

篠田謙一氏

ーー本を読むと、「人種」とか「日本人」という言葉になんの意味があるんだろうと思うようになりました。

篠田:「民族」とか「人種」であるというのは全部、後付けでその種につけられたタグですよね。生物学的には、人類はみんなシームレスに(途切れ目なく)つながっています。人間は複雑に絡み合って集団を作っていますから、それを区別することはできませんし、その意味では人類はみんな一緒なんだということが、おそらくDNAが語ることの本質なんだと思います。

ーーそもそも専門とされている「分子人類学」というのは、どういう学問ですか。

篠田:人類学を大きく分けると、人間の文化的な面を研究する文化人類学と、生物学的な面を研究する自然人類学になります。これまで自然人類学はおおかたが骨の研究であったり、軟部組織、つまり皮膚や髪の毛の違いであったりを調べていたわけです。それが1960年代になるとタンパク質や血液型の違いを対象にすることができるようになった。それが1970年代の終わりあたりから短いDNA配列まで読めるようになった。そこから遺伝情報を使った人間の成り立ちとか、他の生物との関係であるとか、そういったことを調べる学問が急速に伸びていきました。私はこの自然人類学を40年以上やっていて、はじめのころは骨の形の調査だったのが、だんだんと遺伝子の研究にシフトしていきました。この遺伝情報を使った人類学が、「分子人類学」になります。

ーーそのなかで、自身が驚いた発見や研究結果はありますか?

篠田:次世代シークエンサーによって古代人骨のDNA分析の実用化がなされた後でいえば、やはりホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血が判明したことですよね。それが一番大きい。

 ここ5年間ぐらいですと、ヨーロッパ人に関する研究も驚きでした。それまでは初期の狩猟採集民が、1万年くらい前にアナトリア半島(トルコのあたり)から入ってきた農耕民と混合してヨーロッパ人ができたと考えられていたんですが、実はそう単純ではなかった。5000年前以降の青銅器時代にステップ(シベリア南西部)からやってきた牧畜民が、狩猟採集民の上から乗っかるようにヨーロッパ人の遺伝的特徴を大きく変えていたんです。

 アジアですと、私どもの研究で、縄文人の起源が最初にアジアに入ってきた人たちの子孫であろうことがわかりました。縄文人と同じ遺伝子を持っている人は、世界中どこを探してもいなかったんです。それまでは縄文人と同じDNAを持つ人がいれば、そこが私たちの源郷の地、ホームランドであると考えられていたんですが、中国でもベトナムでも出てこないんですね。なんのことはなく、そもそも縄文人は日本にしかいなかったんです。

ーー興味深いのは、強い集団が弱い集団を打ち負かしていなくなったというより、融合していった結果として、その集団がいなくなっているという点です。

篠田:もちろん、中には強い集団が弱い集団を打ち負かして代わっていった場所もあるんですけれども、少なくとも今の日本人の場合は、9割方は弥生時代以降に大陸からやってきた人たちの遺伝子なのですが、私たちの中にまだ縄文人の遺伝子も残っていますから、融合していったと考えるべきですね。

 また、稲作農耕によって弥生時代になり、そこで縄文人と大陸の人々との混合が起こったんだろうと単純に考えられていたんですけれども、最近の研究では、その混合がすごく長い時間をかけて行われたということがわかりました。1000年から1500年かかっているんですね。実際に古墳時代だとか中世のいろんな地域のDNAを見てみると、まるっきり縄文人みたいな人もいるんです。

ーー縄文人と渡来した弥生人は文化を共有していた可能性がある。

篠田:そうですね。日本列島では長い間、人びとはある程度の棲み分けをしていたのでしょう。今私たちが見ている「日本」とは相当イメージが違うものだったんだろうと思います。辺境の地には姿かたちがまったく異なる人たちが住んでいるような、そういう世界だったんじゃないでしょうか。

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