累計57万部の「世界の知性」シリーズを創刊 PHP研究所・大岩央が語る、新書思想書の意義

PHP研究所・大岩央氏インタビュー

 マルクス・ガブリエル、ジム・ロジャーズ、エマニュエル・トッドなど、海外の識者の語り下ろしを邦訳する「新しい翻訳書」が注目を集めている。PHP研究所が2020年に創刊した新書「世界の知性」シリーズだ。

 これまでの国内累計発行部数は44万部。製作時から海外展開も視野に入れ、中国・韓国・台湾・タイなどでも翻訳刊行され、13万部のヒットとなっている。同シリーズを創刊したPHP研究所の大岩央氏に、立ち上げた経緯とコンセプト、取材で見えたマルクス・ガブリエルの素顔、さらには編集者を目指した理由についてうかがった。(小沼理) 

一冊をつくるのに二冊分の作業が必要 

––––「世界の知性」シリーズはどんなコンセプトなのでしょう。 

大岩央(以下、大岩):わかりやすく言うと、大学や「ゲンロンカフェ」などで識者に講義で教わっているようなものを目指しました。翻訳思想書は分厚く、高額で手が出しにくかったり、日本人には馴染みのない固有名詞がたくさん出てきたりして、ハードルが高いと感じる読者も多いのではないでしょうか。買ったはいいけれど読み通せなくて途中で挫折してしまったという話もよく聞きます。でも語り下ろしのインタビューであれば、わかりにくいところは噛み砕いて説明していただいたり、具体例を挙げてもらったりすることができます。著書で日本やアジアへの言及がなくても改めて聞くことができるのも、この形式の利点ですね。 

 制作ではまず本のテーマを設定して、著者へのインタビュー、原稿の編集作業という、語り下ろしの新書を制作する時の作業を行います。さらに原語から日本語に翻訳し、校正するという翻訳書の作業もあります。語り下ろし新書と翻訳書、二冊分の作業を経て一冊ができあがります。 

 2019年に刊行したアメリカの投資家ジム・ロジャーズさんの『お金の流れで読む日本と世界の未来』の時、はじめてこの形式で制作しました。当初はシリーズ化の予定はなかったのですが、この本が16万部を超えるなど話題になったんです。他の識者でもやっていこうということで、「世界の知性」シリーズを立ち上げました。

PHP研究所の大岩央氏

 ちなみに、「世界の知性」シリーズがここまで大きく育つことができたのは、私だけの力ではなく、多くの関係者のお力のおかげです。特に国際ジャーナリストの大野和基さんとはシリーズ内の多数のラインナップをご一緒させていただいています。また、訳者のかたや営業部はもちろんのことですし、翻訳権を扱う弊社のライツ部が多くの国に広げてくれたからこそ、海外でも広く読んでもらえるようになりました。本当は「チーム・世界の知性シリーズ」の皆さんに私が取材をして記事にさせていただきたいくらいです(笑)。 

––––これまでにドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさん、フランスの歴史家エマニュエル・トッドさんなど豪華な面子が登場していますが、ラインナップはどのように決めているのでしょうか。 

大岩:今、世界で共通して起きている問題がたくさんありますよね。パンデミック、民主主義の危機、資本主義の弊害、気候変動問題、テクノロジーとの共存などです。そうした「グローバルアジェンダ」に対して独自の見方を提示できる方というのが大前提です。たとえば、エマニュエル・トッドさんは家族構造から各国の民主主義を読み解いていきます。 

 韓国や中国などアジア圏でも読まれるものにしたいと当初から考えていたこともあり、日本で紹介したら面白そうな方であることを第一に、海外でも人気がある方を探しています。雑誌『WIRED』創刊編集長のケヴィン・ケリーさんの『5000日後の世界』の企画では、中国での彼の人気を現地の方にリサーチしてもらいながら制作を進めました。 

マルクス・ガブリエルは「生活を楽しんでいる人」 

––––シリーズの中でも、マルクス・ガブリエルさんは3月に刊行予定の『わかりあえない他者と生きる(仮)』を含め3冊を制作していますね。 

大岩:シリーズ第一弾となった『世界史の針が巻き戻るとき』は私にとっても思い出深い本です。 

 本書は「民主主義の危機」「資本主義の危機」といった世界に起こりつつある5つの危機について、ガブリエルさんの提唱する「新しい実在論」を軸に語っていただいた本です。私が一番聞きたかったのが、すべてが相対化していくポストコロニアルな世界で、対立を起こさずに生きていくにはどうしたらいいのかということでした。

 たとえば西洋中心主義から相対化されたすべての民族に固有の文化があって、それぞれが自分の文化を主張する中でさまざまな摩擦が起きる。その中で身動きがとれなくなっているのが現在ではないかと思います。そこでガブリエルさんが提唱するのが「普遍的価値」。「私たちには普遍的な道徳的価値観があって、それを違う文化が覆っているだけ」という考え方で、たとえば誰かを殺害したり、赤ちゃんを窓から放り投げたりする場面を想像した時に世界中の誰もが拒否反応を感じるのは、私たちに共通する普遍性があるからです。 

 例えば、「私は多様性を認めたくない。そういう人を認めるのも多様性でしょう」という人がいたとします。この問題を、ガブリエルさんは「女性や黒人などのマイノリティを排除すること」と、「マイノリティを排除する人を排除すること」の二段階に分け、後者の排除は問題ないとする思考法を、バートランド・ラッセルの考えを引用して解説しています。これも普遍的価値に立ち戻って考える一例ですね。細かく見ていけば異論もあるかもしれませんが、その基本的なスタンスは腑に落ちます。 

––––本の最後に設けられた「補講」では、新しい実在論について改めて正面からインタビューしています。 

大岩:この本の「補講」の質問はすべて私なんです。この時、ガブリエルさんも身を乗り出して熱っぽく説明してくださって。自分の中でも「なるほど、そういうことなのか!」と各章の内容が有機的につながった感動がありました。SNSでどなたかが「補講がこの本のベースにあるから、ここから読んでもいいかもしれない」ということをおっしゃっていたのを見た時は「ちゃんと伝わったんだな」と思ってうれしかったですね。 

––––制作をともにする中で、ガブリエルさんはどんな人だと感じましたか? 

大岩:とても気さくな人です。テレビなどで彼の話す姿を見たことがある人はわかるかもしれませんが、何を聞いても瞬時に答えが返ってきて、早口で時にジョークを交えながらずっとしゃべり続ける(笑)。それでいて、どんな質問でも嫌な顔をしません。 

 それから、「美味しいからぜひ行ってみて」と教えてもらったレストランも、スーパーで買ってみたガブリエルさんおすすめのワインもすごくおいしくて。生活を楽しんでいる人という印象がありますね。

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