肩書や属性を越えて人と向き合えるか? 高野ひと深『ジーンブライド』が放つ刃の鋭さ
『私の少年』で美しき少年と30代OLの交流を描いた高野ひと深が、最新作ではどんな美しい情景を見せてくれるのかと待ちわびていた読者にとって、『ジーンブライド』(祥伝社)から放たれる刃の鋭さは想像以上だっただろう。
純粋におもしろいものを
第1話は、主人公の諫早依知が映画監督を取材する場面から始まる。真剣に映画について問うているのに、「そんなに褒められると男はみんな勘違いしちゃうよ? 君も気をつけないとさあ」と返す監督に、「はァ~~~~うんこたれがよ」と依知が内心でつぶやく大ゴマは、激しい怒りとともに描かれるわけではなく、むしろ依知は諦めきっている様子なのだが、そこによりいっそう著者の強い憤りを感じた。
ランニングの通り道で、見せつけるように自慰行為をしている男が、ルートを変えても現れること。仕事ぶりよりも先に、服装をジャッジされてしまうこと。打ち合わせで、初体験の年齢を聞かれること。そのどれも、いちいち本気で怒っていたら、身がもたない。恐怖を押し殺し、やさぐれながらも、日々をやり過ごすしかない。そんな理不尽に対する著者の、心の底からの抗議がその一コマには詰まっているような気がした。
やるせなかったのは、依知と同じ指摘と質問を、とある男性がした際に、映画監督が「そこまでわかってくれるなんて!」とよそゆきモードを崩して破顔した場面だ。同じように監督の作品を愛し、すみずみまで観て、つぶさに分析し、敬意をもってぶつけたはずの依知の言葉は、監督には届いていなかった。よく、「何を言うかではなく、誰が言うかが大事なんだ」なんて格言めいたセリフを聞くけれど、若くて美しい女というだけで言葉が損なわれてしまうのだとしたら、それは絶望以外の何物でもない。ヤマシタトモコは『違国日記』で、医学部入試の女性差別問題を知った女子高生の絶望を描いたけれど、男も女も関係なく、ただ自分にできる精いっぱいで努力していることが、勝手に底上げされたり値引きされたりしてしまう現実に、ただただ疲れ果てている依知の姿が、自分の経験だけでなく、知っている誰かに重なって苦しくなった読者は、多いのではないだろうか。
そんな依知の前に現れるのが、かつての同級生・正木蒔人。「きみの運命の相手だった男だ」といきなり押し掛けてきた彼は、はっきり言って、うさんくさいし、あぶなげだ。監督にくだんの質問をぶつけ、自分とはちがって正当に評価されたのが蒔人だということもあり、依知は彼に対してかなりぞんざいな態度をとり続ける。けれど、イレギュラーな状態に陥るとパニックを起こしてしまう彼の生きづらさと、男女のバイアスを一切無視して真正面から依知の言葉を受け止める正直さに触れて、少しずつ交流を深めていく。
……のだけれど、そのまま現実における戦いの物語が進んでいくと思いきや、まさかのSF展開がぶちこまれ、「どういうこと!?」と心をわしづかみにされたまま、1巻は終わりを迎える。いやほんと、どういうこと!?
言われてみれば、依知と蒔人の通っていた学園が、遺伝子管理をされた子どもたちが集められている様子だったり、そのなかで「運命の相手」を(おそらく)見つける「ジーンブライド」というイベントあるいは制度があったり、そこかしこにSFの種は蒔かれていたのであった。さらに、どうやら依知は学園を退学したらしいこと、それには行方のしれないかつての親友が絡んでいるらしいこと、と、物語が大きく膨らんでいく仕掛けも潜んでいる。テーマ性を前面に押し出しながらも物語として純粋におもしろいものを描くぞという覚悟も、感じられる。