【漫画】もし捨てた思い出が可視化されたら? Twitter漫画『おも遺での今日子』が切なすぎる
ーー『おも遺での今日子』は、「棄てられた思い出」が可視化された世界が描かれています。どんなきっかけでこのアイデアが生まれたのか、制作の経緯を聞かせてください。
Gyoniku:私自身痛々しい思い出や嫌なバイト先の上司などの思い出が沢山あり、それに苛まれることも多かったので、「いっそ形にして捨てて忘れられたら楽だよな……」と思ったのがきっかけだったと思います。
あと矛盾してるようですが、この都合のいい世界でも尚、たったひとつの思い出を拗らせて棄てられず苦しんでるひとりの人間が描きたかったのもあります。
ーーファンタジックな設定でありながら、生活の描写など、非常にリアルな手触りがあります。読者が感情移入しやすい作品になっていると思いますが、その点はどう意識しましたか?
Gyoniku:当たり前に思い出をゴミとして棄てるシーンなど、ファンタジーな設定をキャラクターの生活サイクルとして落とし込み、身近に感じてもらえるよう意識した部分はあります。それから、主人公の「南条」が「今日子」の思い出に触れ、1人で苦悩していく様は全て6畳ボロアパートの部屋の中で起きているのですが、人が妄想したり、何かに苛まれたり、苦悩する時って布団の中だったり狭い部屋の中だったりすることが多いんじゃないかな、など、そこも意識したシーンのひとつです。
ーービジュアルとしても切ないエンディングに向けて、終盤は特に胸が痛くなりました。ある人にとっては美しい思い出が、ある人にとってはただ通り過ぎた1ページになっていたり、あるいは忘れたい過去になっているかもしれない、と深く考えさせられます。
Gyoniku:とても深く汲み取って読んでいただけてて光栄です……ありがとうございます。おっしゃるとおり、「南条」ももちろんなんですが、今日子の元カレの「岸田」そして「今日子」自身にもストーリーがあり、歴史があり、それに対して抱く思いはみんな違います。「あーこういうことあった……」と読者様が、3人の誰かにもしも共感してもらえるなら嬉しいなと思います。また、それぞれ決別を経験しながら、それでも生きていく3人への愛は込めたと思います。
ーーそもそも漫画を描くようになったきっかけも教えてください。
Gyoniku:漫画自体は小学生から落書き帳にそれはそれはギチギチのコマ割りで描いていたんですが、本格的に描き始めるようになったきっかけは、高校の時です。高校の時に外間信太郎(TARUW)先生という講師のプロ絵師さんに出会いまして。それまでは何となく絵の仕事したいな〜ぐらいで自信がなく、漫画家への志は低かったんですが、「お前は自分を舐めすぎ、いいから自分を信じろ!!」と背中を後押しされて大学へ行き、漫画を描き始めました。人生の師匠です。
ーー読者の情緒に寄り添い、揺さぶる素敵な作品でしたが、その他の作品も含めて、漫画を描く際に、大事にしているポイントがあれば教えてください。
Gyoniku:若輩者ゆえ、まだこちらは手探りの途中でもあるのですが、今は自分が読者目線に立った時に共感(嬉しい、悲しい、悔しいなどなんでも)できるか、エモいと感じられるか、を一番大事にしている気がします。作画的にはコマの緩急など、テンポを意識して描いていることが多い気がします。
ーー今後、どんな作品をつくっていきたいですか。
Gyoniku:今回の「思い出」というのにも少し通じることですが、「目には見えないけれども誰しもが持っていて、また誰しもが口には出さないけれど感じているもの」を描いていきたいです。痒いところに手が届く作品というか……。それからやはり、自分が小さい頃ワクワクしながら漫画を読んでたように、人の生活の糧や楽しみにしてもらえるような作品を作りたいです。目標は体力を持つことと連載を持つことです!!
■プロフィール
Gyoniku(ぎょにく)
沖縄県出身の駆け出し漫画描き。
2017年『タガタメのツバサ』 サンデー持ち込み大会 銅賞
2019年『おも遺での今日子』新世代サンデー賞佳作
2020年『希望は君のためにある』小学館新人コミック大賞 佳作
2021年8月 「水牢の街」で誌面デビュー。
Twitter:https://mobile.twitter.com/gyoniku_kure
※『水牢の街』以外はTwitterで読むことができます。