時を経て再認識した、山岸凉子のホラー漫画が持つ“別次元の恐怖” 「汐の声」「天人唐草」が本当に怖い

 筆者はホラー漫画が好きだ。

 そんな筆者が「トラウマ級のホラー漫画は?」と聞かれたら、間髪入れずに山岸凉子著「私の人形は良い人形」と答えるようにしている。初めて読んだのは、小学生のときだったが、読んだ直後は恐怖のあまりに母のそばを離れられなかった。成長してからも市松人形を見ると身構えてしまうのは、同作の影響だ。

 だが、大人になった今、本当に怖いのは「私の人形は良い人形」ではない。同名の自選作品集『私の人形は良い人形』(文藝春秋)に含まれる「汐の声」(1982年)と、『天人唐草』(文藝春秋)の同名作「天人唐草」(1979年)だ。どちらも、一歩踏み間違えたら自分のみに降りかかってくるような、別次元の恐怖を感じてしまう。

 今日は、今にも通じる山岸凉子の傑作短編を紹介しよう。

搾取される子どもを描いた「汐の声」

 「汐の声」は、ショービジネス界で搾取される子役の末路を描いた作品だ。

 幽霊屋敷の収録に参加した17歳の佐和は、霊能少女という肩書きを持つが、実は霊能力など持っていない。佐和の稼ぎに頼っている両親や、番組関係者を失望させたくなくて霊感少女を演じているだけ。そんな彼女は、後ろめたさから自分に自信がなく内向的だ。

 人の顔色を伺うようにオドオドする佐和に、大人は冷たく接する。佐和が屋敷の幽霊を見たと言っても、誰一人真面目に話を聞こうとせず、軽くあしらう。佐和は幽霊だけでなく、周囲に味方がいない孤独にも苛まれていくのだ。

 本作は、ひねりのきいた幽霊の正体が読者に強いインパクトを与える。注視すると見える幽霊の絵もゾッとする怖さだ。だが、時代の流れと共に、怖さは別の意味を持ったのではないかと思う。

 連載当時の1982年は、一部の選ばれた子どもしか子役になれなかった。そのため、多くの読者にとって、この作品は縁遠い話だっただろう。だがここ10年は、SNSや動画配信サイトの登場により、誰もがステージママやステージパパになれる。劇団に入らなくても、厳しいオーディションを受けなくても、スマホひとつで子どもをスターにすることができる時代になった。

 才能ある子どもが活躍の場を持てることは素晴らしいと思う反面、第二、第三の佐和が生まれやすい環境が整ってしまったのではないだろうか。SNSや動画の再生数をのばしたくてペットを飼ったり、子どもの成長を心から喜べなかったり、焦ったりする人は少なからず存在する。

 筆者も、仕事の都合で我が子に写真のモデルになってもらうことがある。親の都合でメディアに露出しているので、気分が乗らないときには「写真に写りたくない」と言われることもないわけでもない。そんなときは、「少し前までは素直に写ってくれたのに」と不満に思わず受け止める必要があると考える。大人のために感情を押さえつける佐和の姿は、子どもに過度な要求をしないための抑止力になっているのだ。

精神破壊を描いた「天人唐草」

 1979年に発表された「天人唐草」は、気むずかしい父親に育てられた響子がゆっくりと自身のアイデンティティを失い、父親の死をきっかけに精神崩壊する物語だ。その丁寧な描写は、ひとりの人間の健全な魂を破壊するための教科書とも読み取れる。

 精神破壊の手順はこうだ。父親は幼い頃から響子をことごとく否定した。娘が世間話をすれば、その話題に触れることなく揚げ足をとったり、声の大きさに苦言を程したりして、罪悪感を植え付ける。しかも、否定するときは決まって「男は〜」「男から見ると〜」「みんな〜」と主語を大きくし、その意見が父親だけでなく、大多数の総意であるかのように言うのだ。

 また、成長と共に芽生える恋心も「はしたない」や「ませている」といった言葉で頭ごなしに否定し、周囲の人々と健全な関係を築く邪魔をする。

 一見すると、父親は響子を淑女に育てるべく厳しく躾をしているようだ。周囲も、響子の父親を「亭主関白」や「男らしい」と評価し、それを聞いた響子も父親を誇らしいと感じる。そのため、父親の言動が躾の範疇を超えたものであるにもかかわらず、「亭主関白」が隠れ蓑となって問題視されない。響子自身も気づかないのだ。

 実は、山岸凉子は決して彼を「亭主関白の父親」とは書いていない。冒頭で「戦後民主主義の風潮にもかかわらずあくまでも小武士的な気むずかしさを持ち続けていた」と説明している。それが亭主関白と同義なのか、それ以外のものなのかは読者の判断に委ねているのかもしれないが、著者の中では彼は亭主関白ではないはずだ。とはいえ、彼のような人を「亭主関白」という言葉で表現する人は多いだろう。

 この物語では親子間だが、大義名分を隠れ蓑とした他者への人格否定は、上司と部下、先生と生徒、妻と夫など、さまざまな関係で起こりえる。そして、誰もが加害者と被害者の両方になる危険性を孕んでいるのだ。

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