矢野利裕が語る、文学と芸能の非対称的な関係性 「この人なら許せる、耳を傾けるという関係を作ることがいちばん大事」
一生懸命、精一杯がキーワード
――今回の本は作家論集ですが、「すばる」2017年2月号の「新感覚系とプロレタリア文学の現代 平成文学史序説」のように同時代の小説群を論じたこともありましたし、国語の文学史への違和感もしばしば話してきたわけで、状況論をまとめるのはどうですか。矢野:そういうことをよくいっていたのは2016、7年頃だと思います。教科書会社が作った国語便覧を眺めていたら、現代に近づくにつれて実体と乖離したような文学史になっている印象だったので、もう少し中道の文学史を作るべきだと思いました。でも、その時ほど強い気持ちは今、正直ないです。自分の資質に向いている仕事ではないと思っています。ただ、芸能をキーワードに文学史を通覧するような仕事はいつかしたいと長期的には考えています。
――過去に小山田圭吾が「キャラクターを変えたい」と考えていたことについて本のエピローグで触れていますが、文芸批評でもキャラ立てはありますよね。
矢野:読者の立場で言えば、文芸批評はキャラが立っているほど面白いですよね。なにかを書いている以上、キャラ立てはせざるをえないし、キャラ立て自体が悪いとはまったく思わないです。ただ、なにかの目的に沿ってキャラを作るとか言葉で過剰に演出することを目的化しすぎると良くないのではないか。そもそもサブいのではないかとか。この問題は、どこかで考えなければいけないと思っていました。フリッパーズ・ギターが解散したあとの小山田圭吾と小沢健二を比較したとき、自分は明確に小沢健二の態度を選んだのだという意識がありました。小沢健二もキャラを立てたと言えるのかもしれないけど、やはりそのまっすぐさに惹かれた気がします。コーネリアスも好きでしたが、『POINT』くらいまでまっすぐさを感じられなかったことを思い出しました。
昨年の小山田騒動については、それを受容するみんながどのようにふるまっていたかを書きたかった。ツイッターでは、批判か擁護か、友と敵を分けるような言葉ばかり飛び交って、言葉を発する人は全員苦しそうでした。それで、加藤典洋を読み返した。彼のいう文学とは、言葉の奥にあるような、政治判断に必ずしも解消されないこの部分をいっていたのかと、ちょっと腑に落ちたところがありました。騒動に関する原稿は自発的に書いて「群像」に送ったんですが、文学の言葉が必要と書いたから、文芸誌がいいだろうと考えました。
――余談ですが、キャラ立てといえば、スズキロクさんが夫婦の日常をとらえた4コママンガ「のん記」を2019年から毎日描いていて、本として3冊目になる『よりぬきのん記2021』が今年2月に出ました(https://suzukirock.booth.pm/)。矢野さんは、天才妻(自称)のぬいぐるみ集めには厳しいのに、自分はレコードを買いまくる夫としてマンガに登場するわけですが。
矢野:あはははは。
――これこそキャラ化じゃないですか。
矢野:本当にそうですね。妻はキャラ化することになんにも屈託がないように見えます。もう最近は「のん記」のネタのために生きているフシすらあって、ああいう人こそ表現者だと思うんです。太宰治か川崎長太郎みたいな感じ。
――私小説か!(笑)
矢野:悩みながらnoteに愚痴っている僕とは器が違う(笑)。
――悩みながらということでは、杉田俊介さんの『人志とたけし』に収録された杉田さん、マキタスポーツさんとの鼎談で矢野さんが、一生懸命、精一杯が自分の批評のキーワードだと語っていたのが印象的でした。かつて「新感覚系とプロレタリア文学の現代」で新感覚系プロレタリア文学に分類した作家について、上手すぎる、日常に耐えているわけでもなければ主題の積極性もないと批判していましたが、それは一生懸命ではないという批判でしょうし、『人志とたけし』の鼎談での発言につながると思いました。
矢野:みんなが空気を読んでいるように見えたんです。フェミニズムとか労働問題とかいくつか出揃ったテーマと、それまでの蓄積としての上手い小説とされるものについて、言語化されていないまでも共通理解ができあがっている空気を感じた。それらを組みあわせるといい小説になる方程式があるように見えたんです。勝手な意見ですが、そういう空気の読みかたはよくない、もっと当たって砕ければいいのにと思っていました。
一生懸命、精一杯がキーワードなのは、そうした考えの延長線上にあります。必要だと判断したからとか、そういう単純な話が一番大事。空気を読んでないつもりでも読んでしまっていることはあるし、なにが一生懸命かなんて誰が決められることでもない。それでも、本当に真剣にやりましたかと問われて、即答で「はい」っていえることは大事だとここ数年、思っています。
■書籍情報
『今日よりもマシな明日 文学芸能論』
矢野利裕 著
定価:1,870円(本体1,700円)
出版社:講談社