矢野利裕が語る、文学と芸能の非対称的な関係性 「この人なら許せる、耳を傾けるという関係を作ることがいちばん大事」

矢野利裕が語る、文学と芸能

芸能が抱える問題は今なおある

――収録作のなかでは町田康論の発表が2014年で最も時間が経っていますが、読み返してみて今の自分との違いは。

矢野:あまり修正しませんでしたし、論旨も変えていません。ただ、2019年の西加奈子論などと比べると、町田康論の時より今のほうが、差別という問題が自分にとって前景化している。町田康論の時は、小沢昭一などの言葉を引用しつつ、芸能は被差別的な人によって担われてきた、芸能とはそういうものだからという風に処理していたのに対し、西加奈子論ではそれだけでは処理できないとなっていて、それが今との違いかなと思いました。西加奈子が差別というものを「おかしさ」と言い換え、ある種、否定しきっていない身振りをしていることを論じています。差別はいけないと簡単に切り捨てられない領域があることは一貫していっているつもりですが、そこの逡巡は以前より最近のほうがある。町田康論の時は、人間が生きていたら差別はある、それを乗り越えてこそ芸能だよねとわりと屈託なくいっていて、芸能一択みたいな書きかたになっていたのが今との違いです。結論の方向は変わっていないけど、今のほうがその理路が複雑というか葛藤があります。

――本のなかでは、小説の主人公というものは見られる側にいて、その段階でもう差別的な構造を含んでいるとも指摘しています。

矢野:それは、誰も傷つけない笑いと評されたぺこぱを見てとくに思ったことです。傷つく傷つかないはべつにしても、ぺこぱを指さして笑う光景には差別的な構図が残っているんだけどなということが、頭にありました。

――『今日よりもマシな明日』を本としてみると、差別への思考を深めた西加奈子論を中心に全体がまとまっている印象を受けました。いじめをあつかった西加奈子論を読むと、なぜ小山田問題を考察した補論がそのあとに置かれたのか理解できる。そこで論じられたことは、この本が出る少し前、「文學界」1月号の特集「笑ってはいけない?」で矢野さんがお笑いについて書いた「近代社会でウケること 包摂と逸脱のあいだ」ともつながっているでしょう。その評論では、ポリティカル・コレクトネスに配慮したような、リベラルにみえる最近のお笑いが、芸人の自発的なものというより、観客との関係性において成立していることが指摘されています。見られる側にいる点で小説の主人公と芸人は共通しますし。

矢野:ありがとうございます。そのへんの話もこの本に補助線として入れたかったですね。あとは、やっぱり教育の問題です。もともとお笑いが被差別的な位置で担われていたところから、吉本興業が学校を作って今に至る、民主的な方向へ進んだ歴史があるけれど、芸能が抱える問題は今なおあって学校が抱える問題ももちろんある。僕が中学校の教員であることとも密接につながった問題なので、いつも教育の問題へ戻ってくるところはありますね。

――矢野さんは、学校では国語を教え、サッカー部の顧問をしているそうですね。

矢野:学校に赴任して「できる部活ある?」といわれた時、僕はずっとサッカーをやっていたのでサッカー部の顧問になりました。サッカーも身体の問題として考えると少し面白いです。学校教育的な規律訓練的な身体とネイマールのような自由で天才的な身体の関係性を日々の練習で探っているようなところがあります。制度と自由のあいだを考えることは、僕にとってすごく批評的・文学的ないとなみです。

――藤田直哉さんの対談集『ららほら2 震災後文学を語る』の矢野さん登場回では、客席にいた杉田俊介さんも議論に加わり、批評家3人の鼎談に近くなっていました。そこでは、いとうせいこう『想像ラジオ』も論じられ『今日よりもマシな明日』と関連する内容が話されていましたが、印象的だったのは杉田さんが介護現場で働いた経験から語ったのに対し、矢野さんが教員としての経験から語っていたことです。「群像」を象徴する批評家・柄谷行人は同誌に連載した『探究』で、教える-学ぶ、売る-買うなどの場面における非対称な関係を論じていました。そこではいわば抽象的な他者がテーマになっていましたが、文芸批評において最近目立つテーマになっているケアは、ケアする-ケアされる関係を通じて他者との非対称性をもっと具体的に考えようとしていると思えます。教員であることに立脚する矢野さんの議論にも、具体的であろうとするかまえを感じます。観客がいてお笑いの芸能が成立するということもそうですし。

矢野:中森明夫さんに教えてもらったんですが、実演販売で有名なコパ・コーポレーション社長・吉村泰助氏の座右の書が『探究』なんですよ。つまり、売ることは「命がけの飛躍」だという柄谷用語を実践しているわけです。文学と芸能といった時、小説や批評なんて紙にインクが印刷されているだけじゃないですか。柄谷は、みんなが買うから価値が生れる、無価値なものに価値を見出すとマルクスを参照して論じましたが、小説にしても誰かがいいというから価値が発生するんだと思います。そこには、ある種の詐欺的なものがある。教育もまったく一緒。勉強なんてしたくないかもしれないけど、騙されたと思ってやってごらんっていう。騙している感覚がすごくあります。学ぶことがなんの役に立つのかといわれて、こちらだって明確な答えはなかなかないのに、でも信じてもらう。そういう「命がけの飛躍」のポイントがやっぱりある。

 他方、非対称的な関係性が別の局面として前景化していると感じるのは、ハラスメントをめぐる議論においてです。教える-学ぶでは学ぶほうに能動性があると、柄谷は逆転を指摘した。今、マジでそうだと思うのは、こちらが普通に教えているつもりでもハラスメントだと指摘されたら否応なく問題化すること。その意味では、やはり教わる側が主導権を握っている。ケアの現場も同様でしょうが、だからそうならないように具体的な関係性を日々作っていくしかない。同じ言葉をいっても、この人なら許せる、耳を傾けるという関係を作ることがいちばん大事だと思います。僕が生活という言葉でイメージするのは、そういうミクロで身体的な信頼関係の構築のことです。それこそが日々のいとなみだと思います。そういう信頼関係なしに強い立場の人が弱い立場の人に一方的に力を働きかけるのは、やはりダメでしょう。この場合、力を働きかけることがダメなのではなく、信頼関係や人間関係を築こうとしていないのがダメなんです。ただ、その信頼関係自体「命がけの飛躍」として一方的なものでしかないから、自分が信頼関係を築けていると思っても相手がそう思っていなかったら、そのときはもうハラスメントと糾弾されて終了するしかない。そんなリアリティがあります。そのようなリスクというか覚悟を含みつつ、それでもなお真剣に教える-学ぶにとり組むしかない。もちろん、リスク管理を最優先して関係性を明示化・希薄化する方向性もありえるでしょうが、そうなったらもう僕は教育現場にいる意義がわからない。お互いに傷つき合ったり喜び合ったりして、ともに教えたり学んだりしたほうがいいと思っています。

――先に触れたnoteの最近の記述を読むと、文芸批評についての矢野さんの迷いがうかがわれますが。

矢野:そのへん、正直整理できていないです。noteはちょっと愚痴っぽくなった時に書くから、ああいうトーンになっちゃうんですけど。文芸批評では意見の対立を劇場型でフレームアップしたりしますけど、学校現場にいる日々の職業的な切実さからすると全然リアリティがないですね。こんなことをやっていていいのかなとなる。ただ、自分が文芸批評を好きになったのは、ああやって闘技場のようなものをみんなが盛り上げていたことに対してでもあったから、そういうなかば演劇的なパフォーマンスも大事だと思いつつ、年齢的に生活という視点が入ってから揺らぎました。本のなかでも生活ということを書いています。まぁ、noteの場合、書いて一晩寝ると気分が変わったり(笑)、その循環が大事かなとも感じます。自分の生活自体、そうやって批評を書いて悪口でもなんでもリアクションをもらい、その思考の足跡を教育に還元しているという思いがある。そこから教育現場で得た思考をもう一度批評のほうに返していく。

――これは「伝統的な文芸批評」ではないかもしれないと自身で書いていますが、矢野さんがモデルにしている批評はありますか。

矢野:あまり思い浮かばないですね。本では爆笑問題の太田光氏の発言を引用していますが、TBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」をずっと聴いていて、その日のフリートークの話題を全部メモしています。あと、同じくTBSラジオの「東京ポッド許可局」(マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオ)、この2つの番組を息づまった時に聴く。「群像」で受賞した時のインタビューでも書いたきっかけを尋ねられて、「東京ポッド許可局」を聴いて書けると思ったと答えていたんですよ。それは実感としてあったから。だから、モデルにしている批評は強いて言えばその2つですね。

 とはいえ、「文芸批評」とカッコつきでいわれると小林秀雄以来云々の歴史が想起されるから、自分は「伝統的な文芸批評」ではないとうそぶきたくなるんですけど、小林にしても自分のことばかり語っていたわけではない。文芸批評は周辺領域との交通によっていろんな問題設定をしてきたし、戦後日本の問題や差別の問題に関する意識も僕は文芸批評から得てきた。その意味では僕も文芸批評のなかにいると思っていますが、それをアウトプットする際、最近はラジオパーソナリティ的な言葉をいかに文芸批評の言葉と融合していくかを考えがちなんです。その語り口自体、そのまま授業で中学生にむけても使用できるエンターテイメントの言葉じゃないですか。そういう言葉を探りたいですね。

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